こんばんは
大照です。
TTSも無事スタートして、ブリーフセラピストの育成が始まりました。
その中で自分が通った道として、今受講生たちを見てて感じるのが、
自己受容の大切さ。
少し自分の道を振り返りたいと思います。
私自身は、病人を元気にするために、先ず自分が必死に元気になろうと
決めて頑張ってました。
というよりは、
「元気に見せよう、と…」
とある友人が言うには、私は「根明(ねあか=根っから明るい)」なの
ですが、別に声が大きいわけでもないですし、冴えた顔してるわけでも
ありません。
ただニコニコ、べらべらおしゃべりが止まらないだけです(^_^;)
そんな私でも、なんか自分が暗い気がして、ネガティブな感情は見せちゃ
いけないと思って、とってもがんばって明るい顔して見せて、背筋を無理に
伸ばして、声を張り上げて元気に見せていた時期があります。
今思えば苦しかった。でも使命感でやっていたので、そう気づけなかった。
でも必死に頑張る自分は、結局、クライアントに対して、
「お前もがんばれよ」
と責めていました。
そして、
「この人を元気にしないと」
と必死でした。
私も苦しいし、クライアントは変化を強要される。
夜中に行方不明になった統合失調のクライアントを探したり、
パニック症で車に乗れない人と無理やり一緒に車に乗り込んだり、
家族だと嘘ついてクライアントが入院してる病院の時間外に通ってみたり、
家から出てこれない精神障害者の人の家に通い詰めたり…
今思えば本当にどうしようもないセラピストだったと思いますが、
当時はただ必死でした。
でもその結果、一つのことに気づけました。
私の頑張りはどうも…、人を救う頑張りではないな
と。
私は焦っていたんです。
自分が担当したクライアントが終末期ケアの中で何人もお亡くなりになり、
悔しくて…
そしてなんかふと力が抜けたんです。
「なんか俺は俺のために頑張ってるぞ」って、気づいたんです。
そして…
……。
自分が何もできないと悟りたくなかったんだ
と自然に思いました。
無力さを受け入れたくなかったんだと。
それからとても楽になりました。
「僕は僕のままでいい…」と。
そうしたら、クライアント達がとても愛しい存在に変わりました。
そして無理を強要してきた自分の姿が見えて、クライアントを責めてきた
自分が見えて…
こみ上げてくる涙がしばらく止まりませんでした。
クライアントは苦しそうだけど、それが悪いわけでもない。
病んでるけど、治らないといけないわけでもない。
そのままでいいんだ。
そのままのクライアントが生きたい道をただ支援すればいいんだ…
と。
貴方はそのままでいい。
ダメな人間なんかじゃない。
人生に立ち止まってるかもしれないけど、そのままでいい。
歩き出そうとするとき、力になるから…
と。
自分の中のセラピーの概念がガラガラと崩れ落ちるのを感じ、
同時に新しい大切なものが生まれました。
それは、
「誰も、何も悪くない」
という思いでした。
それから私は変わりました。
ネガティブな自分を感じても無理しなくなりました。
病む自分を受け入れるようになりました。
大照を見てると楽そうだね。
なんか安定感あるよね。
気楽な感じだね。
自然だね。
そんな言葉をいただくようになりました。
何かの恐怖心から解放された自分を感じるようになりました。
人が近寄ってくるようになりました。
セラピストという職業のすばらしさを感じ、人生が満足いくようになりました。
今でもよく言われます。
「セラピストって大変ですね。時間の自由もないし、苦しい人ばかり相手にするし」って。
でも私は今、そんなことは全然感じないですし、愛しい人たちと
とても充実した毎日を過ごしてます。
好きなことしかしてません。
こんなに素敵な仕事はないです。
自らが心が安定した素晴らしい存在になれる。
セラピストってのは、ある滅私のレベルに到達するまで苦しいもの
かもしれませんが、それを過ぎると楽で幸せで満足いく、私自身、
大好きな職業です。
ネガティブも楽しく!!
病むときは病む!!!
休むときは休む!!!!
まとまってませんが(^_^;)
気楽に行きましょ
P.S
TTS生は苦しくてもやり抜いてくださいね。
あり得ない幸せが待ってますよ♪