皆とちょっと違う人…。
そういう人はいつも近くにいるものです。
そしてそれを自覚している人は、皆と同じでないということを、どこかしら恐れていたり、不安になっていたりもします。
そもそもの違いなんて本当に些細な違いです。
でもその些細な違いがネタとなり、イジメも生まれ、悲しい事件が後を絶ちません。
私は、人にはその些細な違いを自ら封印しようとする傾向があるのではないかと思うことがあります。
自己啓発家や心理学に通じた人は、それを人生がうまくいっていない人に当てはめようとするようにも思いますが、私はうまくいっているかどうかは関係ないように思っています。
そもそも「他と違う」ということは、自分の存在を主張する上では間違いなく必要事項です。
だから自分の特別性を認められることに、人は無常の喜びを見出します。
ある意味、クライアントに対し、セラピストとはそういう人なのでしょう。
私がそう願っているだけかもしれませんが…。
自分の中の「人とちょっと違う部分」は、その意味でとても魅力的な反面、嫌われたり、避けられたり、恐れられたりする、蔑まれたりする部分であるように思うもののようです。
だから多くの場合、それを隠したくなる。
隠すために人は自分に仮面を付けます。
結果、社会的な顔と、裏に持つ顔が二分する。
これをユングはペルソナ(仮面)とシャドー(隠している内面)と呼んだようですね。
この裏の顔は、ときに「本心」と呼ばれることもあります。
ニコニコしてアホを装っているが、裏では人を馬鹿にしている。
大丈夫なフリをしているが、実はとても傷つきやすい自分を隠している。
辛辣なコメンテーターを気取っているが、内心には目立ちたいだけの卑小な自分を隠している。
こんなことは挙げればキリがないほど出てきますが、私はそれ自体を表面的な会話だと思っています。
上記のような表現だと、表は良い顔、裏には悪い顔を持っているということになるでしょう。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
裏の顔にこそとっても豊かな人間性が隠れていると見ることはできないのでしょうか。
裏の顔は、たしかに自分でも苦手な部分だったり、扱いにくいところかもしれません。
だからと言って、本当にネガティブなところなのでしょうか。
私はセラピーにおいて、クライアントのこの部分を資源化したいと常々思っています。
何故かと言えば、この裏の顔の扱い方を知らないが為に、せっかくの天才性が隠れてしまい、人間関係も悪くなり、体調まで崩し、人生を台無しにしていくように思うからです。
私は、過去の自分を振り返ると、「知的だが、人間的じゃない」「笑顔がうそ臭い」「淡々として感情がない」など、表に見せている冷静な部分についてよく人に言われてきました。
もちろん、自分でもわかっていました。
実際は優しいし、暖かいし、情熱的だし、皆に言われるほど血が緑色じゃないし…(^_^;) と。
でも確かに裏の顔を扱いにくい。
それを表に出しても、価値が薄れる気がしたり、逆に情熱さが人を追い込んだり、傷つけたりしそうで、恐ろしくて使ってみようとは思えません。
すごい力を秘めてはいるのですが、諸刃の剣でもあり、結果人も自分も傷つけかねない。
でも自己啓発に足繁く通い、散財し、心理学とコミュニケーションの学びに没頭する中で、徐々にその活用法がわかってきました。
自分の説明書が書けるような気がしてきたのです。
電子レンジは生卵を温めると爆発します。
コンセントは両方の穴に電気を通すものを握ってしまうと感電して死にます。
電動アシスト自転車は、使い方を知らずに人の前で踏み込んでしまうと、轢き殺してしまいそうなくらい前に進みます。
使い方がわからないことは、本当に危ないことです。
心理学とはきっとこの人間説明書が書きたいと願って進んでいるのだと思いますが、未だ全然その域には到達していません。
私もそう思い、知れば知るほど、自分も含め人の扱い方は本当にわかりませんが、ペルソナとシャドーの扱い方について、知った知識は是非とも人に役立ててもらえたら嬉しいと思っています。
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