実は昨日、とてもグダグダに思うがままに記事を書いてみました。
いつも内容を整理して同じことは二度言わないようにして、読みやすいようにまとめて…
と考えて書いているのですが、昨日はそれをやりませんでした。
すると何故か…先ず家内が「これわかりやすい!」と言います。
ん?めちゃくちゃに書いているのになぁ…おかしいなと思いました。
するといつもよりブログのアクセス数が増えたので、調べてみると、ツイッターでシェア(リツイート)してくれている人が居ました。
別にも以前からブログを読んでくれて居た人が、今回の記事は良かったと言うのです。
これは何だか面白いと思いましたので、今夜もちょっとグダグダに思うがままに書いてみようと思います。
ちなみにグダグダに書いたという昨日の記事はこちらです。
新しい世界を創るコミュニケーション
そして今日書くことは、人という存在の真実に近いものだと私は思っています。
私は誰なのか、貴方は誰なのかという話題です。
貴方は考えたことがありますか?
私の心は誰が造ったのだろうかと。
人の心は誰が造ったのだろうかと。
当たり前ですが、人には心があります。
心とはとても不確かなものですが、確かにあるものです。
心とは、あることには嬉しくなり、あることには怒り、あることには悲しみ、あることには気楽になることができ、あることには飛び上がるほど喜んだりします。
その基準を決めているものを私は価値観と読んでいますが、それは人によって、また研究によっても呼名が違うのだと思います。
価値観は人それぞれ違うのです。
似た人は居ますが、完全に同じという人はおそらく居ないでしょう。
人はよく自分のことをわかってくれることを望みますが、すべてをわかってもらえるとしたら、それは完全に同じ思考をしている人だということになります。
同じ人ということは、自分ですから、話も言葉も必要無くなります。
そんなコミュニケーションなどあり得ませんから、意味がありません。
誰かと話すから人は感情を知ることができます。
自分の価値観に触れることができます。
同じではダメなのです。
そして何故か他の人とは違う…心や価値観とは一体何なのでしょうか。
どうして他の人とは違うのでしょうか。
それは貴方という人の出生と人生に関係があります。
貴方は必ず誰かと誰かの間に生まれています。
父と母でしょう。
それは間違いありません。
生まれた瞬間に父はもう居ない人はいるかもしれませんが、少なくとも母から生まれています。
貴方は貴方から生まれたわけではなく、父と母の創作物として生まれているのです。
もちろん父と母が創ろうとしたものではないかもしれませんが、事実そうなっていることに変わりはありません。
そして生まれたとき、既に兄や姉が居た人もいたでしょう。
その兄や姉は弟や妹の出生を喜んだのかどうかはわかりませんが、やはり存在していた。
兄や姉が居ない人でも、父と母しか居ないことはありません。
祖父や祖母が居たかもしれませんし、少なくとも父と母は祖父や祖母から生まれています。
貴方は繋がりと共に出生しているのです。
そして生まれてから人生が始まると、一緒に過ごす人が同じように続く人も居れば、そうでない人も居ます。
私は両親の離婚と再婚、兄弟の離別と再開、親戚の家に預けられたり、新しく弟が誕生したり、高校卒業と共に就職して寮に入ったり…と共に過ごす人が短い期間で変わってきましたが、多くの人は少ない単位の人たちに囲まれながら過ごすのかもしれません。
しかし幼稚園か保育園に行き始めるくらいからは、どちらにしても話し相手は増えていきます。
関わり人が増えると、普段親が言っているものとは違う考え方を知るようになってきます。
自分よりも楽しく過ごす人も居れば、魅力的な人も居るでしょう。時には怒りたくなるような人も居ます。
既に3歳くらいになると立派な感情がそなわっているものです。
でもその感情は何が育てたのでしょうか。
何が素晴らしくて何が間違っているのか、どうやって知ったのでしょうか。
貴方とは誰なのでしょうか。
脳科学の話になると、脳は計算しているということについてよくわかってきています。
とても高い計算能力を持っていると…。
そして五感というとても高いセンサーを持ち、いつもそれを処理して過ごしていると。
しかし、心を生み出す装置については特に見つかっておりませんし、よくわかっていません。
以前に慶応大の安西教授が書いた心とは何が造っているのかという本を読みましたが、私にはさっぱり何が心を造っているのかという答えは書いていないように思いました。
様々な要因によって複雑につくりだされているものだという答えしかありませんでした。
わからないことをわからないと書いてあるだけの本に見えました。
そして貴方が見ている世界は貴方がつくっている世界なのでしょうか。
もちろんそうではありません。
貴方はそれを視覚で感知し、脳で計算・再処理の上で投影しているだけです。
貴方が見ている世界は貴方が造っているわけではないのです。
心とは貴方の内側が造っているものではない。見ている世界も自分が造っているわけではない。
では自分とは一体何なのでしょうか。
価値観は一体何が生み出しているのでしょか。
貴方は貴方ではありますが、貴方が貴方を造っているわけではないのです。
人はその点を勘違いしてしまいがちです。
答えはおもうおわかりでしょう。
そうです!
貴方は貴方が関係する他の人、貴方が関係する他の物を投影しているだけで、貴方自身は何者でもないのです。
考え方が変わったことがあるでしょう。
それは誰か別の人が関連していたのではないでしょうか。
貴方が貴方だけで別の考えを手に入れることができたのでしょうか。
きっとそうではないでしょう。
そこには今まで自分がしていない考えをもった人が関係しているのです。
貴方は貴方が関係している人たちが創り出している創作物なのです。
貴方の人生に存在する、存在と存在の間に存在するのが貴方なのです。
一人だけではただの空です。
何もありません。
貴方を貴方たらしめてくれているのは、貴方の関係しているものなのです。
誰かが貴方を貴方で居させ続けているのです。
私には妻が居て、娘が居て、友人が居て、親がいて、生徒が居て、親戚、知人が居て、皆が私を創ってくれています。
それはそれはもう、わざわざ日々私という存在を決定づけてくれているのです。
私が今の私で居られるのは、周囲のおかげなのです。
今私が最も濃く関係しているのは妻でしょうから、やっぱり妻が私の最も濃い成分だと言えるでしょう。
よく人は変わりたいという願望を持ちます。
今のままでいたくないと…
そして何をするかと言えば、多くの場合、自分だけで何かを変えようとします。
しかし、それはこの心や価値観を創りだすシステムに反した行動です。
自己啓発の多くは、自分が頑張ること、自分が何かを越えることを助長します。
しかしそれはそもそも周囲でつくられている自分ということについて、何か大切なことが忘れられているような気がします。
何度でも言いますが、貴方は貴方が造っているわけではないのです。
貴方は貴方以外のものを投影しているスクリーンなのです。
貴方が変わりたいのであれば、貴方と他の人との関わりを変えるのです。
ガラパゴス諸島に住んでいる人なら、他の動物との関わりを変えるということかもしれませんが、普通は人でしょう(笑
貴方が表現したいことがあるなら、誰かに表現しましょう。
貴方が欲しいものがあるなら、誰かに欲しいと言いましょう。
そして貴方が欲しい貴方を、貴方以外に「私はこういう人なんです」と伝えましょう。
周囲が貴方を造っているのです。
周囲が貴方に関わってくる関わり方を変えなければ、貴方一人が頑張ったところで、何も変わらないのです。
だって貴方はただのスクリーンなんですから。
心も価値観もそれだけが単体では存在しない。
間です。
何かと何かの間にあるのです。
理に適うというのは、この真実に近い考え方に合うことだと思うわけです。
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