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- 2020.10.17 Saturday
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- by スポンサードリンク
今回の記事では、普段ならばセミナーでないと言わないような、少し追求した内容について書いてみようと思います。
どんな世界や業界にもそれをマスターした達人というレベルの人が居ます。
バスケットボールには人間には不可能と思われるレベルのパフォーマンスで世界を魅了したマイケル・ジョーダンという人が居ましたし、テニスには世界主要大会全制覇を果たしたアガシという選手も居ます。
また日本には柔道で谷(旧姓 田村)亮子さんという人が世界選手権10連覇を果たしましたし、少し古い話では、合気道で植芝盛平や塩田剛三という方もその極みでしょう。
野球のイチロー選手なんかもそこに近い感じがしますし、最近ではラグビーの五郎丸選手も似た雰囲気を帯びています。
それぞれに自分らしさを魅せるようなポーズがあるのも特徴的です。
また、文化的な方面では落語家で人間国宝の桂米朝師匠、その逆のアプローチとも言えるような立川談志両師匠、お二人ともわけがわからないまま話が進行し、いつの間にか完結していくという、まるで舞っているかのようなトークにやられてしまいます。
漫才のやすきよなんかも当時の映像を見たりエピソードを聞く限りで同様な気がしています。
こういった人たちを数え上げれば、各界に数限りなくいらっしゃいます。
そして似た言葉にプロ(プロフェッショナル)というものがありますが、"達人"という言葉とは随分違うように思うのです。
ある意味、職業として最低限の生計を立てる以上に成功したり、社会に専門家としての認知がされたならプロと言えると思いますが、達人であるとは中々に言われるものではありません。
もちろん達人は自ら名乗るようなものではなく、いつの頃からか誰かがそう呼ぶようになるだけであって、資格のように基準が明確なものでもありません。
逆に言えば、どのような資格を取ろうと、それは達人であるという意味は為さないのが通説だと思われます。
こういった物の見方で心理カウンセリングやサイコセラピー(心理療法)の世界を眺めるとき、誰を指すのかと言えば、私にはあまり多数は思い浮かびません。
この世界でふと浮かぶ人物が居るとすれば、私の場合、ミルトン・エリクソンという人やカール・ロジャーズ、フリッツ・パールズという人などが出てきます。
それがどのような業界であったとしても、共通するものは何なのか。
達人という人たちが得ているものは他の人達と何が違うのか。
私はこのことを、「聖」という言葉に絡めて解き明かしたいと思っています。
聖という言葉の定義を私は「清らかで一片の穢れもないそのもの」と思っています。
それは「○○を演じる」ではなく、「○○だ」という状態だと言えるでしょう。
そのようにも感じるという程度ではなく、もう完全にそのものとして扱われる存在です。
カウンセリングの世界を例に言うなら、
「あの人は優秀なカウンセラーだ」
ではなく、
「あの人こそがカウンセラーだ」
という感じでしょう。
日本には古来より神道(神社)において、塩と玄米と水を食事として神に捧げる習慣があります。
あれは食事そのものではなく、食事で在ることを指すものです。
キリスト教にはパンをキリストの肉、ぶどう酒を血にたとえ、ありがたくいただくことで自分もその恩恵にあずかるという習慣がありますが、それを口にするとき、人は食物としてのパンではなく、飲み物としてのぶどう酒でもない神聖な行為として受け止めます。
聖という表現は、「そのようなもの」ではなく、「そのもの」であり、欠けるところのない尊厳性や威厳を指すように思うわけです。
こういった考えと上記に挙げた私が達人と思う人たちとの間がどのように繋がるのかと申しますと…
イチロー選手は、インタビューアーにかつて「その高い選球眼はどのように獲得されたのか」という意味の問いに対し、「選球眼というよりも(自動的に反応する)選球体だと思います」というような返しをしていることで有名ですし、谷亮子選手も「試合中に勝利パターンが何十と無限に浮かんでくる」と言ったことがありました。
バレエに「白鳥の湖」という演目がありますが、熟練のプリマ・バレリーナは他者から見て白鳥を演じているのか、白鳥そのものになっているのかわからないと表現されることがしばしばあります。
2009年にこの世を去った世界的舞踊家ピナ・バウシュは「私に興味があるのは、人がどう動くかではなく、何が人を動かすのか、ということ」とか「踊りなさい、自分を見失わないように」などという名言を伝えています
(映画「ピナ・バウシュ」より引用)
ダンサーはその達人という域(聖)に近づくと、ダンスを演じている人である自分を忘れ、ダンスそのものになると言われています。
舞っているのではなく、何かに突き動かされているわけです。
少し非現実的な話では、映画の「スター・ウォーズ」にてヨーダという老いたジェダイ・マスターがルーク・スカイウォーカーというジェダイを目指す若者に「フォースは使うものではなく共に在るもの」というような表現をしており、そこに似たものを感じます。
ならば何らかの役務に対し「達する」というのは、それを使う、演じるという域を超え、役務そのものとなることへと昇華することを指すのではないかということです。
これは瞑想で掴む意識上の「他との境を失う」という感覚(悟り)も同様だと、私は仮説的に信じています。
自分が動くのではなく、動かされているかのような実体。
それは釈迦の言った「空」であるようにも思います。
テニスプレイヤーであれば、テニスというゲームそのものになったようであり、ダンサーであればダンスをしているという状態ではなく、ダンスという揺れ動くそのものになっている有り様。
ピアニストであれば、往年のショパンコンクールでブーニンが魅せたようなピアノの精になっているような状態ではないかとも思います。
ブーニン
そして聖とは、とても美しい様だと思いますし、美しさを求める精神がつくり上げる状態が聖でないかとも思っています。
多くのスピリチュアリストが、霊や魂という概念を伝えていますが、私はこの分野に対しても、やはり聖という言葉で捉えています。
人には、人を超えた概念が存在していると。
自分が自分以上の何かと成れていることを実感するときであり、私が私ではないものとして舞うことができるのだという希望を抱いているのです。
またそれは多くの人が望んでいることでもあるのではないでしょうか。
こういった世界観でセラピー(心理療法やカウンセリング)を考えたとき、セラピー技術を学んだことは、その達人に向かう道のホンの入り口に過ぎず、自らがセラピーを体現できる存在となったとき、異彩を放つオリジナリティを持ったセラピストがそこに誕生するのだと信じるわけです。
催眠や行動療法で世界的セラピストとしてこの世を去ったエリクソンのようになりたいのであれば、「エリクソンで在る」という状態はどのように得るものなのか。
セラピーの技術、セラピーの知識、それを支える前提概念、そしてそれらを統合しセラピスト足らしめる在り方の養成。
そのすべてをないがしろにしないセラピスト育成。
それこそが私の目指すセラピスト養成の気概です。
その意味で今まで提供してきたセラピストトレーニングに関する一切をアップデートした新カリキュラムのトレーニングを開始致します。
※心匠セラピスト養成講座4期からのアップデートであり、2018年現在9期が進行中)
大それたことを言っているのはわかっていますし、私がその領域にまだまだ達していないことも知っています。
しかし、この概念を知り得たところから、そこへの近道だと信じる諸々のトレーニングを共にし、マスターを目指す仲間たちの志を叶えるコーチとして生きることは、私の人生をかけた大命題です。
セラピストの聖とは何か。
美しきセラピーとはどのような状態を指すのか。
人を望む方向へ支援することにおいて「達する」とは、今自分が感じている以上のどんな自分なのか。
あの人はどこをどう切ってもセラピストだ。セラピストとはああいう人のことを言うんだ。
そんなセラピスト誕生を目指しています。
そして私も同じ挑戦者の一人です。
セラピーという分野で生きていきたい人へ、この学びを共にできることを私は切に願っております。
※追伸として
私は幼少の頃、バビル2世というアニメを夏休みの特集でよく見ていました。今になってもあれほど躍動した記憶はありません。その後いつも救世主的な役だった浩一君という人のようにサイコキネシスのモノマネを本当にできるのではないかと思い、やり続けたことがありました。まるでスター・ウォーズのフォースが使えるかのように。
しかし、今、私はこの概念を自らが論理的に追求した結果として「聖」や「美」、「達人」、「瞑想」などというものと同義に捉えています。
当時思い描いた超能力とは違いますが、人の幸福を請け負う仕事人として達人を目指し、進む道は今後も私をワクワクさせてくれることに疑いがありません。
私がセラピストとして活動を始めた当初、末期がんや難病に苦しむ本人や家族の声をたくさん聞きました。当時、してあげたいだけの支援ができたと思う人は、殆ど居なかったと思います。また、こちらの思いとは裏腹に、切ない表情を抱えたままお亡くなりになった方も多数いらっしゃいました。遺族にもあわす顔などありませんでした。あの頃はその悔しさ自体からも目を背けていたかもしれません。
どれだけできるのかが問題ではなく、そのことに逃げない人生を歩み続けることを今まで関わった人たちに誓い、この生命を生きたいと思っています。
私ができる最高のチャレンジを、このプログラムに込めていく所存です。
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(10期は2018年7月15日開講)
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