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      [心理学] ブログ村キーワード

       

      この記事は、心理学、宗教、スピリチュアルや自己啓発、哲学など、心と幸せの分野を学んだことのある人の中で、未だ欲しいものが手に入っていないと感じる人や、何か違和感を解消できていなかったり人へ向けて、お届けしたい内容です。

       

      筆者自身の体験も含めて、お伝え致します。

       

      心のことを学んでも手に入らないもの

       

      幸せへの道

       

      先ず、こういった分野を学んだり、どこかに所属したりしていく理由は、どこにあるのでしょうか。

       

      筆者としては、次のように思っています。

       

      それは先ず、仕事にしていこうと思っているのか、そうでないのかという点です。

       

      仕事にしていこうと思っている人であれば、そういった分野の専門知識を手に入れ、それを人に伝えたり、そういった理論を駆使して人を導こうと思っているように見受けられます。

       

      これらは教育者や援助者を目指して、またはそういった人たちが更に深いものを求めて学ぶという意味です。

       

      そしてここで言いたいのは、"そうではない人"に向けたものになります。

       

      つまり、それは一般的な理由によるもので、趣味として自分の知識を増やしたり、自身の生活の為に学ばれるのでしょう。

       

      こういった分野の学びを、仕事にしていこうと思っていないのであれば、その目的はほぼ明白ではないでしょうか。

       

      おそらくその目的は、手に入れた知識や技能を、今よりも幸せになる為に使いたいのだと思います。

       

      その意味で、もし既に心の分野の学びをしていても、欲しいものが手に入っていなかったり、違和感を感じ続けていたりするというのは、もしかすると実生活に自分が思うほどの満足を、まだ手に入れられていないのかもしれません。

       

      上に載せた写真は幸せへの道をイメージしたものですが、幸せを手に入れるというのは、それほど一直線ではないことを多くの人が理解しています。

       

      最近では、筆者自身、男女について深く学ぶ中で、この"幸せ"という表現も、男性的観点女性的観点では、意味しているものが随分違うようですので、その点にも少しだけ触れさせていただきます。

       

      女性の場合、その多くは今ここにある体験を意味しているようです。

       

      そのため、誰とどのように過ごしているのかという日常的なところに幸せの価値観が定まりやすいのだと思いますし、そこには大抵誰か対象者が存在しています。

       

      誰かと共に幸せになりたいという価値観です。

       

      そしてまたそれは、男性には通じ難いらしく、男性側に立った幸せとは、興味のある分野への熱中であり、未来に何かを達成・実現すること(目的)や、他を上回ること、能力を発揮すること(競争)の意味合いが強く、基本的に自分一人か、自分を含むチームのことでないと感知しにくいようです。

       

      そして筆者の言う、"幸せ"という言葉は、そのどちらも含むと思っていただいたら良いと思います。

       

      大切なことは、そういった自分にとっての"幸せ"が、それを目的とした学びを通じて、"本当に手に入っているのか"ということであり、もし実際にはそうなっていないなら、何か考え直す余地があるのかもしれません。

       

       

      自分が経験してきた心を学ぶ"違和感"

       

      筆者自身、これまで宗教、心理学、スピリチュアル、自己啓発など、多くのことを学んできました。

       

      そして学ぶ度に、痛いほど気づいてきたこと。

       

      それは"学ぶ"ことと"幸せになる"ことは違うということです。

       

      宗教を学び実践していた当時、そこには"見えないものを重視する思想"が存在し、それが"守るべき教え"となっていたりもしました。

       

      しかし、当時知った一つの統計指標がありました。

       

      それは震災などの災害時、そこで命を落としてしまうかどうかという""や、そういったことが後に心理的ダメージとなった人が、信仰者とそうでない人にがあるのかという調査です。

       

      残念ながら、そこには有意差が認められませんでした。

       

      当時、盲信していたとも言える筆者にとって、ショッキングな指標だったことを覚えています。

       

      また、宗教の先生方が、実際にはうまくいっていないのに、それを団体の上層部へ一生懸命嘘をついて良い内容に仕立て上げた報告書を作ろうとしていたのを見たのも、大きな違和感を覚えました。(全宗教がそうだという話ではありません)

       

      その後、もっと普遍的なものはないのかと、心理学とスピリチュアルの分野にいきました。

       

      心理学で感じたことは大変意義深く、たしかに幸せとはそういうものかもしれないと納得させられることが多くありました。

       

      スピリチュアルも同様です。(これについては、目指すべきポイントだと仮定し、後述させていただきます。)

       

      しかし、心理学とそれに基づいた心理カウンセリングは、主に傾聴という手法で雲を掴んでいくように進むもので、そこに至る道筋は難解で遠く、実際に幸せになっていくには、どうもまどろっこしい感じを受けました。

       

      当時、既に代替医療の治療師として、数千人という苦しい患者を見続けてきた経験から、あまりに時間のかかるアプローチに、余計そう思わされたのかもしれません。

       

      スピリチュアルの学びでは、全ては自分に原因があるという観点が手に入りました。それによってある種の苦しみも通りましたが、"だからこそ、この世界は自分で加減できる"と理解することができ、生きる体験が随分と自由になりました。

       

      しかし、あまり良いとも思えない、この分野特有の雰囲気も、それを学ぶ人達に感じていました。

       

      それはどうも浮足立っているというか、実際には本人の固有感覚だけのものを、"私は感じる"ということを根拠に正当化する雰囲気のことです。

       

      また、実際には苦しいのに、どこか"やけにポジティブ"に振る舞っているように思うこともありました。

       

      もちろんそうでない人たちもいましたが、どこか全体的にわかった気になっているだけで、安易なものに流されている印象を受けてしまったのです。

       

      自己啓発をセミナーで受けた時には、大変大きな衝撃がありました。

       

      ある意味、視点が逆転するというか、良いと思っていたものが悪くなり、悪いと思っていたことが良くなり…。

       

      結果、それまでには認められなかった自分の能力に目覚めたり、他者にも別の視点を見いだせたりして、世界観が一変したことを覚えています。

       

      この分野を学んでいなければ、今のように社会への発信をしていく決意はできなかったかもしれません。

       

      ただ、この分野では、新しく手に入れた自由的思想を他者批判に使っている人の多いところが、少し嫌な印象を持っていました。

       

      自由過ぎると感じるところもあり、具体的には性の扱いが適当になってしまったり(結果悲しい思いをしている人もよく見た)、社会の健全に見えるヒエラルキー(上下意識)でさえ無視するような横暴さが目立つ時もありました。

       

      口では美しいことを言うのですが、実際にはやたらと知名度や経済的成功に意識が向いていることにも、何か違和感がありました。

       

      ここまでは、そういった複数の分野で得たことと、批判の両方を書かせていただきました。

       

      筆者の言いたいことは、ここまで綴ってきた分野の存在が問題的な側面しかないということでは、決してありません。

       

      それぞれに価値のあるものを提供していて、どの分野にも筋の通った人がいるもので、私も大変お世話になった人たちがたくさんいます。

       

      ただ、ここで体験としてお伝えしたかったのは、自分自身、これらのどれにも本質的に満たされなかったという現実があり、結果、その不満が現在の探究心を生み出し続けているという点です。

       

       

      心理学が達成しようとした"幸せの定義"

       

      賢者の石を求める錬金術師

      (出典 wikipedia)

       

      上記は、中世に流行り、ユングという心理学者が大いに研究した錬金術の画像です。

       

      この画像では、"賢者の石"という超人的力と神の知恵を得る究極物質を生み出そうとしているところが描かれています。

       

      描かれている人も男性ですし、この石の力は知恵と力、不老不死などですから、やはり男性的な理想像を"幸せ"に結びつけていたのだと予測されます。

       

      その意味では、女性的な要素が薄い分、幸せについて大きく欠落していることは否めません。

       

      人類の歴史をたどると、この時期(15〜17世紀頃)を境に、科学と精神が分離していきます。

       

      徐々に科学の勃興が始まった時期ですから、魔術のような錬金術は廃れていきました。

       

      筆者自身も、幸せを得るために、人類が再び錬金術を始めた方が良いとは、もちろん思いません。

       

      ただ、この"錬金術"という作業が、今回、心理学を例に説明する"幸せを得る方法"と似通ったところがあるように感じているのです。

       

      そのため、今回はこれを例に、心理学がどのように人を幸せに導くのかについて、書き記していこうと思います。

       

      錬金術とは何なのでしょうか。

       

      簡単に言えば、金ではない金属を使って、金をつくってしまおうという取り組みです。

       

      それはおよそ魔法や呪術的なものだったと解釈されます。

       

      物理的に考えれば、金属を新しい形にするわけですから、一度溶かして液体にし、冷やしていく過程で再形成するのが一般的でしょう。(途中でどうすれば金になるのかはもちろん不明なままです)

       

      ただ、この溶かして再形成するということを、精神に例えて言っているのであれば、そこまで無駄なものとも言えません。

       

      ユングという心理学者は、その点で錬金術を20世紀に入ってから深く探求しています。

       

      心理学は吹きガラスのように熱して溶かした精神を再形成しようと試みる

       

      こちらの画像は金属ではなく、瓶を熱してガラスを溶かし、再形成する時にデザインしていく吹きガラスの工程ですが、やはりやっている工程はほぼ変わりません。

       

      ガラス工芸の作業映像などは、読者様の多くがメディアなどで一度は目にしていると思います。

       

      そして、古い心理学がやろうとしていることの多くは、ここにあるようです。

       

      ここで言う古い心理学とは、精神力動という分野を重視するもので、19世紀に心理学を始めたフロイトという人を祖とし、分派・派生した学派を指します。

       

      基本的にこの分野の心理学は、「心の底から悪い人間はいない」という"性善説"が前提です。

       

      そのため、もし大人になって精神的な問題が見つかったとしても、それは形成したものが間違ってしまっただけであり、それを溶かして元に戻せば、適切な形に再形成できると信じているようです。

       

      これについては、筆者も同じ立場を取っています。

       

      そして、心理学を学ぶことや、心理カウンセリングを受ける目的の一つは、ここにあります。

       

      再度わかりやすく表現すれば、幼少期から現在に至るまでの間に、幸せに生きていくことに障害となったり、本来の力を発揮できなくなってしまった心の形を再び溶かすことで、当時の心に一旦リセットし、今と未来に適った新しい心を造り直すことにあるのです。

       

      この場合、過去に凍りつかせてしまったものを溶かすことや、複雑に荒々しく絡まらせてしまった糸を解いていくことが必要。

       

      その意味で、これは精神治療というよりも、自己理解を促す尊く文化的な対話なのであり、新しい生き方を探る為の意義深い試みです。

       

      成功すれば、これまで不可能とされていた能力を開花するでしょうし、これまでにはうまくいかなかった誰かとの人間関係を真に豊かなものとする可能性に満ちています。

       

      その意味で、前項に挙げた各種分野や方法論の中で、何かに蓋をして無理に幸せを目指すように見受けた他の分野と、心理学とは全く質が違うものだと、筆者は捉えます。

       

      人間についての進化的説明は諸説あります。しかし、それらを平均すると、結局のところ、私達ホモ・サピエンスは5万年ほど前から、基本的に個人の性質や能力が変わっていないのです。

       

      そしてそれは、一般的にバカと言われる人でも、天才と言われる人でも、潜在値という点で、大きな差ではありません。

       

      誰であっても自己の内側に秘めている本質的な資源を深く見つめ直し、自分らしい生き方を再発見する"心理学"という分野に、筆者は大きな信頼を抱いているのです。

       

      心理学の学びは人生に新しい扉を開く

       

      そういった意味で、理に適った心理学の学びは、新しい自身を創造することに成功し、これまでの人生では見えなかった新しい景色を見ることのできる扉を開くことができるかもしれません。

       

       

      心理学が犯してきた過ち

       

      そうはいっても、心理学が正しく、他が間違っているとも、やはり言いきれません。

       

      ここからは、心理学の中で筆者の批判したいところであり、実際に心理業界の中で精神力動を重視する心理学分野を批判する人たちが持つ、同様の意見かもしれません。

       

      それは一度暗い闇の底の中で遭遇した危険を避け、やっとの思いで水上に逃げてきたのに、"再び潜れば宝物が眠っている"と言い聞かせられ、何があるかもわからない深い精神の世界に、ガイドと一緒に再びダイブするわけです。

       

      そのガイドが援助を間違えば、過去の痛みを思い出したは良いが、造り直しに失敗するかもしれませんし、長く潜っていること自体が、窒息死させるような苦しみを与えるかもしれません。

       

      心理学の一つの罪はここにあると、筆者は捉えます。

       

      心理学に無防備に取り組むことはガイドのいない深海ダイビングのような危険性がある

       

      どれくらいの深さにあるのかは不明で、どれほどの時間がかかるのかもわからず、そこにある疲労や苦しみへの配慮に欠けたまま、"尊いから"という理由で、闇雲にただ相手の語る口調に耳を傾ける。

       

      これが精神分析という分野です。

       

      実際には、この分野自体を否定したいわけではありません。

       

      この分野はそういう危険を大いにはらんでいると、そのリスクを伝えたいのです。

       

      そうしてしまう理由はある程度わかります。

       

      おそらくそれは"精神とは、簡単に言葉にしてしまう程、安易な存在ではなく、形にならない美しさが時間をかけて描かれるべきだ"とする芸術的感覚がそうさせるのでしょう。

       

      その意味では、不用意にも深くダイブすることを促すこの手法を、頭ごなしに批判はできません。

       

      ただ、もしその芸術的感覚が問題を逆に複雑化し、解決できない悪循環に陥れているなら、そこは改善されるべきです。

       

      可能であるなら、そこにある代表的なパターンを事前に計算し、効率的に作業が完成される方が良いのは、ある意味当然だと思います。

       

      筆者は、これまでの精神力動説を、精神を尊ぶが故に、この効率化阻んできたのではないかと捉えているのです。

       

      可能な限り、筆者は幸せに最短な道のりがあるなら、それを手に入れて欲しいと願います。

       

      遠い目的地に向かう時、歩いていくことに価値があるのはわかります。

       

      ゆっくりと景色を見ながら、自分に無理をすることなく、時には途中で出逢う人や出来事を愉しみながら進む。

       

      現代には余計にあって欲しいことだとも思います。

       

      しかし、それは余裕のある旅路だからこその感覚。

       

      もし今何かに苦しんでいたり、誰かとうまくいっていなかったり、現状に疑問を感じていたりするなら、歩くよりも何十倍も速く到達できる乗り物に乗ったほうが、コストパフォーマンスという意味でも、それをわざわざ避ける必要はないのではないでしょうか。

       

      学ぶことも援助を受けることも、結局時間とお金がかかるのです。

       

      どちらにしても、多少の苦労は生じるのだとしたら、筆者はより効率的に到達できるものを勧めたいと思います。

       

       

      あらすじが決まっている心理学講座

       

      筆者は、こういった課題に対し、これまでに培った知見を集合させ、効率的な精神分析を可能とする方法を編み出しました。

       

      それが、心理カウンセラーなどの専門職が学ぶ為の心理学ではない、一般向け心理学講座です。

       

      心を学ぶ講座 心理編 自己の旅

       

      上記画像がそのまま講座を紹介しているページへのリンクとなっていますので、パソコンならカーソルをクリック、スマホならば画像をタップしてみて下さい。

       

      1回2時間の心の旅を、筆者がガイドとなって目的地までお連れします。

       

      結果としてどれだけの幸せの質を手に入れるのかは、受講していただいた御本人の向き合い方次第ですが、自己の溶解と再創出というプロセスは、誰もが完遂させることができます。

       

      それだけこのプログラムには、時間をかけ改変させてきた厚みを持たせているつもりです。

       

      公開されているスケジュールで受講いただくか、インターネットのビデオ通話を使った個人受講をご検討下さい。

       

      時間をかけて一つ一つの記事を書いている関係上、更新は毎日ではありませんが、このブログにも、またご注目下さい。

       

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      長い文章をお読みいただき、本当にありがとうございました。

       

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