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セラピーを受けたい人は…
(心理カウンセリング)

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    [運命] ブログ村キーワード
     
    ベートーヴェン

    ベートーヴェンという人は、自ら「運命」という曲を残したほど、その運命は壮絶だったようです。

    音楽家として作曲を手がけつつも、最高度の難聴だったという彼。

    音を聞くことができない彼が残した音。

    「運命」という表現は、彼にとってどう映っていたのでしょうか。

    そして今回は少し変わった題名かもしれません。

    運命という言葉で辞書で引けば、こんなふうに書いてあります。

    「人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。」

    運命とは、人間の力を超越しているものという定義ですから、既に決まっているものであり、自分で加減するというのは難しいことなのだと思います。

    心理カウンセリングをしていると、それは本当に可愛そうだ、不遇だなと思えることは多々あります。

    どうしてそうなってしまうのか…

    そんな運命、味合わないで済む人もたくさん居るのに…

    そんなふうに思うこともしばしばです。

    しかし、人は運命をどのように感じているのでしょうか。

    私は「出来事」の積み重ねだと思っています。

    人はいつも出来事を通じて、運命、つまり幸不幸を感じているのです。

    ということは、出来事がそれぞれの人生を決定づけているということになるのでしょうか。

    私はそうは思いません。

    出来事は同じようなものであっても、人によってその受け取り方が違うものです。

    もちろん、出来事をどのように受け止めるのかは本人の自由であり、私がどうのこうの言えるものではありませんが、この出来事を本人がどう扱っているのかが、私は人の幸不幸を左右していると思っています。

    どんなに厳しい現実をつけつけられようと、それを糧として次の何かに備えようとする人も居れば、ちょっと嫌なことがあるだけで、全てを投げ出してしまおうとする人も居るのではないかと思うのです。

    一つの出来事だけで人生は左右されるものではありません。

    もっと連鎖的な出来事の連なりが、結果として人生を形作っているのです。

    だとすると、どんな出来事の連鎖を引き起こしていくのかが、人生を決めてしまっているのでしょう。

    一つの出来事であれば、それはもちろん本人に責任はないでしょう。

    しかし、その出来事とどう向き合い、次の起きる同じような出来事に対して、どう備えるのかは、本人に選択の自由があります。

    私は以前、よくこういう表現を使っていました。

    貴方が今対峙している◯◯は、貴方の人生を決めてしまうことはありません。

    その◯◯と貴方がどう関わるのかによって、貴方の人生が決まっていくのです…と。

    これは私が敬愛するヴィクトル・フランクルが生み出した心理学「ロゴセラピー」を前提とする概念です。

    フランクルは言いました。

    「人生に意味などない。人生が貴方にどう生きるのか問いかけているのです」と。

    それを私はそのまま出来事に変換しています。

    私はいつもこう考えます。

    「出来事に意味などない。その出来事と貴方がどう向き合うのかによって、今後の貴方の運命を分けるのです。」

    これは運命に依存するのか、運命の主体は自分だと受け止めるのかの違いだと思います。

    人が出来事を通して、自分の運命を悟っているなら、「今ある出来事を通して、次のどんな出来事に繋いでいくのか」と考え始めたとき、人は運命を自分で加減できるのではないか。

    そんなふうに思うのです。

    「出来事に対する態度」

    「選択の自由」

    こういった豊かな人生を目指し、必要とされる心構えや知識。

    そんなことを、今後一層書き綴っていきたいと思っています。

    今回は自分にとってその皮切りと言えるものです。

    そして自己の人生や存在について、冷静に見つめることができるようになる技術。

    その一つが瞑想だと私は捉えています。

    今月、私が主催する瞑想講座は1月16日(金)19〜21時。

    会場は大阪市阿倍野区のオフィス・コミュニケーションズです。

    詳細はこちらのホームページをご覧ください。

    1月度 瞑想講座

    今回参加できない方も、2月の日程が決まっております。

    2月20日(金)19〜21時 

    お待ちしております。

     
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      人の繋がり

      私を注目して見て下さっている人たちが、どうして注目して下さっているのか、私はある程度知っています。

      それは決して私自身のことではなく、私が研究してきたものと、それによって得た「独自の視点」があるからです。

      私はそもそも末期がんや難病の人たちを治療する現場から、心理研究を始めるに至りました。

      その人たちには皆、「家族やご自身にとって大切な人間関係」があり、病気の有無に関係なく、その人達とどういった関係を築いているのかによって、生きている満足度がまるで違うように見受けられていました。

      そのことは、死を迎える直前にある人たちでも、同じことが言えました。

      その意味で、私にとって「死」という大きな恐れに繋がるイベントも、必ずしも恐れる必要はないのだと思えるようになったのも事実です。

      死を恐れるよりも、「どのような死を迎えるのかを見定めて生きること」が大切だと思えるようになったのです。

      そして、何が独自の視点となっていったのかと申しますと、人に起きていることを、当事者である一個人だけの原因で捉えないという点です。

      私が傾倒している心理療法にブリーフセラピーというものがありますが、この考え方の基本には次のように記されています。

      「病理はコミュニケーションによって維持されている」

      というのです。

      これを説明しますと、長く続く症状には、それを続けてしまうだけの理由が存在すると言ったら良いかと思います。

      例えば風邪を引いたとして、季節の変わり目で、そのときたまたま身体を冷やしてしまったところが原因だったとしても、その後いつまでも治らないのは、また別の理由があるということになります。

      その「理由」というのが、「誰かとの人間関係」にあるという視点です。

      安易な表現で言えば、風邪を引いてしまっても、自分を心配してくれないようなことが続くと、もっと症状が強くなったりするとも言えますね。(もちろん本人にとっては無意識的なことで、実際はもっと複雑です)

      私はそれまで、「【人生の質】は誰と共に、どうやって生きるのかが決定づけている」と思っていたので、この概念を知って随分と納得したのを覚えています。

      そしてこのことを皮切りに、私の研究は「人の知」とはそもそもどのようなものなのか、どこから生まれ、どのようで在るべきなのかという学びに没頭するようになりました。

      ある意味、「人間とは何者なのか」という研究とも言えると思います。

      それも一個人の研究である脳科学や心理学ではなく、人と人、人と自然、人と科学などの「繋がり(関係性)」という独自の視点から見た研究です。

      そしてこの視点の研究を、いつまでも飽きさせない歴史的論客がいらっしゃいました。

      それがグレゴリー・ベイトソンであり、科学と哲学を融合した文化人類学(認識論)という分野で知る人ぞ知る「知の巨匠」と言われた存在です。

      この人は、日本では専門分野の人にしか知られていませんが、実は1950年代以降、世界の科学前進に寄与した世界的科学者です。

      そして彼がこの世を去る1980年まで、研究し続けた分野があります。

      それがなるものの認識論」という分野であり、人が神や自然、宇宙という言葉で語っている生命の神秘を、科学的に解明しようとしたのです。

      その研究はあくまで仮説的ではありましたが、彼の死後、その娘で同じく文化人類学者となったメアリー・キャサリン・ベイトソンによって「天使のおそれ」という本となって、出版されました。

      私はこの本の存在を知り、その解明にとりかかりました。

      しかし、この本を理解しようと思うと、大きな壁が何度も訪れました。

      私が学んだことのない前提となる深い知識が必要とされることが何度となくあったのです。

      その分野とは、ベイトソン特有の説明法への慣れ、ユングが物語ったプレローマとクレアトゥーラという精神と物質の区別、進化と成長の違い、科学と宗教の歴史、サイバネティックス、社会構成主義、人間コミュニケーションの分類、瞑想や催眠などで、不学な私には、それぞれを学ぶうちに気づいたら3年という月日が流れてしまいました。

      学術書などの専門書をそれほど学んだことのなかった私にとって、こういった学びの一つ一つが重たい課題としてのしかかりました。このことは「これらの一まとまりとしての学びはいつになったら終わるのか」という焦りも生んでいきました。

      しかし、その学びは一つずつが大きく生かされ、細かな知識が集積し、結果として「知の巨匠は、その一生を通して何を目指していたのか」を知るに至りました。

      それが「この世界の構造(知)に伴った私達人間という生命が持つべき生き方の指針」を打ち立てることだったのではないかということです。

      ベイトソンは、世界の構造を知る為に、科学とは何か、宗教とは何か、文化とな何なのか、成長や学習とは何なのか、そしてそういったすべてを繋ぐ理屈を仮説立てると何が出てくるのかという論法で、科学的に生命の意味を探求していきました。

      根拠のわからない宗教的な前提ではなく、科学という分析的な世界から見えてくる「聖(神)」という仮説を導き出し、私達がモデルとすべき生き様が見えてくることを狙っていたのだと思います。

      ベイトソンは、天使のおそれという著書について、その意味を一言で言っています。

      それは「人生の優美さの研究である」と。

      私は彼が生涯にわたって研究し尽くした「聖」、そして「優美に生きる」という意味を仮説的にではありますが、解釈できるようになりました。

      そして私が3年を要したこの研究成果を、この年末にワークショップとして提供させていただくこととなりました。

      題して「2016美しき人生を創造するワークショップ」

      詳細はこちらの画像をクリックして、ご確認ください。
       
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