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(心理カウンセリング)

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    段々年末に近づき、2017年も暮れてこようとしています。

     

    このブログも既に書き始めて633記事目だそうです。

     

    訳あって消した記事などもありますので、そのまま残っているわけではありませんが、書き始めた2009年からの軌跡がここにあるのかと思うと感慨深いものがあります。

     

    ブログとは、ある種の個人主張を大切にするメディアだと思いますので、あくまで私が感じているものということで書こうと思うですが、今回は「人本来の生き方って?」というテーマについて、私なりの提言になります。

     

    それなりに長くなりますから、もしかすると、途中どうしてそんなことを言っているのかと、読むのがしんどくなる方もいらっしゃるかと思いますが、こういったテーマに興味を持つ方であるなら、決して無意味なことはないと思いますので、何とかお読みいただきたいと思います。

     

    そもそも『人本来』って何だろう

     

    先ず、『人本来』という表現は何を意味するのでしょうか。

     

    人本来の生き方とは何か

    (写真出典 カラパイア

     

    本能的に生きれば良いということを意味するようにも思いますし、人間としての尊厳を守って生きていきましょうと言っているようにも感じます。

     

    また、人は人間関係というものの中に生きていますから、その意味では周囲の人と調和して生きていこうというテーマに沿うものとも言えるのかもしれませんし、周りに合わせることよりも、個人が主体的に気持ちの趣くまま生きるのだと主張する人たちも居ます。

     

    昔と今とでは大切にしている思想も変わってきていますから、時代性を意識した方が良いのか、逆に歴史に一貫した何かを重視すべきだということもあるでしょう。

     

    そのどれが大切なのかを決めるという議論も、私としては何か偏ってしまう気がしますし、このことへの答えが人としての生き方を理解できることになるのではと思い、そのまま筆を進めさせていただきます。

     

    どれも人であることに変わりはない

     

    そして、その答えを私なりに(簡単に)言えば、そのどれもを包含したものであるということだと思います。

     

    本能とは、まとめてしまえば人としての尊厳も、周囲との調和も、主体性も、時代性も、歴史において変わらない何かも、どれも人の中に無いのであれば、意識できないでしょうし、結局はそれを全て含んでいるのが本能なのだと、私は感じます。

     

    我慢した顔

     

    その意味では、個性の生き様にばかり的を当てるセラピストや教育者は偏っていると感じますし、従来の集団教育を意識した我慢が美徳のような感覚も、今やあり得ないでしょう。

     

    協調性

     

    人類の歴史を俯瞰すると…

     

    このテーマを考える時に、私としては外せない前提があります。

     

    それはこれまで人類が生きてきた歴史です。

     

    私はこれを語る為の根拠として、難解な科学史書でもある『デカルトからベイトソンへ〜世界の最魔術化〜』という本をよく学びましたし、それを物語として学びやすいのは、『聖なる予言』という90年台の小説だと思いますが、ここにその要点を書いてみようと思います。

     

    人類の歴史は約100万年とも言われますが、実際に記号や文字などがあって、意志が明確に汲み取れる歴史は数千年しかありません。

     

    予測として言うなら、それまでの人類は常に死にさらされ、他の動物と大きな差のないレベルであったのではないかと感じています。

     

    狩猟

     

    そして象形文字などから始まる代替的なコミュニケーションを手に入れた時代から、文明を築き、私達が知る歴史というものとなっていきますが、この歴史を千年単位で意識すると、見えてくることがあります。

     

    多くの場合、私たちは自分たちの環境を千年単位などで見ることは少なく、自分の人生だけの数十年で見てしまいがちです。

     

    しかし、それではやはり、人本来というキーワードは読めてこないのです。

     

    ここでは是非とも、少し遠い話になりがちですが、そこを意識してみていただきたいと思います。

     

    文明は近代までに3段階を経ている

     

    紀元前5世紀あたりになって、天候の恐怖や肉食動物との闘争に明け暮れていた時代が終わると、人は釈迦も学んだとされるインドの古代哲学書『ウパニシャッド』や、道教の祖・老子、アリストテレスなどの哲学、ユダヤ、キリスト、イスラム、儒教などが栄えました。

     

    天候や運勢の読み方は神の教えに頼ったものか、呪術です。

     

    つまり、哲学・呪術・宗教などが収める時代で、これが15世紀頃までは主流なものとして続きます。

     

    インディアンの儀式

     

    これが2段階目です。

     

    この段階は、当初人々を魅了し、どう生きるべきなのか、常に指針を与えてきました。

    しかし、それも末期になると今まで見ることのなかった教会の不正などが、徐々にメディアの発達と共に民衆化し、疑いが強くなっていきます。

     

    キリスト教がカトリックに対し、プロテスタントという流れを生んだのも、そういった背景があったのは、歴史の語るところです。

     

    キリスト教会

     

    そしてそこからデカルト、ガリレオ、ニュートンなどへと科学による実験と実証による時代へと進み、こういった考え方で人の心も理解しようと、19世紀には心理学も始まります。
     

    ニュートンの放物線

     

    心は科学的に理解できる筈だという思想です。

     

    このことは、心理学の祖であるフロイトが常々語っていた探求心への言葉でもわかります。

     

    この段階が3段階目。

     

    現代の人間が何でも証拠を求めたがるのは、この4世紀ほどの時代性に飲まれているからとも言えます。

     

    これをモダン(近代)と言い、ある意味科学至上主義となっていきます。

     

    しかし、これもまた、科学の発展自体が、今までの科学を否定するという不思議な現象を起こしました。

     

    それは量子物理学の分野がまさしくそうです。

     

    シュレディンガーの猫

     

    原子の中身は何なのかというこの世の最小の仕組みを紐解いていくと、こんなことがわかってしまったのです。

     

    『見ているときに、それはある形態に留まるが、見ていないときには、どうなっているのかわからない』

     

    なんとも意味深です。

     

    これをもう少し単純に言うと、

     

    『観測者によって、観測結果は変わってしまう…』

     

    ということのようです。

     

    つまり、科学を信じるなら、何を信じて良いのかわからないということを信じる必要が生じてしまったのです。

     

    このことは、ここ数十年の日本を見てもわかります。

     

    戦後の日本は大きな経済発展を遂げました。

     

    特に高度経済成長期という時代は、前年比10%の経済成長を20年に渡って通過しました。

    現代の60代以上くらいの人たちは、まさしくこの時代を生きてきた人たちであり、それに出会いもしなかった現代の20代の人たちの感覚などはまるでわからない筈です。

     

    日本は90年代の山一證券の破綻を皮切りにバブルが崩壊し、うつを大衆病ともなり、それ以降の自殺者が激増しました。

    若者の傾向としても、不登校、引きこもり、ニートが増え、私にとってそれらは人間社会が何かに気づくことを訴えているメッセージとも受け取れています。

     

    今、日本の経済は大企業を中心に盛り返してきていると言われています。

    しかし、その盛り返しに反し、人の心は昔の活気を取り戻してきてはいません。

    もはや、経済的なものだけが幸せをくれるのだとは、思えない人たちを増やしてしまったのではないかと感じます。

     

    ここまで書いてきた長い歴史と最近起き続けてきたこと等を通じて考えれば、太古の時代から人の解決することのできなかった意識がわかります。

     

    不安を抱えた人

     

    それは、人は何を根拠に生きれば良いのかという不安の解消です。

     

    この不安は、結局千年紀を経ながら培われてきた歴史上、どうしても解決しませんでした。

     

    そしてそれは今も尚続くものですが、これに対して数十年前からは、ポスト・モダン(近代の次)という思想が芽生え、そもそも何かわかることなど不可能というニヒリズム(虚無思想)を生んだりもしました。

     

    この段階はある意味、4段階目とも言えますが、これについては安定しないままに現代(21世紀)に至っています。

     

    結局のところ、人が求めたものとは…

     

    そう考えると、結局のところ、人が歴史を通じて求め続けてきたものとは、自分がどうすれば安心していきられるのかという、精神的依存先であり、これについて明確な発言をしてきた人たちこそが、宗教や政治をによってその時代の指導者となってきたということなのだと思います。

     

    しかし、それらは結局のところ、個人単位では信頼のおける人が居たとしても、勢力が大きくなると、常に打ち砕かれてきました。

     

    もちろん、これは先程言った千年紀で考えた場合の解釈です。

     

    そして私達人類は、前項に書いた通り、4段階目で右往左往しています。

     

    そのことについて私なりに言及するなら、人が自分の外側に依存先を求めることからの脱却を意味しているのだろうと感じるのです。

     

    内なる神』という表現は、長く細く受け継がれてきた表現。

     

    内なる神の光

     

    それはきっと私達の精神を深く満たし、生きる指針を与えてくれるのだろうと思います。

     

    しかし、それが何を意味するのか、その解釈がなかなか定まらないままに来ているのが実際なのでしょう。

     

    私達の精神を深く満たし、生きる指針となるもの

     

    は、どのように手に入れることができるのでしょうか。

     

    これを短縮して、ここからは『内なる指針』と表現したいと思います。

     

    人の在るべき生き様は『内なる指針』に従って生きること

     

    インドの古代哲学書「ウパニシャッド」には、自己の本質である「真我(アートマン)」は、それ自体が語る言葉として理解することはできず、「◯◯ではない」という否定でしか至ることができないと書かれていたそうです。

     

    文筆家でありながら、西洋ではダライ・ラマに次ぐ精神指導者とも言われたパウロ・コエーリョの書いた小説「アルケミスト」には、錬金術の秘密が書かれたエネラルド製の板『エメラルド・タブレット』が登場しますが、そこにはほんの数行だけ真実が書かれていると言われますが、それが何と書いてあるのかは、記されていませんでした。

     

    ある時期、世界的に大ブームとなった「聖なる予言」も、やはり重要なところが言葉にはならず、感覚として理解することが問われていました。

     

    このことは、どうやら文字にしようと思うと、何か別のものになってしまう、特別な内容なのでしょう。

     

    私が多くを学んだグレゴリー・ベイトソンという文化人類学者は、このことに触れようとして著作を書いている最中に亡くなりましたし、意志について自分の自叙伝によって明らかにしようと試みた心理学者のユングも、やはりその著に取り組んでいる間に亡くなりました。

     

    もしかすると、これは何か人が触れてはいけない領域なのかもしれないと感じることさえあります。

     

    それが実際どうなのかはわかりませんが、どちらにしても、『内なる指針』は、私達の多くが理解している方法(勉強)で理解されるものではないのかもしれません。

     

    しかし、私は心理カウンセラーですから、このことと似たものであると感じる瞬間を、何度となく垣間見てきました。

     

    それは、人が自分の人生に希望を見出し、前を向いて歩いて行こうとする瞬間です。

     

    私は臨床の中で、それを見るたびに、感動してきました。

     

    人の希望とは、何で構成されているのだろうか、とても気になっています。

     

    人は何を燃料として、未来を生きているのだろうか。

     

    それは決して、物理的な食物を意味しているわけではありません。

     

    ここで話題にしているのは、精神面におけるそれなのです。

     

    それこそが、今回言っている『内なる指針』であり、それは希望、豊かさ、指針、力などが一つとなっている存在であり、それを見つけ出し、それに従って生きることこそ、満たされた人生(美しき人生)へと繋がると信じています。

     

    心理学が証明した、人が希望を見出す燃料

     

    ここでもう一つ、心理学があったからこそ、証明された人が希望を見出す燃料をご紹介しましょう。

     

    自殺願望者が自殺することの魔力から解放され、積極的な人生を生きようとすることを決意するとき、何に気づいてきたのかということです。

     

    これは心理カウンセリングにおける膨大な対話記録によってわかりました。

     

    それは自分の勇気、賢明さ、思慮深さ、強さなどへの気づきでした。

     

    そしてその気づきは、ある意味使命感と似た感覚を持ち、その人の人生を支えることがわかりました。

     

    私も多くの自殺願望者と接してきました。

     

    たしかにこのことは、その都度肌に感じてきた要素です。

     

    このことは、ここまで言及してきた『内なる指針』と何か関係がありそうです。

     

    『内なる指針』が明るみに出てくる仕組みとは

     

    先程、少し書いた通り、どうやらこのことは、意識の世界で、わかりやすく理解されるものではないようです。

     

    しかし、厳然として存在している感覚は否めません。

     

    使命感と似た感覚は、陳腐で単純な言葉になることを避けているかのようにも感じます。

     

    事実、カウンセリングの最中にはこの感覚が垣間見れるのですが、対話の中で徐々にそこに近づきつつ、それが何なのかは、やはり言葉になりません。

     

    その対話の一部は、前回のブログでご紹介しました。

     

    つまり、ある種の対話を繰り返すことで、それが言葉としてではなく、本人だけに感じられる感覚として理解されてくるようです。

     

    しかし、その対話には性質があります。

     

    内なる指針

     

    それは生の対話である必要があるということです。

     

    その理由は、対話しながら徐々に醸し出される雰囲気の変化をヒントとして、私が都度質問する内容を変えながら進むからです。

     

    また、生の場では、ヒントとなるものもあります。

     

    それは他の人と私が対話しているのを見て、聞き、感じることです。

     

    「何か自分にもそういったものがある気がする…」

     

    そんな感覚が刺激されます。

     

    しかし、そんな対話の中で、繰り返されるテーマは、それほど難しいわけでもありません。

     

    それは『貴方は◯◯ではない』という性質のテーマ。

     

    ウパニシャッドが真我(アートマン)を表出する方法として提示した方法とも言えるでしょう。

     

    私たちは認識している自己があります。

     

    「私はこんな人」と思っているやつです。

     

    しかし、それはある種の対話を繰り返すと、疑問を持つことが可能となり、ついにはそれではない自己を感じることができます。

     

    そして更にそれが何度か繰り返されると、何者とも言えない領域に突き当たります。

     

    それこそが、今回主題としている『内なる指針』です。

     

    自己の相当深いところにありますし、毎回必ず生き当たるのかは、私も自信がありませんが、どうやってそれを感じていくことができるのかを伝えることは可能です。

     

     

     

    美しき人生を得る為にある『内なる指針』の模索。

     

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