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- 2020.10.17 Saturday
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- by スポンサードリンク
男と女は違う生き物なのか。
それともその差はあくまで社会・文化的な個人差を言っているだけに過ぎず、誤差の範囲に収まるものなのか。
筆者はこの点、生物学的差がどの程度かは別として、やはり違うという立場をとっています。
そして自分という性を知り、相手という性を知ることは、大いに実際上の生活に好影響があるものと信じています。
今回はその価値について、書かせていただこうと思います。
柔らかな日差しが部屋に入り込み、今日もいつも通りの平穏な始まり。
今朝の食卓に置かれたのは、できたての目玉焼き。
湯気が上がり、胡椒の効いた良い香りが漂う。
妻が夫に「醤油要る?」と尋ねる。
いつも使うものをとってあげようかとの気遣いだろうか。
すると夫は、少し複雑な表情になり、機嫌をそこねる。
よくあることだが、妻にその意味はわからない。
「いつも使うから取ってあげようか聞いてるだけなのに…」
その後、夫が今日の新聞の見出しチェックを終え、キッチンでせわしなく動いている妻に、「新聞読むか?」と尋ねる。
普段妻が新聞を読むことはあまりない。
しかしこれも、夫にとって気遣いなのか。
妻はこう言う。
「貴方、それってもしかして馬鹿にしてるの?」
夫は妻の、わけがわからない怒りに翻弄される。
こちらにそんな意味はないのに。
間もなく夫が定年を迎える。
子どもたちはそれぞれ仕事と家庭を持ち、既に独立していた。
妻が先日、内緒で役所に行ったのは、白紙の離婚届をもらってくる為。
今日も爽やかな朝。
特に何かが変わっていることはない。
先程の物語は、実際にあった話に、多少の脚色をしたフィクションです。
ただ、こういった話は、他の夫婦やパートナー同士にありがちで、象徴的な事柄だと筆者は捉えます。
筆者自身、この手の心理カウンセリングを何度となく経験してきました。
味に関係なく、なんでも醤油をかける夫。
妻がそこに苦言を呈したのは一度や二度ではない。
情報はテレビがメインで、紙で読むのは性に合わない妻。
「新聞読みたいから貸して」などと言ったことなど一度もないのに、いつまでも「読むか?」と聞き続ける。
夫には、昔から自分の知識の薄さを馬鹿にされてきた。
いつになったらちゃんと自分を見てくれるのか。
男女の問題は長年の歴史がある。
それは普遍的なもの。
近年ではLGBTの意識変化などもあり、性について、その境界は曖昧になってきたが、どちらにしても自分がどちらかに性に意識があるのは、大抵の人が自覚している。
男女の問題を解決する決定打は何なのか。
そもそも男女とは何なのか。
少し前に男女は脳の構造がまるで違うという説を展開する本が流行りました。
世界的に大ベストセラーとなったので、ご存知の方も多いと思います。
アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ夫妻による『話を聞かない男、地図が読めない女』です。
この本で言っていることは、男女は"脳"の構造(配線)が違うことによって、情感への印象も、空間認識能力も、論理展開も、まるで違うということです。
この理論は、今でも世界中の人々を魅了しており、この本があまりに売れた為に、それとほぼ変わらないような内容を真似て書いた本まで飛ぶように売れるという事態まで起きています。
この本によれば、
男性は空間認識能力に優れており、車の運転などに向いており、未来・目的を重視することから、問題解決型である。
それに反比例して、情緒の扱いがうまくなく、空気が読めず、人間関係を形成する対話能力が低い結果、気持ちを相手に伝えることが不得手。
女性は同時進行でマルチタスクを行うことに優れており、育児と料理などを同時に行える。
また感覚は今起きていることを重視することから、結果として生活を充実させることに秀でている。
やはり男性同様、その能力に反比例するものがあり、関心が生活や趣向に集中しがちで会議などで目的を見失い、自分たちの満足度や利便性に話を固執されやすい。
などなど、とても多くの性差を伝えており、どれも日頃見てきている男女差に重なって見える為、読んでいてそれなりの信憑性が感じられるという側面はあります。
その半面、男女には決定的な差は見られないという説もあります。
(出典「パスツール研究所」wikipediaより)
フランスにある生物・医学研究の第一線を走るパスツール研究所の所長カトリーヌ・ヴィダル氏は、上記のような男女差を真っ向から否定しているようです。
(出典「脳梁」wikipediaより)
彼女が言うに、男女の脳に違いがあると言われた根拠は、「脳梁(右脳と左脳を繋ぐ橋)が男性の脳に比べると、女性の方が1.3倍程太かった」という話だという。
しかし、この説は、まだ生きたまま脳を観察することができなかった時代に、100体前後の御遺体の脳を解剖して得られた結果だとして、現代のMRIなどにより、多くの生きた"脳"を観察する研究によって否定されたそうです。
脳の構造において、男女に差はないのが現在の通説なのだとか。
同氏による著書『脳と性と能力』では、男女差を訴える学説などのいかに無意味で危険なことなのかを、痛快にバッサリと切り捨てており、こちらもまた知的で新鮮な驚きを与えてくれます。
日本で同説を根拠に男女脳の機能差をうたってきた黒川伊保子氏という男女脳の専門家などは、困った反証をされてしまったと言えるかもしれません。
彼女は右左脳のつなぎが良い女性は天才脳、つなぎが悪い男性は鈍感脳とさえ表現してますので、男尊女卑に対する逆説を唱えようとしていたのでしょうか。
上記ヴィダル氏の発言は、私自身、心理カウンセラーとして生物学的な根拠が欲しかったが故に、黒川氏を支持してきた私にとって、ショッキングなニュースでもありました。
こちらの本などは、その書き方から言っても、いかに男性が女性を理解することに失敗しているかという論調ですので、表現は全体的に女性優位です。
その意味で決めつけた表現を嫌う人にはちょっと読みづらいところもありますが、筆者としては当時随分参考になりました。
(筆者の私見として、日本のビジネスの社会はまだそういった表現が必要な程、男性優位志向だと感じる点が多いかったからです)
脳の構造を男女差の根拠とするという点を除けば、それなりに読み応えはあります。
上記二つの意見は対立しており、互いが認め合おうという話には至っていないようです。
もう少し情報を付け加えますと、パスツール研究所のヴィダル氏は、脳は可塑性と言って、同じようなことを感じ続けたり、し続けれたりすれば、その部位が多くの刺激を受けて発達する傾向があると言います。
それを根拠に男女の脳による差は、個人の生きてきた歴史がつくるものであり、育った文化によって受ける影響が強く、男女それぞれが自分の性を自覚するのは2歳半くらいからだとメディアの取材に答えています。
簡単に言えば、生まれた時から男の子には男らしく、女の子には女らしく育てるから、そういう性差が生まれるだという主張です。
私達が性差だと思っているのは、単に意識的な育て方の違いであって、実際の性差ではないと。
この点、筆者はたしかにそうだとも思うし、そうとも言い切れないとも感じています。
この写真を見てみて下さい。
水鉄砲に集中する男の子と、その子を見ている女の子。
もちろん、一枚の一瞬の写真で何かを証明できるとは言いません。
ただ、こういう光景は、筆者自身も自分の子どもの保育園や公園などでよく見かけましたし、ある意味、男女の差を伝えているとも感じられます。
物や身体を動かすことに興味を持つ男の子、人と共に過ごし話すことに興味を持つ女の子。
また別の一面もあります。
自分がやっていることを見て欲しい男の子と、思っていることを聞いて欲しい女の子といった感じでしょうか。
こういったことは大人になっても続きますし、生物学的にどれほどの差があるのか、ないのかという話とは別に、少なくとも男性文化と女性文化には差があります。
こういったことは全世界的にも多くの人種で共有されている男女差であり、それが単に文化差だとしても、その影響を受けている人工は相当数に及びます。
ならば、本当に男女に差がないと言い切れるものなのでしょうか。
別の根拠を探せば、男女には、生まれてからの生育環境だけでは測れない差があるのは明らかです。
先ずついている性器が違いますし、基本的には乳房が大きくなる男性も居ません。
全世界の男女を平均化すると、やはり男性の方が筋肉は多く、女性の方が少ないです。
世界的な統計では、男性は自分の体重の2倍までの重さを持つことが可能だと言われ、女性は体重の2分の1までしか持てないようです。
男性の方が背中の皮膚は女性の4倍厚いこともわかっており、男性意識としての鈍感さと、女性意識の繊細さにも関連がありそうです。
脳には違いがなくとも、やはり生物学的差があるのです。
また、母親の胎内の動きを3D映像によって観察すると、多くの男の子の方が手足を強くバタつかせますが、女の子は胎内で既に口がよく動いています。互いに、その反対(異性)の性質はあまり持っていません。
その意味で、男の子と女の子を両方出産した経験のあるお母さんが、二人のお腹の中の動きが違ったと答えることの多さも頷けます。
アンパンマンに登場するアザミちゃんというキャラクターは、お花を愛する心優しい女性ですが、相手の心をグサグサと指すトゲトゲしいことばを使って、バイキンマンにさえうろたえません。
人間関係に強い女性的価値観を象徴しているのでしょうか。
もっと言えば、成人した女性と男性を比べると、日常におけるホルモンバランス差は、1ヶ月単位で計測すると、男性で400%ほどしかないのに対し、女性は実に8000%もの変動を起こしています。
男性にとって、女性の遥かに大きい内的変化を体感することは難しいでしょうし、女性にとって男性の無感覚さを体感することも難しいでしょう。
それぞれ異性になれる特殊スーツなどが開発され、着てみれば良いのですが。
更に男女の脳の温度を図る研究では、男性の脳は休憩時に9割ほど活動を停止しているのに対し、女性の脳は活動を停止すること自体あまりないようです。
そういった点から考えると、男女には見た目以上に、機能的な差が見受けれられます。
男女差がどのようにあるのかを探求している筆者にとって、ここで挙げられることはごくごく一部でしかないのですが、こういったことだけでも、男女はやはり明らかに違うようです。
では何故、世界的な生物学研究の象徴とも言えるパスツール研究所長が、男女差はないと言ったのでしょうか。
筆者の解釈でここまでをまとめると、こうなります。
ヴィダル氏の言っているのは、"男女の脳は構造的に差はない。つまり男女に差はない。"ということ。
そしてアラン&バーバラ氏や黒川氏の言っているのは、"男女は違う。その理由は脳構造によるものだ"。ということ。
どちらもどこか片手落ちのようです。
ヴィダル氏の脳構造において差がないというのは恐らく事実なのでしょう。
その点ではアラン&バーバラ氏、黒川氏などは改める必要がありそうです。
しかし、男女は違うという点で、脳の構造に差がないことだけを根拠に、男女差はないと決めつけるのも、随分強引な解釈な気がします。
科学的根拠だけを見て、人間を見ようとしない姿勢に感じられなくもありません。
ただ、彼女がそれだけ男女差を認めないことを重視するのには、それなりの背景を感じるのも確かです。
それは"差"によって、人権被害が歴史的に多発してきたからなのでしょう。
その意味で、積極的に差を感じさせるべきではないという主張は、たしかに大切なのかもしれません。
近年では、男尊女卑の世界的歴史を覆すように、女性の復権が目立ちます。
女性の起業が目立っているのも歴史的に説明がつきますし、男性だけで家庭の経済が間に合わない雇用形態の不安定さも関係ありそうです。
差について言えば、男女だけでなく格差是正に関し、世界の人権団体などはその努力を怠りません。
数十年前遡るだけで、人類は支配者と奴隷という社会構造を保持してきてのですから、差を強調することは危険なことだとわかります。
その点、筆者としては、こう考えます。
差はあってもなくても、人々は同権だ。
しかし、同権であることと、同質を混同してはいけない。
差を正しく理解することは、互いの強みと頼るべき点を知り、もっと大きな単位での幸福に活かせる学びです。
相手にない強みを持って役に立つことは、自分に生きる意味を教えてくれるでしょうし、相手にない弱点を知って依頼することは、相手に存在の意味を与えることができるかもしれません。
たとえそれが男女という異性であろうとなかろうと、自分にとって異質だと感じる相手は存在します。
そういう相手と共に生きたり、共に仕事をしようとするなら、相手を理解し、自分も同じようにしてみることは大切です。
ただ、近年のコミュニケーションによる対策は、この点に偏りすぎていると感じるのは、筆者だけでしょうか。
この写真は、日本近海の親潮と黒潮という寒流と暖流を分ける境目であり、潮目と言います。
実はこの二つの流れ、潮目で温度が混ざることはありません。
暖流は上部に上り、寒流は下部に沈むのです。
科学の世界も、ある時期までは"全てのものは結局混ざり合って何も個性のない世界に向かっている"と信じられていた時代があります。
これを混ざり値(エントロピー)増大の法則と言います。
コーヒーにミルクを入れると徐々に混ざって違いがわからなくなってくる現象です。
しかし、上記の潮目を見てみても、互いが混ざり、同じようになることだけが、生命を存続させる力なのではないことを地球が証明しています。
海は混ざらず、立体的に重なりあって、命を育んでいるのです。
現代では、科学もそれを認めています。
この宇宙には、混ざって個性を奪う力と、混ざらずに互いを維持する力の両方が存在しているのです。
筆者にとってこのことは、地球が"個性は失うだけが答えではなく、またそれを他へ強迫することも、幸福の答えではない"と伝えているように感じます。
男女というわかりやすい異性質が、世界・家庭に存在していることは、私達が生きる在り方を、示してくれているのではないでしょうか。
そしてその答えは、統合にあると捉えます。
統合とは互いが同質になることではありません。
個は生かされ、全体は相乗効果を持つ。
その先にはこれまで見えなかった新しい未来がある。
それが家庭にも、カップルにも、職場にも、この社会全体にも構築していければと願います。
筆者の主催する事業、オフィス・コミュニケーションズでは、心を学ぶ講座という一般向け心理学講座を提供しており、そのこだわりは実際生活に意味のないものはお伝えしない厳密さにあります。
常時少人数制で語り合いながら学ぶスタイルは、講師が一方的に受講者に伝える一方通行の学びに比べ、知識として以上に、自然と見について行くことを目的としています。
心を学ぶ講座 統合編〜男女の旅〜は、月に1回を5ヶ月間行う本格講座ですが、8月4日(土)12:30〜16:30には、その体験講座を行いますので、単発参加が可能です。
講座詳細は、上記画像をクリックしていただけば、ホームページが表示されます。
そのままお申込みも可能です。
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イベント情報のお知らせやブログ更新情報と共に、週1・2回程度、皆様の日常に役立つ心のお話が配信されます。
長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が興味深く読んで頂いた方は、こちらの記事もお気にいっていただけるかもしれませんので、紹介しておきます。
JUGEMテーマ:男と女
近年、数十年間信じられてきた男女の脳の差は否定された。
この件は、以前の記事を参照⇒『男と女は一つになれるのか』
しかし、男女に生物学的に違いがないということはない。
もちろん、その違いを人権の差にするなどもっての他であり、男女は間違いなく同権が推奨されるべきだろう。
しかし、無くすこともできない"違い"について、私達はどう考えるべきなのか。
男性に女性器はなく、男性に女性器があることもない。
たしかに人間は心理・社会・文化の影響が強い動物な為、精神的に性別を凌駕することはあるだろう。
『LGBTに生産性がない』などとは、間違っても言ってはいけない。
ただ、その場合といえども、やはり持ってしまっている性器が示す性は、何かと悩みの種にもなる。
そしてこの性器と性ホルモンの関係性は深く、無意識・潜在的にやはり男性に男性ホルモン(テストステロン)は多く、女性に女性ホルモン(エストロゲン)も多い。
もう一つの女性ホルモンである妊娠・出産への関連が深いプロゲステロンなどは、そもそも男性にない。
男性ホルモンが多い方が、苦味への適応性がある為、ビールが美味しく感じる。
女性ホルモンが多い方が、甘みへの適応性がある為、カクテルの方が美味しい。
丸いものを可愛いと感じるのは、プロゲステロンの影響が強いらしく、女性の方が赤ちゃんなどに可愛いと感じる度合いは強い。
やはり大きく言えば、誰でもわかっている男女の違いはある。
そこには生物学的な理由が存在する。
こういったことは言い過ぎると問題にもなりやすく、筆者も公開されているブログで書けることが多くはない。
筆者が最近力を入れているのは、男女の違いを深く深く知ることのできる講座運営。
その名も、心を学ぶ講座 統合編〜男女の旅〜。
統合編と名付けた理由も、私達人間は男と女で成り立ち、こういった二分されたものは、心理や文化、学問、政治、科学、哲学に至るまで、多くの分野で見受けられる。
こうしたこの世を分ける二分されたものと、私達はどう生きるのか。
そもそも男と女はどうして違うのか。
そういうところから深く知り、人として本質に適う生き方を手に入れていただきたいと願って開催している。
数日前に3期が開講されたので、そのFacebookからの投稿をシェアさせていただきます。
【男女を知ることは、人間関係の根を知ること】 ・女性を苛立たせたり、距離を置かれる理由がわかりました。 ・男性に伝わらない意味がわかってきました。 ・仕事に生かせると思ってきましたが、自分達の生活にすごく関係してる気がしてきました。 ・相...
心匠 上野大照さんの投稿 2018年8月5日日曜日
講座詳細は、下記画像をクリックしていただけば、ホームページが表示されます。
次期開講は、土曜コースでは2019年1月からとなります。
平日でも受講希望という方は、こちらの無料受講相談先からお問い合わせ下さい。
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ご愛読感謝いたします。
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