一定期間更新がないため広告を表示しています
- 2020.10.17 Saturday
- -
- -
- -
- -
- -
- by スポンサードリンク
私はセラピストとして21年、心理を専門として11年の経験を積んできました
特に興味を持ち、専門とした分野は「認識論」と言い、人が物事を認識する仕組みや、真実だと思うものは何かという学問です
一般的な心理学よりも脳科学に近いかもしれません
こういった学びは知れば知るほど、自分が信じてきたことを疑い、新しい人生を送るとしたらどうなるのかと、期待が膨らみます
そして、ここまでの自分の学び、そしてカウンセリングや講座を通じての援助を経験してきた中で、より一層確信となってきたことがあります
それは、心理や認識の仕組みを学ぶことによるリスクです
こういった分野は、知れば知るほど、ある意味情緒の持つ素晴らしさに対して皮肉めいたところを持ち、ある種のニヒリズムをつくるだけでなく、それを武器に他者を責め、結局自分の人生自体を崩壊させていくことさえあります
学ぶ内容自体は価値のあるものの筈です
この世界のリアリティ(現実感)が上がるわけですから、未来を見定める力も強くなりますので、より現実的な目標達成や、問題の分析ができるようになる”はず”です
これは私が提供してきたものに限らず、他の自己啓発系の学びや心理学や脳科学全般に言えることではないかと思っています
しかし、実際はそうはいかないようです
私はこれを、次のように分析しています
それは、人間には100万年かかって培われた感情や情緒という、自分の思考と切っても切れない不安定なものがあるからです
感情は単純に言えば、脳の内側で作用しています
これは、脳の外側で思考する1万倍ものスピードで処理され、自動的に行われていると、人工知能研究者(参考:天外伺朗氏)から聞いたことがあります
その説によると、感情的な処理のスピード(無意識)は速過ぎて、意識でとらえることができません
しかし、これは私の思うところ、人生を間違いなく操っています
感情は人生を操縦している主体ともいえる存在なのです
好き・嫌い、快・不快、喜怒哀楽…
こういったものは、意識的な思考を圧倒的に上回ります
本当の意味で人生に変化を起こす為には、この仕組みに対処された学びをする必要があります
つまり、頭でなく、感情で学ばなければ、人生に影響を与えるだけの力がないのです
心を学ぶ講座〜自己の旅編〜では、その人間の構造にできるだけ則した形で、体験的に学べるように整えました
ある意味、スリルある学びです
本当に人生にインパクトを与える学びとも言えます
心の旅という物語
できるだけ伝わるようにと願い、内容を物語調に書き換えました
どうぞご覧いただき、受講をご検討いただけましたら幸いです
申込みと詳細はこちらをご覧下さい
スケジュールが合わない方や、遠方の方は、インターネットを利用したビデオ通話のマンツーマン受講をご検討下さい
また、受講いただいた方は、最下部にあるコメント欄にて、受講の感想をお書きいただければ幸いです
お待ちしております
今回の記事は、メルマガ「こころの仕組み」にて、2017年8月2日に特別号として配信させていただいたもののコピーです
不定期ですが、週に1〜2回の配信をさせていただいております
ご興味をいただける方は、こちらからご登録下さい
JUGEMテーマ:心理学
突然ですが、こんな写真があります。
(写真提供 知ってほしいnews_〆(・ω・ )ノ)
これはたまたま手前に居る鷹と、奥に居る人が重なって写真におさまったことで、特有の雰囲気になっているものだと思いますが、こういったことを、偶然の一致と言います。
そして今回の記事では、この「偶然の一致」について、人の心理についての独自の視点を持つ心匠として、コメントさせていただこうと思います。
「偶然の一致」という言葉は、スピリチュアルを大切にする人々の多くに語り継がれる言葉です。
このことをシンクロニシティと呼び、ウィキペディアなどにも詳しく書かれている通り、日本語に訳すと共時性とか、共鳴性などということになるのだと思います。
実はこのことについて、ツイッターに連続投稿で長々とつぶやいたのですが、今回それを校正し直し、改めてブログ記事として公開し、偏ったスピリチュアリストが語りがちな偶然の一致(シンクロニシティ)とは対照的に、ある意味現実的な側面を貫く認識論者として考察してみます。
これを書く理由としては、偶然の一致を信じれば全てはうまくいくという安易なスピリチュアリズムに対する警告でもあり、逆にこの考察を通じて、スピリチュアリズムを日常に生かして、豊かな人生を生きていただく為の手助けとなれればとの思いがあるからです。
認識論とは、人がどのように物事を認識しているのかという認知学のことであり、もう少し広く言えば、認知学自体について考え直してみようという、深い学問でもあります。
認識論的に考えることができれば、この世界は現実的に考えても、精神主義にひけをとらない幸福への態度をとることができます。
(写真提供 MAG2NEWS)
このことについては、後述する私の略歴をご参照下さい。
では本題に入らせていただきますが、先ず、認識論で物事を考えるなら、先ずは"どうやって偶然の一致が起こるのか"という原因と結果の考察の前に、人が何を偶然の一致と捉えるのかについて意識する必要があります。
実際の偶然の一致がどうかは別として、"どのようにそれを認識するのか"ということですね。
いつも通りの日常にある出来事が、いつも通り起きただけで、それが偶然の一致と捉えるかどうかを考えてみましょう。
おそらくそれはないのではないかと思います。
(写真提供 bokete)
だとすると偶然の一致と捉えるものとは、特別に待ち望んでいた出来事について、そう思うのではないでしょうか。
少なくとも、日常的(非日常)的な何かに繋がらない限り、それをわざわざ偶然の一致などという言葉で表現することはないでしょう。
そしてこの場合、一致という言葉は、「何かと何かが繋がった」ということを意味するのだと思うのです。
それは一体、何と何の繋がりを指すでしょうか。
例として、昔の知り合いと似た人が通りすがりに見当たったとします。
何か気になるので、しばらくその人を眺めていたら、思ったよりも時間が経ってしまってその先にあった何かの予定に遅れてしまった。
その結果として、何かの事故を免れたり、その為にその先の場所で実際に会いたいと思っていた人に偶然会ったりするということもあるかもしれません。
『何となく会いたいと思ってたら会えた』
というような話は、枚挙にいとまがありません。
私自身、自分にも人にも良く聞く言葉です。
仮にこういった出来事を偶然の一致とした場合、「自分には関係ないと思っていたこと」と、「望んでいたこと」が繋がったことになるのだと思います。
今回の例で言うなら、「似た人をただ無意味に眺めていた」ということと、「事故を免れた」または「望んでいた人に出会えた」ということが繋がったことになります。
おそらく偶然の一致という言葉が指している両者の繋がりとは、こういったことなのではないでしょうか。
それは日常の中では意識し難い、今後の人生に良い意味があることは間違いないでしょう。
普段では起こり得ない、良い出来事です。
だとするなら、それは不慮の災難を免れるか、思ってもない喜びに繋がるものだということになります。
当時大人気だった歌手の坂本九さんが、飛行機事故で亡くなったのは、国民的大ニュースだったと親からよく聞かされたものですが、こういったことも、何かの虫の知らせがあって免れたらよかったのにと思うストーリーだと思います。
(写真提供 wikipedia)
また、人はタイミング良く何かが連続していくと、その方向へと人生が引っ張られるものです。
個人的には、お勧めや注目の商品をうまくネットブラウジングに刷り込ませてくるAmazonなんかは、この仕組みを逆利用している典型例だと感じています。
そして「不慮」や「思ってもない」ということが意味しているのは、日常の中では意識できないものだったということになるのではないでしょうか。
つまり、日常的なサイクルの中にはない出来事が、そこに挟まったことになります。
しかし、先程の例で言うなら、単に自分がどこかへ行こうとして移動していたという行為は、日常的だった筈です。
ではいつもと違っていたのは何だったのでしょうか。
それは「過去の知り合いと似ている」と感じたことによって、いつもとはややちがう意識が関与したことによるのだと思います。
この、
『やや違う意識が関与した』
というところが大切です。
しかし、そんなことは、私たちの日常に、いくらでも起こり得ることなのではないでしょうか。
日本に住んでいるなら、季節の移り変わりだけでも、色が日々変わっていきます。
共に暮らす人でさえ、毎日同じ様子しかないことなどあり得ません。
私達の日常は、些細ではあっても、実際には日々変化に富んだものなのです。
そういうことを考えていくと、
『些細な出来事に大きな意味が込められていて、それが原因で人生が今までにはない前進をする』
という強引な解釈(私はこのことを偏ったスピリチュアリズムと呼んでいます)よりも、そう日々の出来事を捉える「期待」にこそ意味があるとは言えないでしょうか。
私は、セラピストや占い師が起こしていることは、この「期待」にあるのではないかと、認識論的に理解しています。
ならば逆に、日々の些細な出来事に大きな意味があるかもしれないという期待をどうやって湧出するのか。
そこが日常を今までとは変えたいと願うときの論点になるように思うのです。
といっても、それが然程難しくないことは、ここまでの文脈を理解した賢明な方であれば、よくわかると思います。
今までの日常を変える非日常は、当たり前の日常の中に潜んでいると知るだけで良いのです。
私達の日常をどのように捉えるのかは、その日常の主人公である本人の自由です。
何も変わらないと捉えて絶望的な日常が続くと捉え続けることもできますし、全ては希望が満たされていく為に起こり続ける非日常の連続だと捉え始めることもできます。
『そこにあるのは意識の差であって、出来事の差ではない。』
そんなふうに捉えてみることもできるのではないでしょうか。
そしてこのことについて申し上げておきたいのは、逆に、日常の中に特別な出来事は入ってこないという、冷淡な解釈を無理やり理解すべきだと言いたいわけではないということです。
人生にラッキーなことはもちろんあります。
運勢もおそらくはあるのだと思います。
その意味で、そういった専門の職業にある人達を批判する意味は、私は持っていません。
私がお伝えしたいのは、特別なラッキーが生じなくても、その幸運と同じ仕組みを日常の中に作り上げることができれば、それだけ日々の生活に潤いを持てるのではないかと期待できるのはないかということなのです。
そして私は心理カウンセラーとして、こういった「偶然の一致」の基となる意識を妨げるのが何であるのかも、わかっているつもりです。
それは結局のところ、自己不信なのではないでしょうか。
ここで言うそれは「私に新しい未来など見つける力がある筈がない」という認識のことを意味しています。
そしてここまでくると、心理カウンセラーやセラピスト、占い師、その他多くの援助者がやるべきことは、「貴方は貴方のままで間違いない」と伝えることにあるのだということがわかります。
おそらくわからないのは、それを実際にはどうやってやるのかということでしょう。
それをやれば良いもわかっていたとしても、実際にはそうならないことなど、山のようにあるからです。
その仕組みを、さらに詳しく語っていきたいところなのですが、今回のこれについて、恒例の年末のワークショップに機会を譲りたいと思います。
小さな部屋でやる数名のワークショップだからこそ、せめて両日満席になるくらいにはなってくれたらと願います。
しかし、こういった私が主催するイベントに参加できなかったとしても、今回書いたような日常は見る目一つで違うものと捉えることはできるという考え方を、是非とも意識して生きてみていただきたいと思います。
それが何かのお役に立てれば幸いです。
ワークショップの詳細は、後半のイベント紹介にて、ご覧下さい。
この記事に何かの縁で辿り着き、お読みいただくことになった方へ。
お読みいただき、とても光栄です。
既に私の主催する講座や、心理カウンセリングなどによって深く繋がって下さっている方もいらっしゃると思いますが、こういった記事はまだあまり私のことを知らない方も読んで下さっていると思いますので、少しだけ私の紹介を兼ねたことを書かせていただこうと思います。
私は仕事も住まいも大阪で構えています。心理カウンセラー&心理教育講師です。
心理学という業界の中で、積極的に行動を変化させて現実を変えることを主題とするブリーフセラピー(短期療法)という手法を主に扱っているところに特徴があります。
その為、その手法を扱う日本ブリーフセラピー協会では大阪支部長をさせていただいていたり、関西カウンセリングセンターという関西では一番大きな心理教育団体での講師も務め、短期療法を中心にカウンセラーの養成にも携わっています。
心理の学びは専門的にスタートしたのは2007年からになります。
その意味では、この業界に入ってまだ10年ほどの経歴ですから、新米のようなものです。
2009年には非営利団体にて心理セラピストとして活動を始め、2013年に民間で独立開業しました。
この業界には、とても多くの専門家の先生方がいらっしゃいますので、私ごときが専門家と名乗るのは恐縮なのですが、何を得意としているのかという視点で申し上げますと、実は心理カウンセリングよりも、認識論という学問が好きで、最も得意な分野だと自認しております。
先程取り上げた説明の仕方なども、認識論的な説明法ですね。
認識論とは、何が真実なのかという視点よりも、「人がどのように認識してそう解釈しているのか」というように考える学問なのです。
私はこの考え方を、グレゴリー・ベイトソンという故人から、主に書籍を通じて学びました。
彼の著作はどれも難しいものばかりなのですが、難問を紐解いていくようなストーリーにやみつきになり、数年かかって代表作は大体読み終えました。
今となっては、この視点が心理カウンセラーとしても、講師としても、大いに役立っていると私自身は思っています。
特に短期療法では、彼の考え方を基盤としていますので、余計に運が良かったと思います。
最早、こういった認識論による視点は、私にとって違和感のない当たり前のものとなってきていますが、読者様にとっては、ちょっと一風変わった捉え方に感じるかもしれません。
そしてこういった物書きとしての性質が、ある意味読者様の人生を動かすきっかけになれればと願っています。
是非、私のような人間の物言いを、何かの参考にしていただけそうであれば、月数回の配信をしている無料メルマガへご登録下さい。
先ずは、数年前に書いた願いが叶う生き方についての無料メール講座から入っていただくことをお勧め致します。
9回の無料メール講座が終わりますと、自動的に月数回のメルマガ「こころの仕組み」へと登録されますので、よろしくお願いいたします。
(※届いたメールから読者解除もできますので、私がお役に立てそうにない方は、いつでも解除してくださってかまいません。)
気楽にお読みいただけたら幸いです。
twitterやFacebookもやっておりますので、どうぞフォローして下さい。
前半で取り上げていた、偶然の一致を引き起こしていく人生の創造法について、今年は年末に2回同じ内容でワークショップを開催致します。
現時点では、両日とも、まだ数名の申込みが可能ですので、ご興味のある方は、飛び込んでみていただけたら幸いです。
詳細はこちらのリンクからご覧下さい。
JUGEMテーマ:偶然の一致(シンクロニシティ)
あけましておめでとうございます。
私も他の多くの方々同様に、年末年始の休暇をとらせていただいておりました。
昨日から、通常の体制に戻っております。
さて、新年最初のブログ記事は、この社会に未だ欠けているように感じる『統合』という視点について、書かせていただこうと思います。
私の思うところ、人生における殆どの問題解決は統合にありますし、心も体も経済も豊かに生きる為に必須なのは、やはりこの統合という点にあると思うのです。
この言葉には、合同、併合、連立、共同、合併などの似た言葉には入っていない、特別な意味が一つ込められています。
それを知り活用することが、心理カウンセラーの私からすると、多くの人の人生を豊かにする為に、価値のある情報となるのではないかと思うことが、この記事を書く動機です。
私たちは真の豊かさを手に入れる為に、何を知る必要があるのでしょうか。
どうぞご自身の人生に参考としていただければ光栄です。
そしてこの記事は、私個人にとって今年の抱負とも言えるようなものになると思います。
これをお読みいただいている方は、今の人生が心身共に豊かに感じられているでしょうか。
もちろんそうであることを願いますし、程度は別として、この日本社会に生きているなら、それなりな豊かさに触れていると思います。
もはや言うまでもないことではありますが、一応付け加えるなら、この豊かさとは、経済的な点だけを指すものではないことを申し添えておきます。
経済が豊かなことは、心も豊かに生きる上である程度の条件にはなります。
物がないよりはあった方が良いでしょう。
しかし、ある程度以上になった人たちにとって、それは幸せを運ぶ道具であって、幸せが何なのかを理解せずには何も得られませんし、多くを持たない時からこの思想であることの方が、結果として人生に心理的にも、経済的にも得られる効果が大きいと感じるのです。
人生は簡単に言って、豊かさに触れているか、欠乏を感じているかに二分されます。
そして欠乏を感じているとき、人は健康的にも大きなダメージを受け、それは日々を生きる生産性に甚大な影響を及ぼしています。
そして先ず、それぞれの人たちがどのような立場や役務にあろうと、真の豊かさを得る為に、共通していると思われる点について書いてみたいと思います。
それは誰もが心を持っており、その心が願うことを手に入れたくて生きているということです。
日々やっていることの全てはこのために行われており、浪費している時間は全てこのための時間です。
この視点は、心理教育者であるからこその視点とも言えるとは思いますが、心理に関係のない職種の方であっても、ご理解を得やすいところだと思います。
そしていよいよ今回の記事の本論とも言える統合について書かせていただきます。
先ず、私が心理カウンセリングをしていてこれまでに一番多かった問題は、人間関係の問題です。
人間関係問題の裏にある本質的な問題はいつも、他の人との感じ方や考え方、つまり価値観の違いです。
全ての人間関係は価値観の違いから来ているとすれば、自分の価値観と、他人の価値観の統合ができれば、必ずその問題は解決します。
人が所属する団体間の問題も同様です。
ある団体が主張することと、別の団体が逆を主張することがあるなら、やはりそこには双方譲れないことによって軋轢が生じます。
それもやはり統合的な視点があれば、うまくいくのです。
この思考を大きく言うなら、かつてのアメリカとソ連の冷戦を終わらせた手法でもありますし、小さく言うなら個人間の不一致や不平等を解決する土台でもあります。
事実かどうかは別として、坂本龍馬が歴史的に注目される理由も、司馬遼太郎氏がこの人物を、統合的な視点に長けた人物として扱ったところによるところが大きいと、私は感じています。
そして経済問題や、自己不信、病気や障害など、すぐに解決は難しく、特殊に見える問題も、やはり統合の視点が欠如しているからこそ続いているものだと言い切れます。
その答えは、自分と問題の間にある分離思考が、問題の解決を邪魔しているからです。
人は誰でも、自分が望んでいない問題に直面したとき、それは自分とは関係のない、別のものだという反応を示しやすいもの。
これがあらゆる問題の解決を邪魔しています。
そして私は、数年かけて、この分離思考の最大要因を見つけることに成功しました。
それは、これまで問題解決専門にカウンセラーとして取り組んできた実績と、心理講座を続けつつ自分自身が探求を怠らなかったこと、そしてそれらを一つにし、あらゆる問題の奥にあるものを、私自身が統合したことによって、見つけることができました。
このことは、私自身、見つけたからと言って、完全にうまく使いこなせているわけではありません。
しかし、個人的には確信を持ってお伝えできます。
それは、これさえ理解できれば、人生は本当に豊かなものとなっていく方向へ、舵を切れるということです。
最大要因が何かについては、ここからの説明の最後の方になりますので、少し長いですが、お付き合いいただけましたらと思います。
では、いよいよここで言っている統合とは何かということについて、お伝えしていきましょう。
このことを説明するには、会社の統合というものを例に説明するとわかるやすいと思います。
会社には、二つ以上の会社が一つになるとき、主に合併、吸収、統合という分類が存在します。
ここでは三社以上の話にするとややこしくなりますので、二社が一つになるとして説明させていただきます。
この三分類を簡単に説明しますと、合併とは二つ以上の会社が文字通り一つになることを意味します。
つまり、両方の会社がそのまま残されることになります。
次に吸収ですが、これは一つの会社がもう一つの会社を吸収するということです。
つまり、強い会社が弱い会社を潰し、自分のものにしたことになります。
残った会社と消えた会社があるということですね。
最後に統合です。
これは会社の場合、事業統合とか、経営統合という表現で言われるものなのですが、一旦それぞれの会社とは別の会社をつくり、その会社が経営指揮をとる方式をとります。
この場合は、両社が残ることもありますし、後々に両社を処分し、新しくつくった会社だけにすることもあります。
どちらにしても、この方式の場合、両社の資源を残すだけでなく、両方の会社とは別の会社によって、新しい概念による経営が始まるのです。
そしてこのことは、人間関係においても同じようなことが起きていることがわかります。
二人以上の人が継続的な関係を維持している場合、そこには上記の合併、吸収、統合と似た関係が存在しているのです。
合併の場合は、それぞれの領域には入らないような距離感で関係し合っていると言えるでしょう。
吸収の場合は、どちらか一方が、自分の主張はまるで言えないという関係になっているかもしれません。
統合の場合、これはあまり見受けられないのですが、両者が一つとして機能できる新しい概念を生み出すことを、互いに語り合うなかで導き出しているように思います。
この三つからすると、吸収のパターンが一番問題となりそうな気がします。
しかし実際には、全てにおいてそうなっていることは稀で、何かの事項においては吸収の形となっているということだと思いますが、どちらにしても、両者または片方が大きな不満を持つことに変わりはありません。
また、互いが同じ立場で、同じ権利だという合併のパターンでも、本当の意味で両者が心豊かに存在することは難しいでしょう。
その理由は、心に本当の意味で思っていることを言い合ってしまっては問題となることを、お互いが自覚していることによって、そうならない適当な距離を維持しているだけだからです。
つまり、ある意味相手に望み過ぎず、お互いが諦め、譲り合ったことによって、ある程度の満足に留めている状態だとも言えます。
そして統合は、上記の二つとは違います。
統合の場合、それぞれが持っている資源・持ち味を十分に加味し、互いが活きる新しい概念を導き出さなければなりません。
その為に必要になってくるのは、資源・持ち味を活かし合うだけの、必要十分な理解です。
このことは、自己心理だけの場合であっても、同様に作用します。
自分が自分を否定している状態は、やはり統合はできません。
ユングという心理学者は、人生の意味は自己の内側にあるそれぞれの性格タイプの統合にあると言いました。
その点においては、私も彼の意見に傾倒しています。
また、運命などについてもやはり同じです。
起きてくる出来事が、自分にとって望ましくない場合、多くの人は自分が負うべき責任のないものとして、分離しようとします。
自分には関係のないものとして、運命の被害者となるのです。
その場合、運命に対して逃げ腰ですから、自分の能力が十分に生かされることはありません。
やはり、運命という機会を生かすも殺すも、それはその運命を受け入れ、今までとは違う概念を導き出そうとする姿勢が問われているわけです。
ここまでのことをご理解いただけたらなら、どのような問題であっても、統合という観点を持つことが重要なことだと気づいていただけると思います。
そしてこの統合を起こしていくには、必要な条件があります。
その一つは、統合したい人や物、出来事などについてよく見て理解することです。
決してネガティブな事象だけではないのだと、解釈をし直す必要があります。
次に、それを可能にする為には、ある種の勇気が必要になります。
何でも、自分の解釈に間違いが含まれているかもしれないと思いながら、実際の事象を眺めることは、勇気が要ることです。
しかし、勇気とは無駄に生まれるものでは決してありません。
そのことに取り組むことによって、それまで以上の何かを手に入れられる期待があるからこそ、勇気を出すことができるのです。
ここまでをまとめると、新しい希望に繋がる期待を持ち、勇気を持って現実を見つめ、新しい解釈ができるだけの十分な理解をするように取り組むことです。
その上で、統合の本質である、それぞれの性質とは別の、二つが一つになったときに考えられる新しい可能性についてを想像し、それに従って互いの関係を創造していくのです。
統合を起こしていく条件を満たし、それが可能となってきたなら、本当に多くの問題は解決に向かうでしょう。
事実、私が心理カウンセリングをしていくとき、その殆どはこの考え方に従って解決しています。
そして私が、この統合を阻んでいる最大要因だと思っているもの。
それは男女の性についての問題です。
男性と女性は、本当に相手のことを知りません。
その理由は、相手固有のことである前に、異性が持っている特有のパターンについて、驚くほど知らないのです。
私が最近、講座でも心理カウンセリングでも、よく言っているのは、こういう言葉です。
『その問題は、貴方の問題でも、相手の問題でもなくて、人類共通の問題です』
つまり、性についての悩みは、決して個人的な問題ではなく、人類共通の悩みのネタなのです。
これは恋愛や結婚、性別特有の問題などについてだけを言っているわけではありません。
そもそもの性についての無理解自体が問題を孕んでいると思うのです。
何故なら性について、私のたちの多くは、小さな頃から”隠すべきものであり、決して見せてはいけないもの”として自覚しています。
その前提があるからこそ、性について正面から向き合う事自体、避けることが当然のようになっているのです。
男性が男性らしいとはどういうことなのか。
女性が女性らしいとはどういうことなのか。
それを知らずして、自分は何者なのかを理解することはできません。
そして男性と女性が接するということは、そもそもどういうことができるのか、できないのか。
このことについては、多くの男女が持つ知識も、やはりあまりに貧困なのです。
そういった意味で、これこそが私の持つ今年の抱負になるのですが、男女という生物学的にも心理学的にも社会的にもタブーとされてきた領域に、統合を見出し、伝えていくことこそ、大切なことだと思っています。
男女の統合は、多くの人が本当に悩んでいることであり、そこに希望が見出だせるなら、ここまで取り上げてきた多くの問題に統合を見出すことは、とても容易になります。
男女の話は、それだけで多くの分野を持っています。
生物学的・心理学的・社会学的な自己理解から始まり、出逢いと別れ、恋愛、結婚、性生活、互いの文化と価値観など多岐に渡ります。
そしてそれは、決して男女の話に終わらないのです。
今年のテーマは統合(インテグラル)。
ここからの心匠にご注目いただければ幸いです。
2018年の新年から、男女の旅(正式名称:心を学ぶ講座 男女編)という心理講座を始めます。
心匠が探求し続け、統合の条件として結実した男女の旅。
ご興味をお持ちいただける方は、どうぞその中身をご確認下さい。
講座の説明をご覧いただけるだけでも、価値のある内容だと思います。
私が月数回配信している心の専門家としての、心理と人間関係の無料メルマガにも、ご登録下さい。
イベント紹介なども、こちらでさせていただいております。
↓ご登録はこちらから↓
いつもご愛読ありがとうございます。
改めまして、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
本日は、心匠セラピスト養成講座修了生のオプショナル講座である「心匠コーチ養成講座」2期3回目の授業。
今回のテーマは「タスク管理」。
私達の人生には、いつも「やること」が存在しています。
人がこのことと効果的に関われるかどうかは、人生の質にとても関係しているでしょうし、プロジェクトの進行、業務遂行能力、経営、ひいては家族関係や恋愛などにも影響するのではないかと思わされます。
改めて、このことについて、授業の様子だけでなく、少しここに書き残しておこうと思います。
先にも書きましたが、どんなビジネス上のプロジェクトにも、必ず日々のタスク(やるべきこと)が存在しますし、それだけではなく、どのようなプライベートな項目も、やはりタスクの連続です。
人生はやってやってやるしかなく、やらないという時間は、やはり代わりとなる何かをやっているということになります。
つまり、私達の人生はタスクに埋め尽くされている。
しかし、多くの場合、このタスクと効果的に関われてはいないのが、私達の実際のようです。
人から見れば憧れるような実績を残している誰かであっても、当の本人からすれば、タスクの山に埋もれ、望むようにスケジュールを進捗させられることはできていないことが多いのも、そういった方々への援助やインタビューを通じて、見聞きしています。
そしてここで是非ともお伝えしておきたいことは、この“実際”の方なのです。
私の知る限り、ほとんどの人は、タスク管理がうまくできているわけではない。
なのに、何か実績を残している人は、タスク管理がうまいように、私達は勘違いをしてしまっているのかもしれません。
ここでお伝えしたいのは、それは幻想だということ。
大きくは2つの幻想が存在しているように思いますので、それについて書かせていただきます。
そして何かがちゃんと達成するためには、プロジェクトが効果的な計画性を持って運用され、「plan⇒do⇒see」がその都度効果的に行われ、気分良くタスクをこなせていると思ってしまっている。
でもそれは本当なのでしょうか。
私も、自分の仕事の規模が進捗してきたことはわかりますし、収入も上がりました。
この仕事をし始めた初期には出会えないような人と関係を持てるようにもなり、頼っていただける人の質も上がってきました。
しかし、タスク管理がうまくなったと思えたことは、基本的にありません。
ただ、成長したと思えることはあります。
それはやりはじめの頃とは、こういった文章を打つスピードが違いますし、講座講師では基本的にレジュメなどなしで何時間でもやりきれる知識ボリュームを持つようになりました。
つまり、タスク管理は一向にうまくならないが、専門性の向上と、それにともなう特定分野でのスピードが上がっているだけで、計画性が上がったわけではありません。
ノーベル賞を受賞した科学者や世界経済のトップにいる人達を調べても、そこには注意欠如多動性障害(ADHD)の人が、それなりの比率で散見されますし、そういった人たちが計画性とタスク管理に長けているとは、やはり考えられません。
なのに、どうして多くのことがこなせているのでしょうか。
次に「ちゃんと計画したら、それにモチベーションがついてきて、できるようになると思われている点」についてです。
実はこれはとても多くの援助をしてきた立場として言わせてもらえば、人はちゃんと計画したものを本当にやりたがりません。
これは心理的に言えば、「支配への抵抗」であり、決めたからこそ、心理的抵抗が強まり、やりたくなくなってしまうのです。
私は、「人は誰もがその中心に善を持っている」という性善説よりも、「誰であっても怠慢や逃避、快楽などに流れやすい性質からは逃れられない」とする性悪説の方が実際的だと思っていますし、私自身もそう自認しています。
これについては、随分前にこのブログで一度書いておりますので、久しぶりに見直してみました。
ご紹介しておきます。
⇒ 性悪説こそ真実?
ならば、どうやってこの心理構造に逆行するような、本当はやったら良いのにやれない重要なタスクを進めて行けば良いのでしょうか。
計画性が幻想だなんて、ひどい表現だと、自分でも思います。
その答えは、シンプルに言えば、「計画性=タスクの実行率」という式で論理を繋がないことだと思います。
人の行動原理は、内発的な動機よりも、圧倒的に他者からの強要や、仕方がなくやらないといけないこと(拘束)の方にあるのが実際ですし、単になんか始めてしまったという“理由のないきっかけ”だったりします。
「 内発的動機 < 拘束+きっかけ 」
なのです。
それが実際なのであれば、それを現実的に人生やプロジェクトへ取り入れることはできないのでしょうか。
世に言う成功者や、複数プロジェクトをまたにかけて運用している天才(と呼ばれる人たち)などは、それを自然にやっていると思いますし、そこが今回の授業で行ったところでもあります。
これについては、次のYouTubeライブで、その入口部分をお伝えしようと思ってますので、下部の「こころのミカタ」チャンネルを是非チャンネル登録しておいてください。
次回YouTubeライブは、10月23日(金)21:30〜22:30の予定です。
各内容の詳細は、写真のリンク先からご覧ください。
10月25日からは日曜日の月2回・半年コース(17期)が開催されます。(申込み受付中)
私の無料コラム・心理と人間関係の無料メルマガ・最新イベント情報は、こちらへご登録ください。
現在、コロナ特別支援の動画3本を登録者に視聴プレゼントしています。
YouTubeの動画コンテンツは、こちらからご覧ください。