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- 2020.10.17 Saturday
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少し前になりますが、私が現在唯一所属している学術団体・日本ブリーフセラピー協会の第9回学術大会(会場は福岡)へ参加させていただきました。
そこで私が感じた点につきまして、記録として残しておこうと思います。
この記事で初めて心理カウンセリング手法の一つであるブリーフセラピー(短期療法)を知る方もいらっしゃると思いますので、ブリーフセラピーとは何かという記事も紹介しておきます。
ブログ記事:ブリーフセラピーとは
簡単に言ってブリーフセラピーとは、相談者が抱える問題の早期解決を重視する手法であり、精神性が尊ばれる心理の世界では少数派であり、異端として扱われることもあります。
何故早期解決を重視することが異端とされるのかは疑問に思う方も居るかと思いますが、心理の世界は長年、相談者が苦しみをどのように理解しているのか、それについて何を思うのか、それをどうやって援助者が共感できるのかという点を重視してきたことが理由なのだと私は捉えています。
簡単に言えば、精神性を尊んでこそ心理問題の援助であり、単にその問題が今なくなってだけでは、根本的な問題は何も変わっていないと思われているからなのでしょう。
私もそういった精神への時間をかけたアプローチも持っていますので、そちらを一概に批判するつもりはありません。
ただ単に、そういった理由でそう扱われているのだという点だけを今はお伝えしておきます。
今回の学術大会で特に感じたのは、次の3点でした。
「ブリーフセラピーの基本哲学は、プラグマチズム(実用主義)にあるということ。」
これについては、後程もう少し詳しく書きます。
「真のブリーフセラピストは、やることと結果にズレがない」
もう一つは、やはり、
「技術を見て人を見ずでは、失敗するということ」
です。
ではそれぞれの観点について、解説します。
心理学や哲学に普段触れていない方は、プラグマチズムと言われても、耳慣れない表現だと思います。
これを簡単に説明すると、
『役に立つものであればなんでも良い』
という思想です。
プラグマチズムを実践する人(プラグマティスト)にとって、どんなに正しいと言われていることであっても、役に立たないと思われれば、それは無用の論理であり、実際に役に立つものであれば、それは正しいものだとして扱います。
その意味でブリーフセラピーは、問題の早期解決に役立つものであれば、その手法を採用するし、そうでないなら即座に取りやめるというのが、基本的なスタンスなのです。
ごく一般的な視点で、この記事を読んでいただいている方からすれば、そんなことは当たり前だと思うのではないでしょうか。
しかし、実際には心理学の世界だけでなく、この世界の多くの分野が、プラグマチズムではないもので運用されています。
例えば、その代表的なものとして、何でも情報は詳しい方が良いとする考えに対し、私の師の一人であるブリーフセラピスト若島孔文先生は、こういう表現をされていました。
Google Mapによって、今は世界中の航空写真まで見れるようになった。建物は全てが詳細に地図で確認できるようになった。しかし、一昔前の簡略したイラストの地図の方が、かえって見やすくて、現地へたどり着きやすかった。
これは現代医療にも言える観点で、病気を治す為に専門領域は歴史を追うごとに細分化され、人の身体と心を全体的に見るという視点を失っていったという指摘もあります。
私達が使うブリーフセラピーという心理学で言うなら、「私はダメな人間なんです」という相談者に対し、『そうですか、それはよほどダメなんでしょうね』と返すことがしばしばあります。
これは全くのユーモアであり、言い方を間違えさえしなければ笑いが起きやすいのですが、そういう人に対して大抵の人は、「そんなことないよ」と返さないといけないような風潮があります。
これもまた、プラグマチズムから外れる思想なのはもちろんで、こういったものを総じてポリティカリー・コレクトネス(道義的に正しい思想)と呼び、実用主義から見れば、反対に位置するものです。
この風潮通りにすれば、多くの場合、「いや、どう考えても、私はダメなんです」と語気を強めてしまったりすることが多い反面、前者の表現をすれば、「そこまで言わなくても…」と話題を別の方向へ逸らすことに成功しやすいものです。
その意味で言えば、実際には実用的だとしても、それを本当にやるという点で、ブリーフセラピーは驚かれたり、異端視されたりするのだろうと思います。
もちろん、道義的に正しいことに重きを置く相談者には、通じないわけですから、プラグマチズムを信奉する人間であれば、そういった手法が通じない相手には、逆に戻さないといけなくなったりするわけなのですが…
そして今回の学術大会では、これこそがブリーフセラピーの基本哲学なのだと、原点を大切にしていこうという提言があったと私は捉えています。
東京都の三楽病院精神科科長の佐藤克彦医師とは、個人的にそのことで盛り上がりましたし、彼のプレゼン発表においても、そのことを重大に取り上げていて、心打たれるものがありました。
そしてブリーフセラピーの究極的観点について、まだ自分は軽視していたことを痛感しました。
それは、「真のブリーフセラピストはやることと結果にズレがない」ということ。
これも、心理学に限らず、どのような分野であっても当たり前のような表現なのですが、これを実現できてないことが多いのもまた多くの人が知るところでしょう。
この概念をもう少し説明すると、
自分がやっていること(期待) = 結果
という方程式でつなげれば、自分がやっていることは「式」であり、結果は「答」となります。
両者は同じものとならなければなりません。
しかし、私達のやっていることには、多くの場合、誤差やエラーというものが生じます。
いくら論理としてそうなる筈のことをやっていたとしても、やはり実際にそうならなければ、それは方程式が成立しません。
プラグマチズムはそれをとても大切にしている概念だということになるのですが、その実際例はこういうことです。
スポーツで言えば、一番強いチームが優勝する…はずです。
しかし、実際にそうなのでしょうか。
強さをどう規定するのかにもよりますが、選手の体調やストレスなどによって、真の強さは変わりますし、観客の応援などが左右することもあれば、相手の出方が意表をつくものであれば、驚いているうちに負けるかもしれません。
ベトナム戦争でアメリカ軍が惨憺たる状況となったのも、単純な「軍事力=強さ」とはならかったのは明らかです。
さらに、スポーツの中でも芸術競技となった場合、そこには評価者達の採点によって結果が出ますから、さらにその強さが何なのかは、選手の技術や精神力だけとは言えない何かが働きます。
この、「結局のところ結果がどう出るのか」というものを見越して、戦略を練る姿勢が、ブリーフセラピーにはあるのです。
それは、現実として起きていることを重視するところを戦略の基としているところに起因します。
例えば、心理的な症状の一つに「うつ」というものがあります。
簡単に言えば、気分が思うように扱えないという症状なのですが、これが今の症状にうってつけの薬があったとして、すぐに効いたとします。
入院中にそれが奏功したので、退院して家族のもとへ帰ります。
すると、やはりそれほどの時が経たずして同じ症状で入院してくる。
そういうケースであれば、それは薬の調整もさることながら、家族間で起こっている何かや仕事に注目を向けることになるのかもしれませんし、仕事との関連が深いのかもしれません。
しかし、そのときに重要なことは、「何かが悪い」というようにしないこと。
結果とは、何かの繰り返しの中に起きていることであり、それが良いとか悪いとかということは、その繰り返しを止めれるのかどうかとは関係ありません。
「悪い」という概念は、多くの場合、心理治療が進むことを阻害します。
タバコをやめたいという人に、タバコがいかに健康に悪いのかを聞かせると、それがストレスとなって、そのストレスを解消するためにタバコを吸いたくなるというサイクルは、それを物語っています。
私も、子どもの不登校で困っていたお母さんが、自分と子どもの関わりをどうしたら良いのかとばかり考えていたところへ、学校と相談してみたら、友達が朝迎えに行くように声をかけてくれたことで、毎日登校するようになったという事例もありました。
事例はまだまだありますし、解決した事例の多くは予測とは反対のアプローチを取ったことでものだったりするので、この点については、近々、私のメルマガで公開しようと思っています。
この概念を文字で十分に説明することは難しいところなのですが、本当に重要なことだと、あらためて感じた次第です。
そしてももう一つの視点なのですが、これは大会の目玉の一つ、B-1グランプリ(ブリーフセラピー支部対抗選手権)で特に感じたことでした。
B-1グランプリとは、全国の同協会支部が競い合い、一つの相談事例を複数のカウンセラーで対抗試合をするという画期的なものです。
心理カウンセリングは壁の内側で守秘義務に守られたものとして扱われているkの業界にとって、あまりない試みだろうと思います。
ガラス張り(ビデオ共有)で、全員が部屋の中を見れるのですから。
そのある意味試合の生中継を見ていての感想なのですが、相談者に対して、セラピストがあまり合わないような質問をしてしまったときに、全国共通の傾向を感じました。
それは、相談者が無意味さを意味するような表情や発言をしたときに、セラピストが「あ、これは的はずれな質問でしたね」というような配慮をあまりしていないように感じたのです。
もちろん、会場に居る100名以上の人に見られたカウンセリングですから、本領は発揮できていないのでしょうし、そこまで求めるのも酷だとは思うのですが、やはり、相談者は空気が暗い中なので、あまり能動的な発言は出なくなります。
心理カウンセリングは生の対話ですから、いくら相談者であろうと、自分が空気を重くしてしまうと、セラピストに対して悪いことしてしまったと感じるのが通例です。
セラピストは、そこを自分から積極的に「場に対しての配慮」が必要なのであり、やはりそれが一番うまくできていた方が、今回優勝となったように私は感じました。
結局は、正直な気持ちをうまく引き出しながらでないと、話は進まなくなるんです。
そんなことはカウンセリングでなくても同じだとは思いますが、案外、これを心理カウンセリングの世界ではできていないのではないかと、他の対話手法と併せて考えてみても、感じるところです。
こんなことを言う私自身はどうなのかと、心配にもなりますが、もちろんこれは自戒を込めたコメントです。
セラピストはやはり、「木を見て森を見ず」しかり、
『対話技術を見て、相談者を見ず』
ではうまくいかないわけです。
翌日の研究発表でも、今回はそういったケースの発表が相次いでいました。
こういったブログ記事をアップすることが、私の協会内での地位を悪くしないかという心配はありますが、そこはポリティカリー・コレクトネスに反して結果を重視することを大切にしている団体ですから、お許しいただきたいと思います(笑
とにもかくにも、福岡大会は、都心から随分と離れたところで開催したにもかかわらず、協会関係者、大会長、スタッフ達の頑張りで、とても盛況でした。
本年度のNFBT学術大会も無事終了しました。最初は、「なかなか人が集まらないかもしれないね」なんて心配はどこかに吹き飛んだ大盛況!!!!ご参加いただいたみなさま、ご協力いただいたみなさま、今回はお越しいただけなかったみなさま、本当にありがとうございました!! pic.twitter.com/8bBmJKQwCY
— 日本ブリーフセラピー協会 (@brief_therapy) 2017年10月23日
来年は、学術大会10周年記念として、特別企画が目白押しなようです。
どうぞ、ご注目いただきたいと思います。
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