今朝、ABCテレビの「題名のない音楽会」を見ています。
今日は、尺八と三味線奏者のお二人。
(この動画はBOOMの「島唄」を尺八で演奏したもの。たしかに音色を聞くとまた違った音楽性を持った感じがしますね。)
エンターテイメント情報が薄い私は、お二人についてあまり知りませんでしたが、そこで語られている「音色」という言葉には興味を引くものがありました。
日本の楽器には西洋にはない、「風」などの自然の中にある音をあらわす部分があり、音の出し方によって音色が変わるようになっている。
これは楽器のつくりが原始的だからこそ、こういう違いが出せるんだそうです。
西洋楽器は完成度が高い故に、個人の音への自由度が低いってことなんでしょうか。
しかし、そこには高次元の完成された音たちによるハーモニーが展開されるので、それもまたgood。
そして今回学んだのは、英語圏の方が語っていた
「英語ではトーンとかの言葉はあるが、『音色』ということばは翻訳しにくいんです。音に対してそういう立体的な表現は難しい」
という言葉。
昔聞いた話ですが、英語だと1000語に満たない単語で会話が成立するのに対し、日本語は3000語くらいを要すると言われていたのを思い出します。
日本語って一つのものを表現するための単語がやたらに多いんですよね。
NLPは無意識動作を言語化することによって生まれた、一見魔法のような実践心理学。
私の師は当人の持っている「語彙の質」が「人生の質」だと言っています。
そのNLPを、言語数の多い東洋人が使うと、幅はさらに広げることができるのではないかとふと思いました。