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セラピーを受けたい人は…
(心理カウンセリング)

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    [心理カウンセラー養成] ブログ村キーワード

     

    今日の記事は、少し勇気を出して、書かせていただきます。

     

    あえて物議を醸すような題名にはしていますが、本質的な問題提起をしたいと思ってのことです。

     

    私自身、心理カウンセラーの一人ですし、同業の人々や、業界お歴々の先生方のお怒りを買うべきでもありません。

     

    しかし、私が私であるからこそ、書かせていただけるものでもあるように思うのです。

     

    私は臨床心理士でもないですし、大学院でゼミに所属したこともないのです。

     

    特に組織に経済性を依存していませんし、学閥らしい学閥にも属してない。

    (私のような者の所属を許してくださっている学術団体や心理業団体もあります。ありがたいことです。)


    だからこそ、こういった記事の配信を通じて、心理学(心理カウンセリング)に何か違和感をお持ちの方や、本質的に心理援助とはどうであるべきなのかと熟慮したい方、また心理援助を受けるとはどういうことなのかに関心の高い方に、是非とも読んでいただければと願っております。

     

     

    心理カウンセリングとは何か

     

    そもそも、心理カウンセリングとは何なのでしょうか。

     

    数年前、心理カウンセリングについてのアンケートで、一般市民を対象とした統計調査がありました。

     

    そこに、効果の有無や、怪しい・信じられないなどの項目を退け、群を抜いて多かった答え。

     

    それは、「よくわからない」というもの。

     

    私達心理カウンセラーが思うようには、数年前の時点で、まだ心理カウンセリングの社会的認知は進んでいなかったようです。

     

    その状況は、心理への関心が高まってきている現在であっても、まだ大きく変わってはいないと思います。

     

    守秘義務で守られ、語られることのない秘密の部屋「カウンセリングルーム」の中では、何が実際に行われているのでしょうか。

     

    上野大照 こころのオープンカフェ

     

    実際、上記写真のような、甘いものを食べながら優雅な話が行われているわけではなく、多くの心理カウンセリングルームでは、殺風景な空間で、ある条件を前提とした対話が行われています。

     

    ある条件とは、悩みやそれぞれの置かれている状況、感情などに対し、共感的理解を必要とするということです。

     

    心の悩みは繊細です。

     

    誰にでも相談できるような、簡単な悩みであれば、わざわざお金と時間をかけて、予約をとってカウンセリングルームに訪れることはありません。

     

    これはある意味、軽い風邪程度なら医者にいかないという感覚と似ています。

     

    軽く気持ちを聞いてもらいたいという程度の話ではないわけです。

     

    私が過去の扱った内容にも、性の問題を含むもの、強迫心理による障害や、幻覚を伴う症状、謎の神経症状、複雑な家庭問題、DV被害や加害、犯罪被害や加害など、容易に触れにくいものがたくさんありました。

     

    また、重大な金銭問題や不登校、不倫など、本人も扱いが難しい問題もあります。

     

    理解してもらうにも、落ち着いて聞いてもらうにも、自分の近くに存在している人では、ちょっと荷が重い。

     

    だからこそ、話を聞く専門家として、先ずは自分の複雑な心情や状況を、何かに決めつけずにわかってくれる。

     

    そういうことが前提条件でないと相談しにくい。

     

    これが相談者のニーズとしてあるのは当然です。

     

    そこを大切にする意味で、心理カウンセリングは、受容共感という二大通念を、表向きは最重要として扱ってきたのだと思います。

     

    受容とは、簡単に言えば、「貴方はそのままで良い」という姿勢です。

     

    自分のことを過大評価する人も、過小評価する人も、他者を批判する人も、苦しみから逃げたい人も、ずるい思いが湧いてしまうという人も、欲にまみれてしまうことであっても、何もかもが、そこでは心理的には許されるという前提です。

     

    それを守秘義務という、「ここで言うことは、外では絶対に漏らしません。」という誓約によって、好きなことを言って良いという環境が助けているわけです。

     

    共感とは、「貴方の思いを、私は同じように感じています。」という感覚のことなのですが、不思議にも、これは技能的なものでもあります。

     

    このことが、私のここから書かせていただきたい、心理援助という分野に関する問題と繋がっているのです。

     

     

    心理カウンセラーという板挟みの人たち

     

    日本では、カウンセリングの神様とも言われる、現代心理カウンセリングの基礎を築いた賢人が居ます。

     

    その名をカール・ロジャーズと言い、彼は先程の受容と共感を大変重視した心理カウンセリングを提唱しました。

     

    カール・ロジャーズ

     

    実は彼が登場するまでの心理カウンセリングとは、権威主義的な先生と生徒というような関係で守られていました。

     

    そういう関係ですから、相談者はある意味、間違いを先生に指摘されるようなところがあったのです。

     

    現在のように、相談者はどのように感じていても良いというような平等主義とは、決して言えないもので、結局のところ、なんでも言いたいように言って良いという感じではなかったのです。

     

    その意味で、

     

    『心理カウンセリングは、大前提として共感的理解を必要としている』

     

    と定義づけた彼の遺業は大変なものであり、称賛に値されます。

     

    ただし、それが中心の文化となり、それまでとは違う、受容と共感に偏らせた心理カウンセリング特有の対応について、私はある程度、違和感も感じています。

     

    それは、相談者にとってカウンセラーが味方であり、考え方を支持されている関係の中で、受容と共感がなされていれば、相談者は勝手に心理的成長が促され、問題を解決していくと信じていたことによって生じたのではないかと、私は考察しています。

     

    これを逆に言えば、徹底的に受容と共感がされない場合、相談者の問題は解決しないということ。

     

    彼自身が言ったと言われている言葉に、こういったものがあります。

     

    それは、「心理カウンセラーは人格者でなければならない」というもの。

     

    これはどのような職業であろうと、ある程度当てはまること。

     

    たしかに心理を扱うのであれば、余計にそう言いたい気もします。

     

    ただし、この言葉をわざわざ強調しなければならなかった理由はどこのあるのでしょう。

     

    従来の心理カウンセリングは、正直に思うがままを話すという側面が重視されています。

     

    正直さを重視すれば、それは、心理カウンセラーに対する思いまで含まれてしまうのです。

     

    そうなると、場合によって、心理カウンセラー自身が傷つけられるような発言も含まれてきます。

     

    そう考えると、先程からお伝えしている、受容と共感を可能にするためには、人格者でなければ務まらないという側面を抱えていたからではないかと思われます。

     

    そして、この記事を読んでくださっている方は、一度よくよくお考えいただきたいのです。

     

    相談者の中には、先程言ったような大変複雑な心理と状況を抱えた方も来られます。

     

    常軌を逸したように感じる考え方をお持ちの方もいるのです。

     

    それに対して、本当に、心の底から受容と共感ができるのでしょうか。

     

    殺人をしてしまったという人が、「人を殺したくもなる」という話を、本当に共感できるのでしょうか。

     

    「死にたい」という話に対して、心の底から、「自分も死にたい」と言えるのでしょうか。

     

    相談者ご自身が混乱していて、とりとめもない話が延々と続く場合、それをすぐに実感を持って共感し、受容できるのでしょうか。

     

    私は、本当にはそう言えないという自分の恥ずかしい人格をあえてオープンにした上で、やはり多くの人は難しいと言わざるを得ないのではないかと思っています。

     

    先程も書いた通り、共感とは、相手と共に同じ感覚を持つことです。

     

    心理カウンセリングの場合、同じように感じられていることが、相手に伝わることを意味します。

     

    この人には、本当に自分の感覚が伝わったと、相談者が感じている状態です。

     

    私も、おそらくこれは本当の意味での共感だと感じたことはあります。

     

    言い知れぬ涙が流れたことも、一度や二度ではありません。

     

    しかし、すべての相談にそう言えるということなど、あり得ません。

     

    やはり、共感しやすい相談もあれば、そうでない相談もあるのです。

     

    もちろん、すべてのカウンセラーがそうであるとは言い切れません。

     

    そういった誰もが尊崇の念を抱くような精神性の高いカウンセラーも、存在すると信じたいとは思います。

     

    ただ、そういった人がどれくらい居るのか、また、そうなるためには、どれくらいの年数修行すれば良いのか。

     

    そんな神をつくるような教育課程など、存在するものではないと私は思っています。

     

    では、もし私の言っていることが、ある程度当たっているとしたら、心理カウンセラーという職業につく人は、いったいどういう心理的な環境の中で、仕事をしていることになるのでしょうか。

     

    その実態は、どんな話でも、受容し、共感してくれる人という大きな期待と、実際にはそうできない場合もあるという苦しい実状に、板挟みにあっていると言えるのではないかと思います。

     

     

    心理カウンセラーの苦しみ

     

    板挟みにあう心理カウンセラー

     

    こういったことを書いていると、心理カウンセラーという人たちが嘘つきで、不誠実だという印象を受けてしまう人もいるかもしれません。

     

    しかし、これは逆に、私が否定したいところ。

     

    心理カウンセラーが受講する研修などに参加すると、そこに参加してくる人達などは、たしかによく周囲に配慮し、気遣う人たちだと感じます。

     

    やはり優しい人が多いのでしょう。

     

    心理カウンセラーになる動機も、学生時代にいじめを受けていたり、家庭に問題を感じていたことがきっかけで心理に興味を持ち、その成果を誰かの為に役立てようと思っていることが多いようです。

     

    その意味で、悪意ある嘘をつく人たちでは、もちろんありません。

     

    私がここで言いたいことは、そういったカウンセラーたちの内面の問題ではなく、心理カウンセラーの苦しみです。

     

    それはいくら良い人たちだからと言って、すべての悩みに対して共感できるようなことは、決してないということです。

     

    だから、受容と共感を第一義とするなら、やはりそこには何か偽善的で演技的な要素が入ってきてしまいます。

     

    そのことが、今回の題名で書いた、嘘つきという表現に繋がるのです。

     

    それを傾聴(耳を傾けて興味を持って聞く)という、技法によって、決してバレないように、うまく切り抜けることを強いられているわけです。

     

    ひどい言い方をすれば、次のような相談者の心理があるとします。(あえて極端にしています)

     

    『私はわがままで、先生を傷つけるようなことも言います。でも先生は、何を言おうが、私の味方ですよね。だってカウンセラーだから。そして先生は私がわかるように、私の機嫌をそこねないように、うまく私を正しい道に導いてくれますよね?』

     

    もちろん、相談者の多くは、こんな極端にわがままな姿勢ではありません。

     

    しかし、こういう大きく矛盾する期待の中で、身動きを酷く制限されているのが、心理カウンセラーなのです。

     

    こういう話をしていると、勘違いしていただきたくない点もあります。

     

    それは「心理カウンセラーはこちらのことを想っているわけではない。愛情などないのだ。」と感じてほしいわけではないということ。

     

    もちろん、基本的には相談者のことを想っていますし、愛情を注ぎたいと思っている筈です。

     

    少なくとも私はそう信じます。

     

    問題なのは、”愛情の表現”と、”受容・共感”を一致させないといけないというところにあるのです。

     

    もし、貴方が、自分の相手をしてくれている心理カウンセラーが、実際には共感していないが、その共感的雰囲気を醸し出す為に必死になって傾聴技術を駆使しているとしたら、どう思うでしょうか。

     

    私は、相談者が”そんなカウンセリングは受けたくない”と思っても、仕方がないと思います。

     

    もっと誠実で本質的な愛情を受け取りたいと願う筈です。

     

     

    お互いを本質的に満たすカウンセリングとは

     

     

    そもそも人と人が、完全に認識を同じにし、完全なる共感ができることなど、極めて稀なことです。

     

    では、相談者が愛情に満たされ、心理カウンセラーも嘘をつかないで良い、そういう本質的な対話が可能なカウンセリングは無理なのでしょうか。

     

    私は無理ではないと思っています。


    心理カウンセラーの未来を見据える

     

    目指すべきは、認識の同一化や共感ではなく、相手の幸せを心底願う姿勢と、相手への理解、そして今後の人生を変化させていく提案にあるのではないかと思っています。

     

    完全なる共感は簡単なことではない。

     

    もちろん、それを長い意味での目標にすることは否定しません。

     

    しかし、先ずは深い悩みに陥っている相談者に対し、理解者であることが先決であり、その問題を打破するための明確な支援(提案やアドバイス)ができることだと思います。

     

    心理カウンセリングは技芸である。

     

    お世話になっている心理業団体のある先生は、そう言い切られてます。

     

    とても潔い言葉です。

     

    私も、相談者を救う為、磨いてきた技芸によって最善を尽くすという姿勢こそが、心理カウンセラーの目指すところなのだと感じています。

     

    どれだけトレーニングしたとしても、共感できないことはある。

     

    しかし、理解を示すことはできる。

     

    難しい問題もある。自分では役不足だと感じることもある。

     

    しかし、何か今後を少しでも変えるような提案はできるかもしれない。

     

    私自身は、ブリーフセラピー(短期療法)という心理技芸の専門家でもありますから、短期に問題を解決する為の提案技術をとても重視しています。

     

    心理カウンセラーだって、もちろん一個の人格を持つ、当たり前の人間。

     

    学ぶこと、経験を積むこと、技を磨くことはもちろん重要。

     

    しかし、無理のある嘘を、技術でごまかすような心理カウンセリングの前提は、これからの時代に沿うものではないと、私は思います。

     

    そして心理カウンセリングの本質に適い、誠実に対処できるカウンセリング教育の、指導的役割も担っていきたいと願います。

     

    それはこの業界が本当に大切で、真に相談者が救われる体制構築に寄与したいからです。

     

    現在の私は未だ、業界を支えるような立ち位置には居ませんし、今後もそういう大きな存在になるとは思えません。

     

    しかし、こういう提言をしていく存在として、自分を磨き続けることに、誠実でありたいと思っています。

     

    記事の中には、失礼な言い回しもあったかと思いますが、心理カウンセラー自身も、相談をする人も、皆が心底、気の通い合う関係でいられることを、心から願ってのことですので、お許し下さい。

     

     

     

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