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    私達の人生は、社会全体が持っている洗脳体系に気づかずに生きれば、まるで全て「自分の意志」で行動しているように思いがちです。

    しかし、実際には自分の意志自体がある拘束された範囲内の中にとどまっているのかもしれないということについて、今回は書かせていただこうと思います。
     
    操り人形

    私たちはこの世界がどのように出来上がってきたのかについて、ろくに覚える興味も湧かないような義務教育の社会の授業によって歴史を学ぶ程度にしか知らない場合が多いのではないでしょうか。

    歴史が私達を拘束しているというのも、何か耳慣れないような不思議な表現に聞こえるかもしれませんが、これは文化人類学というものを学んだとき、本当にそうなのだということが理解できるようになります。

    今日書かせていただくのは、日本ではなく主に西洋の話になりますが、世界の歴史は主に西洋文明に洗脳されていっておりますので、基本的には問題ないと捉えています。
    (※日本も明治維新以降、西洋文化を受け入れ始めたところから近代化が恐るべきスピードで始まり、一気に西洋化していきますので、やはり西洋的洗脳の影響が大きいと言って良いでしょう。)

    そもそも、この世界の人類史は魔術的なスタートを切ったと言われています。

    例えばピラミッドの建設などはその例と言って良いと思います。

    奴隷によって建設されてきたと久しく言われてきたピラミッドですが、科学がまだ未発達だった中であれだけの巨石を積み上げていったのには、謎が多いと言われてきました。

    そして近年、高度な外科治療を受けていた人骨や、女性や子どもの骨も見つかるなどの理由によって、奴隷ではなく労働者としての社会生活を持つ人々によって建設されたのではないかと言われるようになってきています。

    だとすると、何故あれだけの建造物を創ることができたのか、当時の人間社会を予測することができます。

    古代エジプトの王ファラオは当時、神として人民を支配していました。

    今の王政とは違い、実際に神として崇められていますから、政治というよりは神託が下るという具合に人々は神の意志を聞いて生活していたのでしょう。

    そしてピラミッド建設の目的としてあくまで仮説ではありませすが、王の復活を意図していたという説があります。

    王は神ですから、復活してもらうことによって国が安定すると本気で人民が信じていたという話は、たしかに信憑性を感じます。
    (その為、王は復活の為におあつらえ向きの台にミイラで安置されていたということになります)

    神の存在が自分たちの幸せを保証するものであると本気で信じるならば、現代の賃金を目的とした労働ではなく、もっと神秘がかった力の結集があったに違いないと予測されます。

    科学の世界から見たところでは、当時の科学では不可能と判断されるため、宇宙人の来訪説などもありますが、私は単一の宗教によって催眠意識だった集団が奇跡的なものを残したという説を信じたくなります。

    これらの話は私の単なる想像ではありますが、科学史を紐解いてみても、16世紀にデカルトという人が物質(身体)と心は別のものだとする物心二元論を唱え、ガリレオ、ニュートンと続いて科学が幸せを掴むと世界的に信じられるまでは、人々はもっと宗教的意識の中で暮らしていたようです。

    宗教的意識は、現代のように個人の創造意識を刺激はしなかったでしょう。実際、ガリレオは敬虔なキリスト教徒だっと言われており、当時の思想は神が造られた世界を確かめていくように科学研究も行われていたようです。

    そう考えると、個人が創り上げる価値を語った「夢を持とう!」などという考え方は現代的な表現だということになりますね。

    当時の人々にとっては、どんな夢を持つのかではなく、神が造ったこの世界をどのように生きるのかが問われていたわけです。

    ではこんな話の何が、人の人生を操っているのかと言いますと、それは現代が生きる意味の欠如を生み出しているというところです。

    現代の人々は口を開けば社会不安や経済問題などを語り、うつやガンなどを始めとする現代病が増え続けています。

    この現象は一体何を意味しているのでしょうか。

    人類はもっと幸せになることはできないのでしょうか。

    これはやはりおそらくという前置きが必要になりますが、中世までの世界において人類は、生きる意味での安心感はもっとあったと思われます。

    それはこの世界や宇宙の存在に対して、自分もその一部であり、繋がっている意識があったからです。

    しかし、科学進歩が顕著に始まった17世紀以降、徐々に人々は自然を物理学の世界で計測し、自然支配が幸福論と結びついてきました。

    結果、世界や宇宙と共に生きる意識が極端に減ってしまい、科学で測定されないものは無いものと判断される文明が始まってしまいました。

    しかし、まだ地球上にも生きることに迷いのない民族が存在しています。

    その一つはインディアンです。

    インディアンの自然参加意識は高く、太陽の進行を自分たちが助けていると捉えていたり、天候の変化なども自分たちの行動と共に在ると思っているそうです。

    それはある意味、不自由さを感じる生き方ではあるでしょう。

    しかし、少なくとも自分たちが生きている意味を考える必要はありませんし、自然を味方に付けているわけですから、生きる威厳は大きなものを持っている筈です。

    たしかにインディアンの映像や資料を見る限り、集団的威厳を感じますし、心理学者のユングが後年はインディアンの生き様に感化を受けていたというのも頷ける気がします。

    しかし、インディアンのような統率社会は現代にはありません。

    こんな不安定な何を信じたら良いのかわからない社会の中で生きる現代人に、悩みが多いのはある意味当然とも思えるのです。

    そんな現代は、自分の意見を持ち主体的に行動できる人がもてはやされています。

    それは現代が、依存的で誰かの意見を自分の意見として生きてしまいがちだからこそ、そのように扱われているのでしょう。

    そしてこの依存的ということ自体、そもそも歴史的な洗脳によって意識が拘束されてしまっている結果だと私は考えているのです。

    私たちは中世以降、科学によって不確かで魔法じみた社会から解放されました。それと同時に生きる意味を失うという代償を支払ってきました。

    ある意味、現代を生きる私達が日々を生きる意味を失い、何の為にやらなければならない膨大なタスクに追われ、迷いと不安、孤独と悲しみの中にあることは、歴史的に操作されてしまった人類にとって必然なのかもしれません。

    歴史は後退するわけにはいかないものです。

    もはや意味を失った魔術的社会に戻すことも不可能でしょう。

    では私たちはどのようにして、この生きる意味の創造と科学的な意識を統合していけば良いのでしょうか。

    統合する方法はあるのでしょうか。

    私が学んでいる新しい認識論には、それに対して一つの答えがあります。

    人類が宗教的に、そして科学的に操られてきた歴史から逃れ、自分の意志で世界と関わる方法があるのです。

    この答えは、私の認識論研究の集大成とも言えるもので、2016年以降の人生を生きる上での提言として、ワークショップで提供させていただきます。

    その名も「2016美しき人生を創造するワークショップ

    朝日と人の繋がり

    こちらの画像をクリックいただくと、イベントの詳細を確認いただくことができます。

    語り合いながら、一日をかけて人生の創造を体験していきますので、あくまで少人数制で3日間用意させていただきました。

    現在はどの日もまだ申込可能です。

    次回はもう少し現実的な側面として、人は共に生きる人たちからどのように操られてしまっているのかを書かせていただこうと思います。

    2016年1月より5期がスタートするプロセラピスト養成スクールのプレセミナーも開催日が迫ってまいりました。

    メルマガもご登録下さい。

     
    JUGEMテーマ:生き方

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      私はナルトという漫画が好きで、ある時期とてもハマっていました。

      その中にはカンクロウという傀儡師(くぐつし)※がいて、すごいキャラだなぁと思っていたのを思い出します。
      ※傀儡とは、糸を使って物体を操ること

       
      ナルト カンクロウ

      今回書かせていただく記事と、この物語に直接関係は無いのですが、前回の記事「操られている人生 No.1」で書いた通り、人は自らの意志で生きているようで、知らないうちに様々なシガラミの中で生きており、その影響は意識的にも無意識的にも受けてしまっています。

      そこで今回は科学や宗教の歴史という大きなテーマで扱った前回とは違い、家族や個人の人生という視点で、もう少し現実的に書かせていただこうと思います。
       

      個人の性格や能力は他者によって握られている?



      私にとってそれは3つの視点から見ることができます。

      それは以下の通りです。

      1.遺伝的要素・・・生まれながら持っている性格や能力
      2.生育的要素・・・家庭環境によって開花または抑圧された性格や能力
      3.環境的要素・・・今共に生きる人によって開花または抑圧された性格や能力

      順番に1番から書かせていただこうと思いますが、最初の項目は誰であっても考えたことのあるところではないでしょうか。

      「自分はどうしてあの人のように能力を持って生まれなかったのだろうか」とか、逆に「私が持って生まれた能力によって成功した」と思っているなら、それはどちらも片手落ちだと言えるでしょう。

      そもそも人の遺伝とはどのように起きているものなのか知っていただくことで、誰であっても能力的な開花が可能なのだと思えると思いますので、先ずはそこから書かせていただこうと思います。
       

      遺伝的要素が人生を決めるのか



      今は情報検索の上で大きなまとめサイトとして君臨するNAVERまとめサイトにこのような記述があります。

      人はどこまで遺伝で決まるのか【遺伝しやすい才能・特徴・病気】

      こんな記事を見ると、そもそも人って遺伝によって可能性が決まってしまっている?という気がしてしまいませんでしょうか。

      少なくとも私はそう感じてしまう人の一人です。

      しかし、それは本当なのでしょうか。

      私が好きな科学者の一人に村上和雄さんがいらっしゃいます。

      彼は「遺伝子は心の状態によってオンとオフを繰り返している」と最新の研究からの答えを導き出しています。

      つまり、ここで私が言いたいのは遺伝子が人生を操ると言って良いのだろうかという疑問に関しての提言です。

      よく言われている遺伝子の研究では、研究のやり方自体に、実は問題があることがわかっています。

      それは遺伝子は変化しないという仮説に基づいているということです。

      能力のある人(実績を残した人)の遺伝子を調べたり、逆に無能と言われる人の遺伝子を調べたりしたとしても、それはあくまでそういった結果があった後に調べているのであり、それが生まれながらにしてそのままであったのかを証明しているわけではありません。

      もちろん、血液型などのように生涯変化しないタイプのものはあるのですが、それが全能力にわたってそうなっていると証明されているわけではないのです。

      その意味で私が先ず伝えたいのは、人は遺伝子を絶対的なものとして親や家系に可能性を制限されることに疑問を持ってみていただきたいということです。

      実際、村上さんが主宰するサイト「SWITCH 遺伝子が目覚める瞬間」では、遺伝子に生きているまま影響が起きたのではないかと思われる二つの物語が動画として掲載されています。

      私も心理治療に携わってきた身として、遺伝子や脳科学的に見て不可能と思われる変化をいくつも体験してきました。

      もちろん、今まで通説として言われてきた遺伝子による人生決定説を完全に否定するものではありません。

      しかし、例外だという確率だとしても、実際に起きていることがあるのであれば、少なくとも「幸せになる能力」という意味で制限されるべきものではないと思っていただきたいわけです。

      人はよく自分がどうしてそのようになってしまているのかと悩みます。

      自分がどのように形成されたのか、人は自ら知ることができないのです。

      しかし、それを完全に知ることはできないとしても、人には信ずるだけ前進する不思議な能力があると私は思いますし、それよりもそう信じる生き様が素晴らしいものだと思っています。

      このテーマ「操られている人生」は引き続き書かせていただきます。

      続編をお待ち下さい。

      次のイベントは、誰であっても主体的に自分の人生を望む方向へと進めていく為のワークショップとして開催させていただきます。

      私の8年に及ぶ心理研究の集大成を、是非ともお受け取り下さい。


      2016美しき人生を創造するワークショップ

      朝日と人の繋がり

      こちらの画像をクリックいただくと、イベントの詳細を確認いただくことができます。

      語り合いながら、一日をかけて人生の創造を体験していきますので、あくまで少人数制で3日間用意させていただきました。

      現在はどの日もまだ申込可能です。

      2016年1月より5期がスタートするプロセラピスト養成スクールのプレセミナーも開催日が迫ってまいりました。

      メルマガもご登録下さい。


      ※ちなみに私がナルトを好きだった理由は、人物や善悪に対する様々な視点が深いと思っていたからです。余計なことですが(笑

       
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        さて、少し前回から時間を置いてしまいましたが、「操られている人生」シリーズを更新していきたいと思います。

        前回、前々回と人生(自分という人間)を決定する要素について書いてきておりますので、過去の記事も参考にしてください。

        操られている人生No.1(文化や歴史が私達を洗脳している)

        操られている人生No.2(遺伝は人生を決定するのか)

        そして今回は、生まれてから、特に親との関係において生育歴が自分の人生を決定づけている点について書いていきたいと思います。

        もちろん、この文章はうまくいっている親子の仲を悪くしようというような意図は全くありません。

        親は親で子どもを一生懸命に育てていますし、子どもを教育するその子に合った説明書も教科書もないわけですから、そこを問題にはできるものではありません。

        単に私が伝えたいのは、親との関係において、どういった可能性や逆に限界が生まれてくるのかということについてを書くことで、ご自身の人生にもっと自由度を上げていっていただければと思っているのだということを、強調しておきたいと思います。
         

        子どもは親によって世界を知る

        先ず、子どもはどのように生き方を身につけていくのかということですが、私の思うところ、生命としての意図として「死なないようにする」ということを学び始めるのが最低限のことだと思いますし、起こりうる問題を避けて通ろうとする性質が人には元々あるのだと仮定しようと思います。

        その上で、子どもは親を通して何が自分を安全に守るものなのか、それとも危険なものなのかを判断しようとするところが学習のスタートだと思います。

        そしてそのベースとして、人間は他の人間に近い動物(霊長類:猿、チンパンジー、ゴリラなど)に比べ、自分で何かを掴むことなどもできないという地球上の最弱の哺乳類として生まれる性質上、自分を守ってくれる親との関係性が生命維持の最優先事項です。

        何故それほど成長されていない状態で生まれてしまうのかというのは、仮説としてですが、人間は直立二足歩行という背骨を立てた状態を維持するために、骨盤が小さくなって産道が狭くなったが為に、小さいまま生まなければならなかったからではないかと言われています。


        人と猿 骨盤の違い

        少し見えにくいかもしれませんが、上記の写真で言えば、右側にあるチンパンジーの骨盤中心に空いている穴がが縦長で大きいのに対し、人間は扁平形で小さいのがわかるかと思います。

        その為、極端に未成熟状態で生まれる人間は、大昔の草原で暮らしているところを想像すると、他の種に食べられたりしない為にも母親がベッタリとくっついて守ることになりますし、子ども自身にとっても

        母親が守ってくれない = 死

        を意味しますから、やはり母親との関係性が生命線です。

        そうなると自然に親(特に母親)が教えることが、乳児期の子どもにとってこの世界の全てだと言っても過言ではないと思います。
         

        乳児のコミュニケーションは象徴的

        当たり前のことですが、言語を使いこなせるようになる3歳前後までの乳児期、子どものコミュニケーションはイメージや音の響き、身体の感触、におい、味などだけで行われています。

        そこにデジタル聴覚という言葉の意味を考える思考方法が幼児期から加わるわけです。

        そしてここからは仮説的な理論になるとは思いますが、乳児期の動物的なコミュニケーションの時代、必要となるのは自分の身が安全であるのかどうかが最重要です。

        しかも自分で自分の身体を守れないタイミングですから、いかに親に気に入られるのかが大切ですし、親から与えられるストレスがあるなら、基本的に他の親の子どもになれないわけですから、そのストレスを耐え抜かないと自分の居場所(生きる場所)はありません。
        この時期、発達心理や脳科学的な研究によれば、まだ言語はないですから、子どもは大きな音表情を特に読み解いてコミュニケーションするように学習するようです。

        例に出して言えば、親が笑った顔があったら快刺激として認知し、その快刺激が継続するように繰り返すようになりますし、深い刺激は続かないようにちょっとでもましになるコミュニケーションをとろうとします。

        つまり、親に怒鳴られたりするととても怖いですから、非現実的に無視するようになったり、酷く泣くことを拒否されたらあまり泣かなくなるなどするわけです。

        それが引き起こす単純な影響は自己表現をすることへの抵抗となります。

        自由な表現をすれば親に怖い顔をされたり怒られたりすると、それをやらない方が安全なわけですね。

        もしそのときに親が言葉で優しいことを言っていたとしても、子どもが受けとる情報は表情や声の大きさなどのアナログなものですから、もちろん子どもがそちらを学習します。

        私も子どもを持つ親として我が子を見てきましたが、嬉しいのか悲しいのかというレベルのコミュニケーションは生まれて数ヶ月するともうハッキリしています。

        ただ、乳児の記憶はあまり長期化しないようですから(基本的に2週間程度)、親も何かしてしまったと反省せずとも、気づいたところから修正をかけていけば大丈夫だと言えます。

        つまりよくトラウマという言葉で言われるような数回のコミュニケーションによる影響ではなく、数年間繰り返された親とのコミュニケーションが一番人生に対する効力を持っていると予測できます。

        その世界観は、こういったことから解放される情報を本人が持たない限り、または偶発的に自分の表現を自由にしてくれるような出会いがない限り続くと言えるでしょう。

        そういった意味で、親と自分が乳児から幼児に入る数年間、どういったコミュニケーションをとり続けていたのかというのは、人生を形作る意味で、とても重要な意味を持つのでしょうし、この時期に確立された自分の考え方には、一生涯影響を受けると言っても過言ではありません。

        その意味で、幼少期の体験は様々な心理学が言っている通り、きっと人生全体をある程度操ってしまうということになるのでしょうね。

        こういった影響についてはまだ続編がありますので、今後も書いていこうと思います。


        自分の人生を自分で自由に創造していくためのワークショップ開催しています。

        詳細はこちら⇒ 2016美しき人生を創造するワークショップ

        朝日と人の繋がり

        こちらの画像をクリックいただくと、イベントの詳細を確認いただくことができます。

        語り合いながら、一日をかけて人生の創造を体験していきますので、あくまで少人数制で3日間用意させていただきました。


        その他、近々、上野大照が主催するイベントはこちらをご覧下さい。

        オフィス・コミュニケーションズ イベント情報



         

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