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    • 2020.10.17 Saturday
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      少し前より、徐々に告知してまいりました
       
      について改めて告知させていただきます。

      このプログラムは、

      【 次のような方々にとって有益なワークショップです 】

      自分に合った生き方を手に入れたい
      人生を見直し新たな生き方を手に入れたい
      スピリチュアルの本質を知りたい
      ワンネスという知識を日常に活かしたい
      リーダーシップを手に入れたい
      仕事で高いパフォーマンスを手に入れたい
      新しい事業企画のアイディア(創造性)を手に入れたい

      上記のような方には、特に2016年を新たな気づきと今までにないスタートをきる年として創造できる内容になっております。


      【 何故そんなことが手に入るのか 】

      多くの人は、いつも無意識的に不安や恐れの中にいます。
      その原因は自分の考え方に確固とした中心軸がなく、自信を失い、選択に迷いがちだからです。
      この状態では、人が意欲的に着いてくることもなく、仕事の生産性も上がりません。
      この1Dayワークショップでは、今後迷う必要のない、本人が納得いく力強い中心軸を、魅力的かつ心からの安堵を感じられるものとして創造する技術を提供致します。
      その技術は迷いから解放され、ブレのない自信溢れる人生を始めることに繋がっていく為です。
      そして自分だけでなく、何かと繋がって得られる感覚がスピリチュアリティとして作用するだけでなく、今後豊かな発想の源となっていくでしょう。


      【 ベースとなる理論 】

      認識論とNLPがベースとなります。
      講師・上野大照は、旧来の自己実現を意図した啓発セミナーや、癒やしを目的としたスピリチュアリティに違和感を覚え、もっと本質的で個人よりもチームが水を得た魚の如く生命を吹き返すような、自己開発プログラムの開発にいそしんできました。
      この探求は神道、自己啓発、NLP、催眠、コミュニケーション論、システム論、認識論と移りつつ、今日を迎えています。
      その中で人の持つ可能性と永続的な人類の発展が一つになり、心の豊かさと夢の実現を統合したプログラムを、研究を始めて8年の末、やっと創り上げることができました。


      【 講座について 】

      開催日は3回用意させていただきました。
      そのうち12月5日(土)は残席わずかとなっておりますので、そのタイミングをご希望の方はお急ぎ下さい。
      講座詳細はこちらからご確認ください。


      その他、瞑想やコミュニケーションに関するイベントはこちらからどうぞ

      上野大照のイベント紹介


      心理カウンセリング&コーチングはこちらから

      上野大照による心理カウンセリング&コーチング


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      JUGEMテーマ:成功の秘訣

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        私はナルトという漫画が好きで、ある時期とてもハマっていました。

        その中にはカンクロウという傀儡師(くぐつし)※がいて、すごいキャラだなぁと思っていたのを思い出します。
        ※傀儡とは、糸を使って物体を操ること

         
        ナルト カンクロウ

        今回書かせていただく記事と、この物語に直接関係は無いのですが、前回の記事「操られている人生 No.1」で書いた通り、人は自らの意志で生きているようで、知らないうちに様々なシガラミの中で生きており、その影響は意識的にも無意識的にも受けてしまっています。

        そこで今回は科学や宗教の歴史という大きなテーマで扱った前回とは違い、家族や個人の人生という視点で、もう少し現実的に書かせていただこうと思います。
         

        個人の性格や能力は他者によって握られている?



        私にとってそれは3つの視点から見ることができます。

        それは以下の通りです。

        1.遺伝的要素・・・生まれながら持っている性格や能力
        2.生育的要素・・・家庭環境によって開花または抑圧された性格や能力
        3.環境的要素・・・今共に生きる人によって開花または抑圧された性格や能力

        順番に1番から書かせていただこうと思いますが、最初の項目は誰であっても考えたことのあるところではないでしょうか。

        「自分はどうしてあの人のように能力を持って生まれなかったのだろうか」とか、逆に「私が持って生まれた能力によって成功した」と思っているなら、それはどちらも片手落ちだと言えるでしょう。

        そもそも人の遺伝とはどのように起きているものなのか知っていただくことで、誰であっても能力的な開花が可能なのだと思えると思いますので、先ずはそこから書かせていただこうと思います。
         

        遺伝的要素が人生を決めるのか



        今は情報検索の上で大きなまとめサイトとして君臨するNAVERまとめサイトにこのような記述があります。

        人はどこまで遺伝で決まるのか【遺伝しやすい才能・特徴・病気】

        こんな記事を見ると、そもそも人って遺伝によって可能性が決まってしまっている?という気がしてしまいませんでしょうか。

        少なくとも私はそう感じてしまう人の一人です。

        しかし、それは本当なのでしょうか。

        私が好きな科学者の一人に村上和雄さんがいらっしゃいます。

        彼は「遺伝子は心の状態によってオンとオフを繰り返している」と最新の研究からの答えを導き出しています。

        つまり、ここで私が言いたいのは遺伝子が人生を操ると言って良いのだろうかという疑問に関しての提言です。

        よく言われている遺伝子の研究では、研究のやり方自体に、実は問題があることがわかっています。

        それは遺伝子は変化しないという仮説に基づいているということです。

        能力のある人(実績を残した人)の遺伝子を調べたり、逆に無能と言われる人の遺伝子を調べたりしたとしても、それはあくまでそういった結果があった後に調べているのであり、それが生まれながらにしてそのままであったのかを証明しているわけではありません。

        もちろん、血液型などのように生涯変化しないタイプのものはあるのですが、それが全能力にわたってそうなっていると証明されているわけではないのです。

        その意味で私が先ず伝えたいのは、人は遺伝子を絶対的なものとして親や家系に可能性を制限されることに疑問を持ってみていただきたいということです。

        実際、村上さんが主宰するサイト「SWITCH 遺伝子が目覚める瞬間」では、遺伝子に生きているまま影響が起きたのではないかと思われる二つの物語が動画として掲載されています。

        私も心理治療に携わってきた身として、遺伝子や脳科学的に見て不可能と思われる変化をいくつも体験してきました。

        もちろん、今まで通説として言われてきた遺伝子による人生決定説を完全に否定するものではありません。

        しかし、例外だという確率だとしても、実際に起きていることがあるのであれば、少なくとも「幸せになる能力」という意味で制限されるべきものではないと思っていただきたいわけです。

        人はよく自分がどうしてそのようになってしまているのかと悩みます。

        自分がどのように形成されたのか、人は自ら知ることができないのです。

        しかし、それを完全に知ることはできないとしても、人には信ずるだけ前進する不思議な能力があると私は思いますし、それよりもそう信じる生き様が素晴らしいものだと思っています。

        このテーマ「操られている人生」は引き続き書かせていただきます。

        続編をお待ち下さい。

        次のイベントは、誰であっても主体的に自分の人生を望む方向へと進めていく為のワークショップとして開催させていただきます。

        私の8年に及ぶ心理研究の集大成を、是非ともお受け取り下さい。


        2016美しき人生を創造するワークショップ

        朝日と人の繋がり

        こちらの画像をクリックいただくと、イベントの詳細を確認いただくことができます。

        語り合いながら、一日をかけて人生の創造を体験していきますので、あくまで少人数制で3日間用意させていただきました。

        現在はどの日もまだ申込可能です。

        2016年1月より5期がスタートするプロセラピスト養成スクールのプレセミナーも開催日が迫ってまいりました。

        メルマガもご登録下さい。


        ※ちなみに私がナルトを好きだった理由は、人物や善悪に対する様々な視点が深いと思っていたからです。余計なことですが(笑

         
        JUGEMテーマ:生き方

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          フロー 燃える集団
           

          パフォーマンスに関係しているのは命?


          私は人や組織・チームについて、そのどれもが「」を帯びた存在だと捉えています。

          このことが人や組織のパフォーマンスにどう影響するのかと思われるかもしれませんが、これが随分関係があります。

          この文章をお読みいただいている方には、次の点について考えてみていただきたいのです

          ★自分が心動かされ、勇気をもって行動を開始した記憶があるでしょうか。
          ★楽しさのあまり時間を忘れ、没頭したことがあるでしょうか。
          我を忘れて何かに必死に取り組んだ経験があるでしょうか。
          ★チーム皆が同じ目標に一心不乱に取り組めた経験はあるでしょうか。

          私はこういったことを考えるとき、高校生の頃、所属していた吹奏楽部で、初めて市民を対象に音楽を聞いていただく第1回の「定期演奏会」をやろうと、部員一同一丸となって取り組んだのを覚えています。
          開催の為に部員達皆が街中をかけまわり、必要な資金を寄付金として募り、高校生数十名が約100万円を集めることができ、大きな市民会館のホールを埋め尽くしました。
          私はこの演奏会の実行委員長として、部員をチームとして組織することに成功しました。
          (演奏会当日は疲れが酷く、曲をまともに吹けないという本末転倒なことも起こりましたが…)
          この演奏会は今もより盛大なものとなって続いており、既に20回を超える開催回数となっております。

          その後も前職の職場で農場を建設しようと目標を掲げ、チームで目標額だった2億円の建設資金調達を達成したりもしました。

          チームの意識とパフォーマンスの関係


          営業社員には、チームの意識が揃っているときに奇跡が起きます。目標達成が誰かだけのものではなく、皆が自分の行動一つ一つに価値を感じるのです。

          技術者達にも奇跡が起きます。
          ソニーの元役員である天外伺朗氏は、CDの開発に携わり、ウォークマン、プレイステーション、アイボなどを連続して開発した黄金期、同社は「燃える集団」であったと回想されています。

          人が何かを達成するとき、心的なあるムーブメントが起こるのです。
          この燃えるような意識状態。

          人の創造性が奇跡的に発揮されるこの状態をフローと言われて久しいですね。
          フローは命を燃やし、個人そしてチームに降り注ぎます。

          またフローは、欠乏から解放され充足感を持ち、興味・関心に火を付けます。
          躍動する心と、冷静に見定める頭脳が交錯する状態です。

          私はこのフローをどのように人生に生み出すのか研究を重ねてきました。
          NLP⇒催眠⇒瞑想⇒認識論という順です。
          研究を始めてもう8年になります。

          フローを人生に実現するためのワークショップ


          年末に開催する「2016美しき人生を創造するワークショップ」はこのフローを短期ではなく、人生全体という長期に生み出していただくための機会でもあります。

          自分がどう動くのかという意識から解放され、何かに突き動かされる自分やチームを手に入れる心的開発。
          組織のイノベーションを可能にするカリスマ性。

          1日の中でその領域へ誘うことを意図しております。

          ・夢がある人
          ・チームのリーダー
          ・イノベーションを図りたい人
          ・起業したい人

          などの方にも、大きな成果をお持ち帰りいただけると思います。

           
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          JUGEMテーマ:成功の秘訣

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            私達の人生は、社会全体が持っている洗脳体系に気づかずに生きれば、まるで全て「自分の意志」で行動しているように思いがちです。

            しかし、実際には自分の意志自体がある拘束された範囲内の中にとどまっているのかもしれないということについて、今回は書かせていただこうと思います。
             
            操り人形

            私たちはこの世界がどのように出来上がってきたのかについて、ろくに覚える興味も湧かないような義務教育の社会の授業によって歴史を学ぶ程度にしか知らない場合が多いのではないでしょうか。

            歴史が私達を拘束しているというのも、何か耳慣れないような不思議な表現に聞こえるかもしれませんが、これは文化人類学というものを学んだとき、本当にそうなのだということが理解できるようになります。

            今日書かせていただくのは、日本ではなく主に西洋の話になりますが、世界の歴史は主に西洋文明に洗脳されていっておりますので、基本的には問題ないと捉えています。
            (※日本も明治維新以降、西洋文化を受け入れ始めたところから近代化が恐るべきスピードで始まり、一気に西洋化していきますので、やはり西洋的洗脳の影響が大きいと言って良いでしょう。)

            そもそも、この世界の人類史は魔術的なスタートを切ったと言われています。

            例えばピラミッドの建設などはその例と言って良いと思います。

            奴隷によって建設されてきたと久しく言われてきたピラミッドですが、科学がまだ未発達だった中であれだけの巨石を積み上げていったのには、謎が多いと言われてきました。

            そして近年、高度な外科治療を受けていた人骨や、女性や子どもの骨も見つかるなどの理由によって、奴隷ではなく労働者としての社会生活を持つ人々によって建設されたのではないかと言われるようになってきています。

            だとすると、何故あれだけの建造物を創ることができたのか、当時の人間社会を予測することができます。

            古代エジプトの王ファラオは当時、神として人民を支配していました。

            今の王政とは違い、実際に神として崇められていますから、政治というよりは神託が下るという具合に人々は神の意志を聞いて生活していたのでしょう。

            そしてピラミッド建設の目的としてあくまで仮説ではありませすが、王の復活を意図していたという説があります。

            王は神ですから、復活してもらうことによって国が安定すると本気で人民が信じていたという話は、たしかに信憑性を感じます。
            (その為、王は復活の為におあつらえ向きの台にミイラで安置されていたということになります)

            神の存在が自分たちの幸せを保証するものであると本気で信じるならば、現代の賃金を目的とした労働ではなく、もっと神秘がかった力の結集があったに違いないと予測されます。

            科学の世界から見たところでは、当時の科学では不可能と判断されるため、宇宙人の来訪説などもありますが、私は単一の宗教によって催眠意識だった集団が奇跡的なものを残したという説を信じたくなります。

            これらの話は私の単なる想像ではありますが、科学史を紐解いてみても、16世紀にデカルトという人が物質(身体)と心は別のものだとする物心二元論を唱え、ガリレオ、ニュートンと続いて科学が幸せを掴むと世界的に信じられるまでは、人々はもっと宗教的意識の中で暮らしていたようです。

            宗教的意識は、現代のように個人の創造意識を刺激はしなかったでしょう。実際、ガリレオは敬虔なキリスト教徒だっと言われており、当時の思想は神が造られた世界を確かめていくように科学研究も行われていたようです。

            そう考えると、個人が創り上げる価値を語った「夢を持とう!」などという考え方は現代的な表現だということになりますね。

            当時の人々にとっては、どんな夢を持つのかではなく、神が造ったこの世界をどのように生きるのかが問われていたわけです。

            ではこんな話の何が、人の人生を操っているのかと言いますと、それは現代が生きる意味の欠如を生み出しているというところです。

            現代の人々は口を開けば社会不安や経済問題などを語り、うつやガンなどを始めとする現代病が増え続けています。

            この現象は一体何を意味しているのでしょうか。

            人類はもっと幸せになることはできないのでしょうか。

            これはやはりおそらくという前置きが必要になりますが、中世までの世界において人類は、生きる意味での安心感はもっとあったと思われます。

            それはこの世界や宇宙の存在に対して、自分もその一部であり、繋がっている意識があったからです。

            しかし、科学進歩が顕著に始まった17世紀以降、徐々に人々は自然を物理学の世界で計測し、自然支配が幸福論と結びついてきました。

            結果、世界や宇宙と共に生きる意識が極端に減ってしまい、科学で測定されないものは無いものと判断される文明が始まってしまいました。

            しかし、まだ地球上にも生きることに迷いのない民族が存在しています。

            その一つはインディアンです。

            インディアンの自然参加意識は高く、太陽の進行を自分たちが助けていると捉えていたり、天候の変化なども自分たちの行動と共に在ると思っているそうです。

            それはある意味、不自由さを感じる生き方ではあるでしょう。

            しかし、少なくとも自分たちが生きている意味を考える必要はありませんし、自然を味方に付けているわけですから、生きる威厳は大きなものを持っている筈です。

            たしかにインディアンの映像や資料を見る限り、集団的威厳を感じますし、心理学者のユングが後年はインディアンの生き様に感化を受けていたというのも頷ける気がします。

            しかし、インディアンのような統率社会は現代にはありません。

            こんな不安定な何を信じたら良いのかわからない社会の中で生きる現代人に、悩みが多いのはある意味当然とも思えるのです。

            そんな現代は、自分の意見を持ち主体的に行動できる人がもてはやされています。

            それは現代が、依存的で誰かの意見を自分の意見として生きてしまいがちだからこそ、そのように扱われているのでしょう。

            そしてこの依存的ということ自体、そもそも歴史的な洗脳によって意識が拘束されてしまっている結果だと私は考えているのです。

            私たちは中世以降、科学によって不確かで魔法じみた社会から解放されました。それと同時に生きる意味を失うという代償を支払ってきました。

            ある意味、現代を生きる私達が日々を生きる意味を失い、何の為にやらなければならない膨大なタスクに追われ、迷いと不安、孤独と悲しみの中にあることは、歴史的に操作されてしまった人類にとって必然なのかもしれません。

            歴史は後退するわけにはいかないものです。

            もはや意味を失った魔術的社会に戻すことも不可能でしょう。

            では私たちはどのようにして、この生きる意味の創造と科学的な意識を統合していけば良いのでしょうか。

            統合する方法はあるのでしょうか。

            私が学んでいる新しい認識論には、それに対して一つの答えがあります。

            人類が宗教的に、そして科学的に操られてきた歴史から逃れ、自分の意志で世界と関わる方法があるのです。

            この答えは、私の認識論研究の集大成とも言えるもので、2016年以降の人生を生きる上での提言として、ワークショップで提供させていただきます。

            その名も「2016美しき人生を創造するワークショップ

            朝日と人の繋がり

            こちらの画像をクリックいただくと、イベントの詳細を確認いただくことができます。

            語り合いながら、一日をかけて人生の創造を体験していきますので、あくまで少人数制で3日間用意させていただきました。

            現在はどの日もまだ申込可能です。

            次回はもう少し現実的な側面として、人は共に生きる人たちからどのように操られてしまっているのかを書かせていただこうと思います。

            2016年1月より5期がスタートするプロセラピスト養成スクールのプレセミナーも開催日が迫ってまいりました。

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            JUGEMテーマ:生き方

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              人の繋がり

              私を注目して見て下さっている人たちが、どうして注目して下さっているのか、私はある程度知っています。

              それは決して私自身のことではなく、私が研究してきたものと、それによって得た「独自の視点」があるからです。

              私はそもそも末期がんや難病の人たちを治療する現場から、心理研究を始めるに至りました。

              その人たちには皆、「家族やご自身にとって大切な人間関係」があり、病気の有無に関係なく、その人達とどういった関係を築いているのかによって、生きている満足度がまるで違うように見受けられていました。

              そのことは、死を迎える直前にある人たちでも、同じことが言えました。

              その意味で、私にとって「死」という大きな恐れに繋がるイベントも、必ずしも恐れる必要はないのだと思えるようになったのも事実です。

              死を恐れるよりも、「どのような死を迎えるのかを見定めて生きること」が大切だと思えるようになったのです。

              そして、何が独自の視点となっていったのかと申しますと、人に起きていることを、当事者である一個人だけの原因で捉えないという点です。

              私が傾倒している心理療法にブリーフセラピーというものがありますが、この考え方の基本には次のように記されています。

              「病理はコミュニケーションによって維持されている」

              というのです。

              これを説明しますと、長く続く症状には、それを続けてしまうだけの理由が存在すると言ったら良いかと思います。

              例えば風邪を引いたとして、季節の変わり目で、そのときたまたま身体を冷やしてしまったところが原因だったとしても、その後いつまでも治らないのは、また別の理由があるということになります。

              その「理由」というのが、「誰かとの人間関係」にあるという視点です。

              安易な表現で言えば、風邪を引いてしまっても、自分を心配してくれないようなことが続くと、もっと症状が強くなったりするとも言えますね。(もちろん本人にとっては無意識的なことで、実際はもっと複雑です)

              私はそれまで、「【人生の質】は誰と共に、どうやって生きるのかが決定づけている」と思っていたので、この概念を知って随分と納得したのを覚えています。

              そしてこのことを皮切りに、私の研究は「人の知」とはそもそもどのようなものなのか、どこから生まれ、どのようで在るべきなのかという学びに没頭するようになりました。

              ある意味、「人間とは何者なのか」という研究とも言えると思います。

              それも一個人の研究である脳科学や心理学ではなく、人と人、人と自然、人と科学などの「繋がり(関係性)」という独自の視点から見た研究です。

              そしてこの視点の研究を、いつまでも飽きさせない歴史的論客がいらっしゃいました。

              それがグレゴリー・ベイトソンであり、科学と哲学を融合した文化人類学(認識論)という分野で知る人ぞ知る「知の巨匠」と言われた存在です。

              この人は、日本では専門分野の人にしか知られていませんが、実は1950年代以降、世界の科学前進に寄与した世界的科学者です。

              そして彼がこの世を去る1980年まで、研究し続けた分野があります。

              それがなるものの認識論」という分野であり、人が神や自然、宇宙という言葉で語っている生命の神秘を、科学的に解明しようとしたのです。

              その研究はあくまで仮説的ではありましたが、彼の死後、その娘で同じく文化人類学者となったメアリー・キャサリン・ベイトソンによって「天使のおそれ」という本となって、出版されました。

              私はこの本の存在を知り、その解明にとりかかりました。

              しかし、この本を理解しようと思うと、大きな壁が何度も訪れました。

              私が学んだことのない前提となる深い知識が必要とされることが何度となくあったのです。

              その分野とは、ベイトソン特有の説明法への慣れ、ユングが物語ったプレローマとクレアトゥーラという精神と物質の区別、進化と成長の違い、科学と宗教の歴史、サイバネティックス、社会構成主義、人間コミュニケーションの分類、瞑想や催眠などで、不学な私には、それぞれを学ぶうちに気づいたら3年という月日が流れてしまいました。

              学術書などの専門書をそれほど学んだことのなかった私にとって、こういった学びの一つ一つが重たい課題としてのしかかりました。このことは「これらの一まとまりとしての学びはいつになったら終わるのか」という焦りも生んでいきました。

              しかし、その学びは一つずつが大きく生かされ、細かな知識が集積し、結果として「知の巨匠は、その一生を通して何を目指していたのか」を知るに至りました。

              それが「この世界の構造(知)に伴った私達人間という生命が持つべき生き方の指針」を打ち立てることだったのではないかということです。

              ベイトソンは、世界の構造を知る為に、科学とは何か、宗教とは何か、文化とな何なのか、成長や学習とは何なのか、そしてそういったすべてを繋ぐ理屈を仮説立てると何が出てくるのかという論法で、科学的に生命の意味を探求していきました。

              根拠のわからない宗教的な前提ではなく、科学という分析的な世界から見えてくる「聖(神)」という仮説を導き出し、私達がモデルとすべき生き様が見えてくることを狙っていたのだと思います。

              ベイトソンは、天使のおそれという著書について、その意味を一言で言っています。

              それは「人生の優美さの研究である」と。

              私は彼が生涯にわたって研究し尽くした「聖」、そして「優美に生きる」という意味を仮説的にではありますが、解釈できるようになりました。

              そして私が3年を要したこの研究成果を、この年末にワークショップとして提供させていただくこととなりました。

              題して「2016美しき人生を創造するワークショップ」

              詳細はこちらの画像をクリックして、ご確認ください。
               
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              JUGEMテーマ:生き方

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