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- 2020.10.17 Saturday
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- by スポンサードリンク
あけましておめでとうございます。
私も他の多くの方々同様に、年末年始の休暇をとらせていただいておりました。
昨日から、通常の体制に戻っております。
さて、新年最初のブログ記事は、この社会に未だ欠けているように感じる『統合』という視点について、書かせていただこうと思います。
私の思うところ、人生における殆どの問題解決は統合にありますし、心も体も経済も豊かに生きる為に必須なのは、やはりこの統合という点にあると思うのです。
この言葉には、合同、併合、連立、共同、合併などの似た言葉には入っていない、特別な意味が一つ込められています。
それを知り活用することが、心理カウンセラーの私からすると、多くの人の人生を豊かにする為に、価値のある情報となるのではないかと思うことが、この記事を書く動機です。
私たちは真の豊かさを手に入れる為に、何を知る必要があるのでしょうか。
どうぞご自身の人生に参考としていただければ光栄です。
そしてこの記事は、私個人にとって今年の抱負とも言えるようなものになると思います。
これをお読みいただいている方は、今の人生が心身共に豊かに感じられているでしょうか。
もちろんそうであることを願いますし、程度は別として、この日本社会に生きているなら、それなりな豊かさに触れていると思います。
もはや言うまでもないことではありますが、一応付け加えるなら、この豊かさとは、経済的な点だけを指すものではないことを申し添えておきます。
経済が豊かなことは、心も豊かに生きる上である程度の条件にはなります。
物がないよりはあった方が良いでしょう。
しかし、ある程度以上になった人たちにとって、それは幸せを運ぶ道具であって、幸せが何なのかを理解せずには何も得られませんし、多くを持たない時からこの思想であることの方が、結果として人生に心理的にも、経済的にも得られる効果が大きいと感じるのです。
人生は簡単に言って、豊かさに触れているか、欠乏を感じているかに二分されます。
そして欠乏を感じているとき、人は健康的にも大きなダメージを受け、それは日々を生きる生産性に甚大な影響を及ぼしています。
そして先ず、それぞれの人たちがどのような立場や役務にあろうと、真の豊かさを得る為に、共通していると思われる点について書いてみたいと思います。
それは誰もが心を持っており、その心が願うことを手に入れたくて生きているということです。
日々やっていることの全てはこのために行われており、浪費している時間は全てこのための時間です。
この視点は、心理教育者であるからこその視点とも言えるとは思いますが、心理に関係のない職種の方であっても、ご理解を得やすいところだと思います。
そしていよいよ今回の記事の本論とも言える統合について書かせていただきます。
先ず、私が心理カウンセリングをしていてこれまでに一番多かった問題は、人間関係の問題です。
人間関係問題の裏にある本質的な問題はいつも、他の人との感じ方や考え方、つまり価値観の違いです。
全ての人間関係は価値観の違いから来ているとすれば、自分の価値観と、他人の価値観の統合ができれば、必ずその問題は解決します。
人が所属する団体間の問題も同様です。
ある団体が主張することと、別の団体が逆を主張することがあるなら、やはりそこには双方譲れないことによって軋轢が生じます。
それもやはり統合的な視点があれば、うまくいくのです。
この思考を大きく言うなら、かつてのアメリカとソ連の冷戦を終わらせた手法でもありますし、小さく言うなら個人間の不一致や不平等を解決する土台でもあります。
事実かどうかは別として、坂本龍馬が歴史的に注目される理由も、司馬遼太郎氏がこの人物を、統合的な視点に長けた人物として扱ったところによるところが大きいと、私は感じています。
そして経済問題や、自己不信、病気や障害など、すぐに解決は難しく、特殊に見える問題も、やはり統合の視点が欠如しているからこそ続いているものだと言い切れます。
その答えは、自分と問題の間にある分離思考が、問題の解決を邪魔しているからです。
人は誰でも、自分が望んでいない問題に直面したとき、それは自分とは関係のない、別のものだという反応を示しやすいもの。
これがあらゆる問題の解決を邪魔しています。
そして私は、数年かけて、この分離思考の最大要因を見つけることに成功しました。
それは、これまで問題解決専門にカウンセラーとして取り組んできた実績と、心理講座を続けつつ自分自身が探求を怠らなかったこと、そしてそれらを一つにし、あらゆる問題の奥にあるものを、私自身が統合したことによって、見つけることができました。
このことは、私自身、見つけたからと言って、完全にうまく使いこなせているわけではありません。
しかし、個人的には確信を持ってお伝えできます。
それは、これさえ理解できれば、人生は本当に豊かなものとなっていく方向へ、舵を切れるということです。
最大要因が何かについては、ここからの説明の最後の方になりますので、少し長いですが、お付き合いいただけましたらと思います。
では、いよいよここで言っている統合とは何かということについて、お伝えしていきましょう。
このことを説明するには、会社の統合というものを例に説明するとわかるやすいと思います。
会社には、二つ以上の会社が一つになるとき、主に合併、吸収、統合という分類が存在します。
ここでは三社以上の話にするとややこしくなりますので、二社が一つになるとして説明させていただきます。
この三分類を簡単に説明しますと、合併とは二つ以上の会社が文字通り一つになることを意味します。
つまり、両方の会社がそのまま残されることになります。
次に吸収ですが、これは一つの会社がもう一つの会社を吸収するということです。
つまり、強い会社が弱い会社を潰し、自分のものにしたことになります。
残った会社と消えた会社があるということですね。
最後に統合です。
これは会社の場合、事業統合とか、経営統合という表現で言われるものなのですが、一旦それぞれの会社とは別の会社をつくり、その会社が経営指揮をとる方式をとります。
この場合は、両社が残ることもありますし、後々に両社を処分し、新しくつくった会社だけにすることもあります。
どちらにしても、この方式の場合、両社の資源を残すだけでなく、両方の会社とは別の会社によって、新しい概念による経営が始まるのです。
そしてこのことは、人間関係においても同じようなことが起きていることがわかります。
二人以上の人が継続的な関係を維持している場合、そこには上記の合併、吸収、統合と似た関係が存在しているのです。
合併の場合は、それぞれの領域には入らないような距離感で関係し合っていると言えるでしょう。
吸収の場合は、どちらか一方が、自分の主張はまるで言えないという関係になっているかもしれません。
統合の場合、これはあまり見受けられないのですが、両者が一つとして機能できる新しい概念を生み出すことを、互いに語り合うなかで導き出しているように思います。
この三つからすると、吸収のパターンが一番問題となりそうな気がします。
しかし実際には、全てにおいてそうなっていることは稀で、何かの事項においては吸収の形となっているということだと思いますが、どちらにしても、両者または片方が大きな不満を持つことに変わりはありません。
また、互いが同じ立場で、同じ権利だという合併のパターンでも、本当の意味で両者が心豊かに存在することは難しいでしょう。
その理由は、心に本当の意味で思っていることを言い合ってしまっては問題となることを、お互いが自覚していることによって、そうならない適当な距離を維持しているだけだからです。
つまり、ある意味相手に望み過ぎず、お互いが諦め、譲り合ったことによって、ある程度の満足に留めている状態だとも言えます。
そして統合は、上記の二つとは違います。
統合の場合、それぞれが持っている資源・持ち味を十分に加味し、互いが活きる新しい概念を導き出さなければなりません。
その為に必要になってくるのは、資源・持ち味を活かし合うだけの、必要十分な理解です。
このことは、自己心理だけの場合であっても、同様に作用します。
自分が自分を否定している状態は、やはり統合はできません。
ユングという心理学者は、人生の意味は自己の内側にあるそれぞれの性格タイプの統合にあると言いました。
その点においては、私も彼の意見に傾倒しています。
また、運命などについてもやはり同じです。
起きてくる出来事が、自分にとって望ましくない場合、多くの人は自分が負うべき責任のないものとして、分離しようとします。
自分には関係のないものとして、運命の被害者となるのです。
その場合、運命に対して逃げ腰ですから、自分の能力が十分に生かされることはありません。
やはり、運命という機会を生かすも殺すも、それはその運命を受け入れ、今までとは違う概念を導き出そうとする姿勢が問われているわけです。
ここまでのことをご理解いただけたらなら、どのような問題であっても、統合という観点を持つことが重要なことだと気づいていただけると思います。
そしてこの統合を起こしていくには、必要な条件があります。
その一つは、統合したい人や物、出来事などについてよく見て理解することです。
決してネガティブな事象だけではないのだと、解釈をし直す必要があります。
次に、それを可能にする為には、ある種の勇気が必要になります。
何でも、自分の解釈に間違いが含まれているかもしれないと思いながら、実際の事象を眺めることは、勇気が要ることです。
しかし、勇気とは無駄に生まれるものでは決してありません。
そのことに取り組むことによって、それまで以上の何かを手に入れられる期待があるからこそ、勇気を出すことができるのです。
ここまでをまとめると、新しい希望に繋がる期待を持ち、勇気を持って現実を見つめ、新しい解釈ができるだけの十分な理解をするように取り組むことです。
その上で、統合の本質である、それぞれの性質とは別の、二つが一つになったときに考えられる新しい可能性についてを想像し、それに従って互いの関係を創造していくのです。
統合を起こしていく条件を満たし、それが可能となってきたなら、本当に多くの問題は解決に向かうでしょう。
事実、私が心理カウンセリングをしていくとき、その殆どはこの考え方に従って解決しています。
そして私が、この統合を阻んでいる最大要因だと思っているもの。
それは男女の性についての問題です。
男性と女性は、本当に相手のことを知りません。
その理由は、相手固有のことである前に、異性が持っている特有のパターンについて、驚くほど知らないのです。
私が最近、講座でも心理カウンセリングでも、よく言っているのは、こういう言葉です。
『その問題は、貴方の問題でも、相手の問題でもなくて、人類共通の問題です』
つまり、性についての悩みは、決して個人的な問題ではなく、人類共通の悩みのネタなのです。
これは恋愛や結婚、性別特有の問題などについてだけを言っているわけではありません。
そもそもの性についての無理解自体が問題を孕んでいると思うのです。
何故なら性について、私のたちの多くは、小さな頃から”隠すべきものであり、決して見せてはいけないもの”として自覚しています。
その前提があるからこそ、性について正面から向き合う事自体、避けることが当然のようになっているのです。
男性が男性らしいとはどういうことなのか。
女性が女性らしいとはどういうことなのか。
それを知らずして、自分は何者なのかを理解することはできません。
そして男性と女性が接するということは、そもそもどういうことができるのか、できないのか。
このことについては、多くの男女が持つ知識も、やはりあまりに貧困なのです。
そういった意味で、これこそが私の持つ今年の抱負になるのですが、男女という生物学的にも心理学的にも社会的にもタブーとされてきた領域に、統合を見出し、伝えていくことこそ、大切なことだと思っています。
男女の統合は、多くの人が本当に悩んでいることであり、そこに希望が見出だせるなら、ここまで取り上げてきた多くの問題に統合を見出すことは、とても容易になります。
男女の話は、それだけで多くの分野を持っています。
生物学的・心理学的・社会学的な自己理解から始まり、出逢いと別れ、恋愛、結婚、性生活、互いの文化と価値観など多岐に渡ります。
そしてそれは、決して男女の話に終わらないのです。
今年のテーマは統合(インテグラル)。
ここからの心匠にご注目いただければ幸いです。
2018年の新年から、男女の旅(正式名称:心を学ぶ講座 男女編)という心理講座を始めます。
心匠が探求し続け、統合の条件として結実した男女の旅。
ご興味をお持ちいただける方は、どうぞその中身をご確認下さい。
講座の説明をご覧いただけるだけでも、価値のある内容だと思います。
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