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(心理カウンセリング)

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    [心理カウンセラー養成] ブログ村キーワード

     

    今日の記事は、少し勇気を出して、書かせていただきます。

     

    あえて物議を醸すような題名にはしていますが、本質的な問題提起をしたいと思ってのことです。

     

    私自身、心理カウンセラーの一人ですし、同業の人々や、業界お歴々の先生方のお怒りを買うべきでもありません。

     

    しかし、私が私であるからこそ、書かせていただけるものでもあるように思うのです。

     

    私は臨床心理士でもないですし、大学院でゼミに所属したこともないのです。

     

    特に組織に経済性を依存していませんし、学閥らしい学閥にも属してない。

    (私のような者の所属を許してくださっている学術団体や心理業団体もあります。ありがたいことです。)


    だからこそ、こういった記事の配信を通じて、心理学(心理カウンセリング)に何か違和感をお持ちの方や、本質的に心理援助とはどうであるべきなのかと熟慮したい方、また心理援助を受けるとはどういうことなのかに関心の高い方に、是非とも読んでいただければと願っております。

     

     

    心理カウンセリングとは何か

     

    そもそも、心理カウンセリングとは何なのでしょうか。

     

    数年前、心理カウンセリングについてのアンケートで、一般市民を対象とした統計調査がありました。

     

    そこに、効果の有無や、怪しい・信じられないなどの項目を退け、群を抜いて多かった答え。

     

    それは、「よくわからない」というもの。

     

    私達心理カウンセラーが思うようには、数年前の時点で、まだ心理カウンセリングの社会的認知は進んでいなかったようです。

     

    その状況は、心理への関心が高まってきている現在であっても、まだ大きく変わってはいないと思います。

     

    守秘義務で守られ、語られることのない秘密の部屋「カウンセリングルーム」の中では、何が実際に行われているのでしょうか。

     

    上野大照 こころのオープンカフェ

     

    実際、上記写真のような、甘いものを食べながら優雅な話が行われているわけではなく、多くの心理カウンセリングルームでは、殺風景な空間で、ある条件を前提とした対話が行われています。

     

    ある条件とは、悩みやそれぞれの置かれている状況、感情などに対し、共感的理解を必要とするということです。

     

    心の悩みは繊細です。

     

    誰にでも相談できるような、簡単な悩みであれば、わざわざお金と時間をかけて、予約をとってカウンセリングルームに訪れることはありません。

     

    これはある意味、軽い風邪程度なら医者にいかないという感覚と似ています。

     

    軽く気持ちを聞いてもらいたいという程度の話ではないわけです。

     

    私が過去の扱った内容にも、性の問題を含むもの、強迫心理による障害や、幻覚を伴う症状、謎の神経症状、複雑な家庭問題、DV被害や加害、犯罪被害や加害など、容易に触れにくいものがたくさんありました。

     

    また、重大な金銭問題や不登校、不倫など、本人も扱いが難しい問題もあります。

     

    理解してもらうにも、落ち着いて聞いてもらうにも、自分の近くに存在している人では、ちょっと荷が重い。

     

    だからこそ、話を聞く専門家として、先ずは自分の複雑な心情や状況を、何かに決めつけずにわかってくれる。

     

    そういうことが前提条件でないと相談しにくい。

     

    これが相談者のニーズとしてあるのは当然です。

     

    そこを大切にする意味で、心理カウンセリングは、受容共感という二大通念を、表向きは最重要として扱ってきたのだと思います。

     

    受容とは、簡単に言えば、「貴方はそのままで良い」という姿勢です。

     

    自分のことを過大評価する人も、過小評価する人も、他者を批判する人も、苦しみから逃げたい人も、ずるい思いが湧いてしまうという人も、欲にまみれてしまうことであっても、何もかもが、そこでは心理的には許されるという前提です。

     

    それを守秘義務という、「ここで言うことは、外では絶対に漏らしません。」という誓約によって、好きなことを言って良いという環境が助けているわけです。

     

    共感とは、「貴方の思いを、私は同じように感じています。」という感覚のことなのですが、不思議にも、これは技能的なものでもあります。

     

    このことが、私のここから書かせていただきたい、心理援助という分野に関する問題と繋がっているのです。

     

     

    心理カウンセラーという板挟みの人たち

     

    日本では、カウンセリングの神様とも言われる、現代心理カウンセリングの基礎を築いた賢人が居ます。

     

    その名をカール・ロジャーズと言い、彼は先程の受容と共感を大変重視した心理カウンセリングを提唱しました。

     

    カール・ロジャーズ

     

    実は彼が登場するまでの心理カウンセリングとは、権威主義的な先生と生徒というような関係で守られていました。

     

    そういう関係ですから、相談者はある意味、間違いを先生に指摘されるようなところがあったのです。

     

    現在のように、相談者はどのように感じていても良いというような平等主義とは、決して言えないもので、結局のところ、なんでも言いたいように言って良いという感じではなかったのです。

     

    その意味で、

     

    『心理カウンセリングは、大前提として共感的理解を必要としている』

     

    と定義づけた彼の遺業は大変なものであり、称賛に値されます。

     

    ただし、それが中心の文化となり、それまでとは違う、受容と共感に偏らせた心理カウンセリング特有の対応について、私はある程度、違和感も感じています。

     

    それは、相談者にとってカウンセラーが味方であり、考え方を支持されている関係の中で、受容と共感がなされていれば、相談者は勝手に心理的成長が促され、問題を解決していくと信じていたことによって生じたのではないかと、私は考察しています。

     

    これを逆に言えば、徹底的に受容と共感がされない場合、相談者の問題は解決しないということ。

     

    彼自身が言ったと言われている言葉に、こういったものがあります。

     

    それは、「心理カウンセラーは人格者でなければならない」というもの。

     

    これはどのような職業であろうと、ある程度当てはまること。

     

    たしかに心理を扱うのであれば、余計にそう言いたい気もします。

     

    ただし、この言葉をわざわざ強調しなければならなかった理由はどこのあるのでしょう。

     

    従来の心理カウンセリングは、正直に思うがままを話すという側面が重視されています。

     

    正直さを重視すれば、それは、心理カウンセラーに対する思いまで含まれてしまうのです。

     

    そうなると、場合によって、心理カウンセラー自身が傷つけられるような発言も含まれてきます。

     

    そう考えると、先程からお伝えしている、受容と共感を可能にするためには、人格者でなければ務まらないという側面を抱えていたからではないかと思われます。

     

    そして、この記事を読んでくださっている方は、一度よくよくお考えいただきたいのです。

     

    相談者の中には、先程言ったような大変複雑な心理と状況を抱えた方も来られます。

     

    常軌を逸したように感じる考え方をお持ちの方もいるのです。

     

    それに対して、本当に、心の底から受容と共感ができるのでしょうか。

     

    殺人をしてしまったという人が、「人を殺したくもなる」という話を、本当に共感できるのでしょうか。

     

    「死にたい」という話に対して、心の底から、「自分も死にたい」と言えるのでしょうか。

     

    相談者ご自身が混乱していて、とりとめもない話が延々と続く場合、それをすぐに実感を持って共感し、受容できるのでしょうか。

     

    私は、本当にはそう言えないという自分の恥ずかしい人格をあえてオープンにした上で、やはり多くの人は難しいと言わざるを得ないのではないかと思っています。

     

    先程も書いた通り、共感とは、相手と共に同じ感覚を持つことです。

     

    心理カウンセリングの場合、同じように感じられていることが、相手に伝わることを意味します。

     

    この人には、本当に自分の感覚が伝わったと、相談者が感じている状態です。

     

    私も、おそらくこれは本当の意味での共感だと感じたことはあります。

     

    言い知れぬ涙が流れたことも、一度や二度ではありません。

     

    しかし、すべての相談にそう言えるということなど、あり得ません。

     

    やはり、共感しやすい相談もあれば、そうでない相談もあるのです。

     

    もちろん、すべてのカウンセラーがそうであるとは言い切れません。

     

    そういった誰もが尊崇の念を抱くような精神性の高いカウンセラーも、存在すると信じたいとは思います。

     

    ただ、そういった人がどれくらい居るのか、また、そうなるためには、どれくらいの年数修行すれば良いのか。

     

    そんな神をつくるような教育課程など、存在するものではないと私は思っています。

     

    では、もし私の言っていることが、ある程度当たっているとしたら、心理カウンセラーという職業につく人は、いったいどういう心理的な環境の中で、仕事をしていることになるのでしょうか。

     

    その実態は、どんな話でも、受容し、共感してくれる人という大きな期待と、実際にはそうできない場合もあるという苦しい実状に、板挟みにあっていると言えるのではないかと思います。

     

     

    心理カウンセラーの苦しみ

     

    板挟みにあう心理カウンセラー

     

    こういったことを書いていると、心理カウンセラーという人たちが嘘つきで、不誠実だという印象を受けてしまう人もいるかもしれません。

     

    しかし、これは逆に、私が否定したいところ。

     

    心理カウンセラーが受講する研修などに参加すると、そこに参加してくる人達などは、たしかによく周囲に配慮し、気遣う人たちだと感じます。

     

    やはり優しい人が多いのでしょう。

     

    心理カウンセラーになる動機も、学生時代にいじめを受けていたり、家庭に問題を感じていたことがきっかけで心理に興味を持ち、その成果を誰かの為に役立てようと思っていることが多いようです。

     

    その意味で、悪意ある嘘をつく人たちでは、もちろんありません。

     

    私がここで言いたいことは、そういったカウンセラーたちの内面の問題ではなく、心理カウンセラーの苦しみです。

     

    それはいくら良い人たちだからと言って、すべての悩みに対して共感できるようなことは、決してないということです。

     

    だから、受容と共感を第一義とするなら、やはりそこには何か偽善的で演技的な要素が入ってきてしまいます。

     

    そのことが、今回の題名で書いた、嘘つきという表現に繋がるのです。

     

    それを傾聴(耳を傾けて興味を持って聞く)という、技法によって、決してバレないように、うまく切り抜けることを強いられているわけです。

     

    ひどい言い方をすれば、次のような相談者の心理があるとします。(あえて極端にしています)

     

    『私はわがままで、先生を傷つけるようなことも言います。でも先生は、何を言おうが、私の味方ですよね。だってカウンセラーだから。そして先生は私がわかるように、私の機嫌をそこねないように、うまく私を正しい道に導いてくれますよね?』

     

    もちろん、相談者の多くは、こんな極端にわがままな姿勢ではありません。

     

    しかし、こういう大きく矛盾する期待の中で、身動きを酷く制限されているのが、心理カウンセラーなのです。

     

    こういう話をしていると、勘違いしていただきたくない点もあります。

     

    それは「心理カウンセラーはこちらのことを想っているわけではない。愛情などないのだ。」と感じてほしいわけではないということ。

     

    もちろん、基本的には相談者のことを想っていますし、愛情を注ぎたいと思っている筈です。

     

    少なくとも私はそう信じます。

     

    問題なのは、”愛情の表現”と、”受容・共感”を一致させないといけないというところにあるのです。

     

    もし、貴方が、自分の相手をしてくれている心理カウンセラーが、実際には共感していないが、その共感的雰囲気を醸し出す為に必死になって傾聴技術を駆使しているとしたら、どう思うでしょうか。

     

    私は、相談者が”そんなカウンセリングは受けたくない”と思っても、仕方がないと思います。

     

    もっと誠実で本質的な愛情を受け取りたいと願う筈です。

     

     

    お互いを本質的に満たすカウンセリングとは

     

     

    そもそも人と人が、完全に認識を同じにし、完全なる共感ができることなど、極めて稀なことです。

     

    では、相談者が愛情に満たされ、心理カウンセラーも嘘をつかないで良い、そういう本質的な対話が可能なカウンセリングは無理なのでしょうか。

     

    私は無理ではないと思っています。


    心理カウンセラーの未来を見据える

     

    目指すべきは、認識の同一化や共感ではなく、相手の幸せを心底願う姿勢と、相手への理解、そして今後の人生を変化させていく提案にあるのではないかと思っています。

     

    完全なる共感は簡単なことではない。

     

    もちろん、それを長い意味での目標にすることは否定しません。

     

    しかし、先ずは深い悩みに陥っている相談者に対し、理解者であることが先決であり、その問題を打破するための明確な支援(提案やアドバイス)ができることだと思います。

     

    心理カウンセリングは技芸である。

     

    お世話になっている心理業団体のある先生は、そう言い切られてます。

     

    とても潔い言葉です。

     

    私も、相談者を救う為、磨いてきた技芸によって最善を尽くすという姿勢こそが、心理カウンセラーの目指すところなのだと感じています。

     

    どれだけトレーニングしたとしても、共感できないことはある。

     

    しかし、理解を示すことはできる。

     

    難しい問題もある。自分では役不足だと感じることもある。

     

    しかし、何か今後を少しでも変えるような提案はできるかもしれない。

     

    私自身は、ブリーフセラピー(短期療法)という心理技芸の専門家でもありますから、短期に問題を解決する為の提案技術をとても重視しています。

     

    心理カウンセラーだって、もちろん一個の人格を持つ、当たり前の人間。

     

    学ぶこと、経験を積むこと、技を磨くことはもちろん重要。

     

    しかし、無理のある嘘を、技術でごまかすような心理カウンセリングの前提は、これからの時代に沿うものではないと、私は思います。

     

    そして心理カウンセリングの本質に適い、誠実に対処できるカウンセリング教育の、指導的役割も担っていきたいと願います。

     

    それはこの業界が本当に大切で、真に相談者が救われる体制構築に寄与したいからです。

     

    現在の私は未だ、業界を支えるような立ち位置には居ませんし、今後もそういう大きな存在になるとは思えません。

     

    しかし、こういう提言をしていく存在として、自分を磨き続けることに、誠実でありたいと思っています。

     

    記事の中には、失礼な言い回しもあったかと思いますが、心理カウンセラー自身も、相談をする人も、皆が心底、気の通い合う関係でいられることを、心から願ってのことですので、お許し下さい。

     

     

     

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    いつもご愛読ありがとうございます。

     

    こういった内容にご興味を持っていただける方は、過去に書いたこんな記事もお読みください。

     

    過去記事⇒ セラピストとは何か

     

    JUGEMテーマ:カウンセリング


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      [SNS] ブログ村キーワード

       

      少し前には、神奈川県座間市での連続殺人事件が連日報道されました。

       

      この事件はSNSによって「死にたい」などと投稿していた人に直接犯人が、「一緒に死のう」などと誘いをかけることによって起きていたと言います。

       

      時代のニーズが高まるSNSカウンセリング

       

      このことは国としても大変重要視されており、閣僚級の会合が開かれて厚労省にて早速予算がついたりもしているようです。

       

      そして既にSNSでは、文科省が先行して10代のいじめ対策が始まっており、私の昨年からそこに関わらせていただいておりました。

       

      SNSによるカウンセリングで何ができるのかというシュミレーションにも、モデルカウンセラーとして使っていただきました。

       

      そして先日(5月10日木曜日)、ついに東京(永田町・国会議事堂前にある参議院議員会館)にて「SNSカウンセリングシンポジウム」が開催(全国SNSカウンセリング協議会主催)されました。

       

      私は、講師をさせていただいている関西カウンセリングセンターのSNS相談事業スーパーバイザーという立場で、パネリストとしての出席です。

       

      当日は160名以上が参加される盛会ぶりで、テーマがこの国からSNS相談を通じて自殺を無くしていこうというものだったこともあり、党や派閥に関係なく、国会議員の先生方もずいぶん沢山ご出席いただいておりました。

       

      そのうちのお一人、今回SNS相談に国(文科省)の予算獲得に奔走してくださった浮島とも子衆議院議員のツイッターを紹介させていただきます。

       

       

      イベント全体のチラシはこちらです。

       

      SNSカウンセリングシンポジウム チラシ表

       

       

      SNSカウンセリングシンポジウム チラシ裏

       

      チラシを見ていただいてもわかりますとおり、大変多くの方々が登壇される形のシンポジウムでした。

       

      多くの国会議員と関連13団体が集結

       

      文科省・厚労省の担当者を含むどの発表も10分以内程度のもので、後半のシンポジウムでも、昨年から今年にかけてSNS相談を行った全国13の団体が数分ずつそれぞれの取組を伝えるという程度のものです。

       

      私もそのうちの5分ほど、発表させていただいております。

       

      SNSカウンセリングシンポジウムにてパネラーを務めた上野大照

       

      その意味で、今回のシンポジウム開催の意味は、その内容よりも、多くの国会議員、全国の関係団体が一つになって、SNSカウンセリングをこれから発展させていくと手を結んだことにあると感じました。

       

      私がお話した部分をSNSで公開してくださるという話もありますので、その際は、再度ブログ掲載もさせていただこうとおもます。

       

      SNSカウンセリングが始まった価値

       

      そして実は、数分で伝えきれるはずがないと思い、東京に向かう新幹線の中で、ツイッターの連続投稿で、伝えたかったことの概要を書いてますので、ここに転載させていただきます。

       

       

      上記、日時のところをクリックしていただきますと、連続投稿を全て見ていただけると思いますので、SNSカウンセリングにおける私の意見を是非ご覧下さい。

       

      そしてこのシンポジウムに参加したことで、私自身もSNSカウンセリングに対し、新たに次のような認識が深まりました。

       

      ・SNSでも女性の方が圧倒的に相談率が高いということ

      ・SNS相談の年齢層は主に20代までで殆どを占めるということ

      (今まで手が届かなかった層に着手できた)

      ・いじめ相談は中学1年生が特に多いということ

      ・SNS相談は文字やスタンプ、写真などによるチャットのやりとりとなる為、対面や電話よりも相手の状況を掴むことに多くの時間がかかるということ

      ・SNSであっても、対面や電話に引けを取らない心理的な成果を上げているということ

       

      SNSカウンセリング最大の価値は繋がりやすさ

       

      そして一番注目すべきは、やはり今まで相談してこなかった多くの若者が、今回の仮実施期間に相談してきたということです。

      その数は、1日で数年分にも及ぶことまでありました。

       

      今の時代、SNSはやはりそれがなのだと思います。

       

      やってみて、やはり対面や電話よりも大変効率は悪い。

       

      しかし、情報を知ることができる確率が大きく変わる。

       

      今まで若者達に何が起きているのかを見定めるツールはないに等しかったわけですから…

       

      そして大きな問題となる前の対策ができることも多い。

       

      最大の課題は相談力の高いカウンセラーの養成

       

      その先にあることは、その他の方法で実施してきた自殺対策などと、同じような課題でしょう。

       

      その一つは、警察や支援団体などへどう繋ぐのか(アウトリーチ)。

       

      もう一つは、カウンセラーの相談力をどう養成するのか。

       

      たしかに文字によるカウンセリングは、対面・電話のような雰囲気によるものが伝わりにくいですから、相手からの情報獲得も難しいですし、他の相談方法よりも具体的に尋ねてもらえることや、アドバイスを求めている場合も多いようです。

       

      「気持ちを聞いてもらうことが解決へとつながる」という、従来の心理カウンセリングでは、うまくいかない。

       

      この点、私は逆に積極的な対話を生かした短期療法家ですから、従来のカウンセリングでは扱えなかった痒いところに手を伸ばせるのではないかと思っています。

       

      具体的には、

       

      ・短文で高頻度の返答能力

      ・それは短時間で明確な状況掌握

      ・現実的で具体的な行動提案

      ・短文でも深く受容する傾聴の力

       

      などでしょうか。

       

      今後、こういった事業に対しても、より充実したSNS相談員を養成していけるよう、研修内容の提案などをさせていただく所存です。

       

      こちらは、今月末に発売予定のSNSカウンセリング入門。

       

      SNSカウンセリング入門

       

      私もコラムを1ページほどだけ寄稿させていただいております。

       

      長々と書きましたが、今後共、こういった活動を注目いただけると一番有難いです。

       

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      いつもご愛読ありがとうございます。

       

      JUGEMテーマ:SNSカウンセリング

       


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        あけましておめでとうございます。

         

        私も他の多くの方々同様に、年末年始の休暇をとらせていただいておりました。

        昨日から、通常の体制に戻っております。

         

        さて、新年最初のブログ記事は、この社会に未だ欠けているように感じる『統合』という視点について、書かせていただこうと思います。

         

        私の思うところ、人生における殆どの問題解決は統合にありますし、心も体も経済も豊かに生きる為に必須なのは、やはりこの統合という点にあると思うのです。

         

        この言葉には、合同、併合、連立、共同、合併などの似た言葉には入っていない、特別な意味が一つ込められています。

         

        それを知り活用することが、心理カウンセラーの私からすると、多くの人の人生を豊かにする為に、価値のある情報となるのではないかと思うことが、この記事を書く動機です。

         

        私たちは真の豊かさを手に入れる為に、何を知る必要があるのでしょうか。

         

        豊かな未来への道

         

        どうぞご自身の人生に参考としていただければ光栄です。

         

        そしてこの記事は、私個人にとって今年の抱負とも言えるようなものになると思います。

         

         

        目指すべきは真に豊かな人生

         

        これをお読みいただいている方は、今の人生が心身共に豊かに感じられているでしょうか。

         

        もちろんそうであることを願いますし、程度は別として、この日本社会に生きているなら、それなりな豊かさに触れていると思います。

         

        もはや言うまでもないことではありますが、一応付け加えるなら、この豊かさとは、経済的な点だけを指すものではないことを申し添えておきます。

         

        経済が豊かなことは、心も豊かに生きる上である程度の条件にはなります。

        物がないよりはあった方が良いでしょう。

         

        しかし、ある程度以上になった人たちにとって、それは幸せを運ぶ道具であって、幸せが何なのかを理解せずには何も得られませんし、多くを持たない時からこの思想であることの方が、結果として人生に心理的にも、経済的にも得られる効果が大きいと感じるのです。

         

        人生は簡単に言って、豊かさに触れているか、欠乏を感じているかに二分されます。

         

        そして欠乏を感じているとき、人は健康的にも大きなダメージを受け、それは日々を生きる生産性に甚大な影響を及ぼしています。

         

        欠乏を感じている人

         

        そして先ず、それぞれの人たちがどのような立場や役務にあろうと、真の豊かさを得る為に、共通していると思われる点について書いてみたいと思います。

         

        それは誰もが心を持っており、その心が願うことを手に入れたくて生きているということです。

         

        日々やっていることの全てはこのために行われており、浪費している時間は全てこのための時間です。

         

        この視点は、心理教育者であるからこその視点とも言えるとは思いますが、心理に関係のない職種の方であっても、ご理解を得やすいところだと思います。

         

         

        人生が豊かでない理由は統合の欠如にある

         

        そしていよいよ今回の記事の本論とも言える統合について書かせていただきます。

         

        先ず、私が心理カウンセリングをしていてこれまでに一番多かった問題は、人間関係の問題です。

         

        人間関係問題の裏にある本質的な問題はいつも、他の人との感じ方や考え方、つまり価値観の違いです。

         

        全ての人間関係は価値観の違いから来ているとすれば、自分の価値観と、他人の価値観の統合ができれば、必ずその問題は解決します。

         

        人が所属する団体間の問題も同様です。

         

        ある団体が主張することと、別の団体が逆を主張することがあるなら、やはりそこには双方譲れないことによって軋轢が生じます。

         

        それもやはり統合的な視点があれば、うまくいくのです。

         

        この思考を大きく言うなら、かつてのアメリカとソ連の冷戦を終わらせた手法でもありますし、小さく言うなら個人間の不一致や不平等を解決する土台でもあります。

         

        事実かどうかは別として、坂本龍馬が歴史的に注目される理由も、司馬遼太郎氏がこの人物を、統合的な視点に長けた人物として扱ったところによるところが大きいと、私は感じています。

         

        そして経済問題や、自己不信、病気や障害など、すぐに解決は難しく、特殊に見える問題も、やはり統合の視点が欠如しているからこそ続いているものだと言い切れます。

         

        その答えは、自分と問題の間にある分離思考が、問題の解決を邪魔しているからです。

         

        人は誰でも、自分が望んでいない問題に直面したとき、それは自分とは関係のない、別のものだという反応を示しやすいもの。

         

        これがあらゆる問題の解決を邪魔しています。

         

        そして私は、数年かけて、この分離思考の最大要因を見つけることに成功しました。

         

        あらゆる問題の最大要因を導き出した試算

         

        それは、これまで問題解決専門にカウンセラーとして取り組んできた実績と、心理講座を続けつつ自分自身が探求を怠らなかったこと、そしてそれらを一つにし、あらゆる問題の奥にあるものを、私自身が統合したことによって、見つけることができました。

         

        このことは、私自身、見つけたからと言って、完全にうまく使いこなせているわけではありません。

         

        しかし、個人的には確信を持ってお伝えできます。

         

        それは、これさえ理解できれば、人生は本当に豊かなものとなっていく方向へ、舵を切れるということです。

         

        最大要因が何かについては、ここからの説明の最後の方になりますので、少し長いですが、お付き合いいただけましたらと思います。

         

         

        統合とは何か

         

        では、いよいよここで言っている統合とは何かということについて、お伝えしていきましょう。

         

        このことを説明するには、会社の統合というものを例に説明するとわかるやすいと思います。

         

        会社には、二つ以上の会社が一つになるとき、主に合併、吸収、統合という分類が存在します。

         

        ここでは三社以上の話にするとややこしくなりますので、二社が一つになるとして説明させていただきます。

         

        この三分類を簡単に説明しますと、合併とは二つ以上の会社が文字通り一つになることを意味します。

         

        つまり、両方の会社がそのまま残されることになります。

         

        次に吸収ですが、これは一つの会社がもう一つの会社を吸収するということです。

         

        つまり、強い会社が弱い会社を潰し、自分のものにしたことになります。

         

        残った会社と消えた会社があるということですね。

         

        最後に統合です。

         

        これは会社の場合、事業統合とか、経営統合という表現で言われるものなのですが、一旦それぞれの会社とは別の会社をつくり、その会社が経営指揮をとる方式をとります。

         

        この場合は、両社が残ることもありますし、後々に両社を処分し、新しくつくった会社だけにすることもあります。

         

        どちらにしても、この方式の場合、両社の資源を残すだけでなく、両方の会社とは別の会社によって、新しい概念による経営が始まるのです。

         

        そしてこのことは、人間関係においても同じようなことが起きていることがわかります。

         

        二人以上の人が継続的な関係を維持している場合、そこには上記の合併、吸収、統合と似た関係が存在しているのです。

         

        合併の場合は、それぞれの領域には入らないような距離感で関係し合っていると言えるでしょう。

         

        吸収の場合は、どちらか一方が、自分の主張はまるで言えないという関係になっているかもしれません。

         

        統合の場合、これはあまり見受けられないのですが、両者が一つとして機能できる新しい概念を生み出すことを、互いに語り合うなかで導き出しているように思います。

         

        男性が女性を支配してしまうコミュニケーション

         

        この三つからすると、吸収のパターンが一番問題となりそうな気がします。

         

        しかし実際には、全てにおいてそうなっていることは稀で、何かの事項においては吸収の形となっているということだと思いますが、どちらにしても、両者または片方が大きな不満を持つことに変わりはありません。

         

        また、互いが同じ立場で、同じ権利だという合併のパターンでも、本当の意味で両者が心豊かに存在することは難しいでしょう。

         

        その理由は、心に本当の意味で思っていることを言い合ってしまっては問題となることを、お互いが自覚していることによって、そうならない適当な距離を維持しているだけだからです。

         

        つまり、ある意味相手に望み過ぎず、お互いが諦め、譲り合ったことによって、ある程度の満足に留めている状態だとも言えます。

         

        そして統合は、上記の二つとは違います。

         

        統合の場合、それぞれが持っている資源・持ち味を十分に加味し、互いが活きる新しい概念を導き出さなければなりません。

         

        その為に必要になってくるのは、資源・持ち味を活かし合うだけの、必要十分理解です。

         

        このことは、自己心理だけの場合であっても、同様に作用します。

         

        自分が自分を否定している状態は、やはり統合はできません。

         

        ユングという心理学者は、人生の意味は自己の内側にあるそれぞれの性格タイプの統合にあると言いました。

         

        その点においては、私も彼の意見に傾倒しています。

         

        また、運命などについてもやはり同じです。

         

        起きてくる出来事が、自分にとって望ましくない場合、多くの人は自分が負うべき責任のないものとして、分離しようとします。

         

        自分には関係のないものとして、運命の被害者となるのです。

         

        その場合、運命に対して逃げ腰ですから、自分の能力が十分に生かされることはありません。

         

        やはり、運命という機会を生かすも殺すも、それはその運命を受け入れ、今までとは違う概念を導き出そうとする姿勢が問われているわけです。

         

         

        統合に必要な条件

         

        ここまでのことをご理解いただけたらなら、どのような問題であっても、統合という観点を持つことが重要なことだと気づいていただけると思います。

         

        そしてこの統合を起こしていくには、必要な条件があります。

         

        その一つは、統合したい人や物、出来事などについてよく見て理解することです。

         

        決してネガティブな事象だけではないのだと、解釈をし直す必要があります。

         

        次に、それを可能にする為には、ある種の勇気が必要になります。

         

        何でも、自分の解釈に間違いが含まれているかもしれないと思いながら、実際の事象を眺めることは、勇気が要ることです。

         

        しかし、勇気とは無駄に生まれるものでは決してありません。

         

        そのことに取り組むことによって、それまで以上の何かを手に入れられる期待があるからこそ、勇気を出すことができるのです。

         

        ここまでをまとめると、新しい希望に繋がる期待を持ち、勇気を持って現実を見つめ、新しい解釈ができるだけの十分な理解をするように取り組むことです。

         

        新しい可能性

         

        その上で、統合の本質である、それぞれの性質とは別の、二つが一つになったときに考えられる新しい可能性についてを想像し、それに従って互いの関係を創造していくのです。

         

         

        人の統合を阻み続けてきたもの

         

        統合を起こしていく条件を満たし、それが可能となってきたなら、本当に多くの問題は解決に向かうでしょう。

         

        事実、私が心理カウンセリングをしていくとき、その殆どはこの考え方に従って解決しています。

         

        そして私が、この統合を阻んでいる最大要因だと思っているもの。

         

        それは男女の性についての問題です。

         

        男性と女性は、本当に相手のことを知りません。

         

        その理由は、相手固有のことである前に、異性が持っている特有のパターンについて、驚くほど知らないのです。

         

        私が最近、講座でも心理カウンセリングでも、よく言っているのは、こういう言葉です。

         

        『その問題は、貴方の問題でも、相手の問題でもなくて、人類共通の問題です』

         

        つまり、性についての悩みは、決して個人的な問題ではなく、人類共通の悩みのネタなのです。

         

        これは恋愛や結婚、性別特有の問題などについてだけを言っているわけではありません。

         

        そもそもの性についての無理解自体が問題を孕んでいると思うのです。

         

        何故なら性について、私のたちの多くは、小さな頃から”隠すべきものであり、決して見せてはいけないもの”として自覚しています。

         

        その前提があるからこそ、性について正面から向き合う事自体、避けることが当然のようになっているのです。

         

        男性が男性らしいとはどういうことなのか。

         

        女性が女性らしいとはどういうことなのか。

         

        それを知らずして、自分は何者なのかを理解することはできません。

         

        そして男性と女性が接するということは、そもそもどういうことができるのか、できないのか。

         

        このことについては、多くの男女が持つ知識も、やはりあまりに貧困なのです。

         

        そういった意味で、これこそが私の持つ今年の抱負になるのですが、男女という生物学的にも心理学的にも社会的にもタブーとされてきた領域に、統合を見出し、伝えていくことこそ、大切なことだと思っています。

         

        男女が統合され満たされる新しい世界

         

        男女の統合は、多くの人が本当に悩んでいることであり、そこに希望が見出だせるなら、ここまで取り上げてきた多くの問題に統合を見出すことは、とても容易になります。

         

        男女の話は、それだけで多くの分野を持っています。

         

        生物学的・心理学的・社会学的な自己理解から始まり、出逢いと別れ、恋愛、結婚、性生活、互いの文化と価値観など多岐に渡ります。

         

        そしてそれは、決して男女の話に終わらないのです。

         

        今年のテーマは統合(インテグラル)。

         

        ここからの心匠にご注目いただければ幸いです。

         

         

        男女の旅という心理講座

         

        2018年の新年から、男女の旅(正式名称:心を学ぶ講座 男女編)という心理講座を始めます。

         

        心匠が探求し続け、統合の条件として結実した男女の旅。

         

        ご興味をお持ちいただける方は、どうぞその中身をご確認下さい。

         

        講座の説明をご覧いただけるだけでも、価値のある内容だと思います。

         

        心を学ぶ講座 統合編 男女の旅

         

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        いつもご愛読ありがとうございます。

         

        改めまして、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

         

         


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          [心理カウンセリング] ブログ村キーワード

           

          少し前、知り合いの精神科医の方とお酒の席を同席させていただいたことがありました。

           

          そこでの対話が、私にとってセラピー(心理カウンセリング)とは何で、何を大切にしていかないといけないのかについて、とても考えさせられるものとなりました。

           

          お話の中身は、精神科医様の守秘義務に抵触することを避けるため、患者様との話はほんのちょっとのことでも内密にさせていただきますが、今回のことで改めて私の心の中に沸き起こったことが、今回の内容になります。

           

          そもそも欠けてしまいがちな視点とは

           

          心理カウンセリングをさせていただいてると、悩みが解決に向かう中で、何が解決に大きく関与しているのか、私なりに思うところがあります。

           

          それこそが、この世界の多くに欠けている視点なのではないかと思う部分なのです。

           

          それは「実際にはどのように機能しているのか」という視点です。

           

          私達が生きている社会には、多くの問題解決法がありますし、教育や成長、人間関係、心理などについて、これが良いという理論など、山のようにあります。

           

          しかし、その理論を試してみたときに、それが実際にはどのように機能するのか、やってみないとわかりません。

           

          言い換えると、未だ私達の生きる世界は、思い通りに起きることを予測できる程、うまくいってはいないのです。


          しかり、それだけ言っても、わかりにくいかと思いますので、今回は、精神科の診断書という一つの例を使って、詳しく説明させていただきます。

           

          また少し長くなるかもしれませんが、心理に関係している方や、深くお悩みを抱えていらっしゃる方は、是非ともお読み下さい。

           

          精神科医の診断書は役立つのか

           

          今回、精神科医の先生と話していて、盛り上がったテーマ。

           

          精神科医の診断書

           

          それは、心理問題を抱えるクライアントにとって、診断書はいつ役立つのかという点です。

           

          診断書を、"役立つのか、役立たないのか"と語るのは、少し違和感を感じるかもしれませんが、これが今回お伝えしたいことに大きく関わっている内容なのです。

           

          先ず、精神病や心身症を診断されるとはどういうことになるのか考えてみましょう。

           

          診断された本人は、「何か普通じゃない感じがしてたけど、やっぱりそうだったのか」ということになり、苦しみにラベルが貼られ、そのラベルについて余計に深く悩んでしまうかもしれません。

           

          それとは逆に、診断されることによって、「病気なんだから仕方がない」と楽になれる人も居るでしょう。

           

          それは相談者(患者)本人の性質や、置かれている環境によって大きく変わってくると思います。

           

          もっと言うなら、本人が、「周りからどう思われるのか」によって随分意味が変わるのです。

           

          その扱いは国やそれぞれの所属する人間関係の文化によって変わってくるものだとは思います。

           

          そして筆者が知るところでは、周囲からこのように思われることが多いのではないかと、推察しています。

           

          何か大変だけど、どうして良いのかわからないもの

           

          未だ、この社会における精神病の扱いはあまり認知されていません。

           

          もし、心の問題に悩む本人と相手をするにしても、それを救うコミュニケーションは何で、逆に苦しめてしまうコミュニケーションが何なのか、わからない方が多いは実際のところでしょう。

           

          もしかすると、実際に診断された方の周囲の人の中には、自分の不安怖れが増してしまう方もいらっしゃるかもしれません。

           

          「正直、私は危害を加えられないだろうか」

           

          などと感じてしまう方も居るかもしれません。

           

          心理カウンセラーとしては言うべきでない発言かもしれませんが、仮にそうであっても、筆者はおかしいとは思いません。

           

          それよりも逆に、そういった反応を相談者本人が浴びる可能性があるということが視野に入っている方が、実際の援助には役立ちます。

           

          今回お読みいただいている方も、そう感じるでしょうか。

           

          仮にそうなってしまったなら、どのような影響が出てくるのか、もう少し解説します。

           

          人間の性質の一部には、違和感のあるものを排除したいという傾向がある

           

          これは心理の世界に仕事をさせていただいていると、強く感じられる人間の性質なのですが、多くの場合、人の集団は自分の中で理解できない存在に違和感を感じると、それに恐れや不安を抱き、排除しようとする傾向があるようです。

           

          もちろん、皆がそうではありませんが、そういうパターンはとても多く存在しています。

           

          このことを、太古の時代から歴史的に解釈するなら、集団が生き抜いていこうとき、違和感のある個人を入れておくことは、生存の危機に直結していたのかもしれません。

          まだ野外に少数民族として暮らしていた時代なら、容易に想像できますね。

           

          このことについて私個人は、デビルマンという漫画の中で、周囲が悪魔と一体化したデーモンという人類の新種に違和感を持ち、殆どの人が排除しようとした中で、デーモンは悪い奴じゃないかもしれないと言った主人公の交際相手が、魔女として扱われ、酷い仕打ちを受けるシーンが思い出されてしまいます。

           

          デーモンを積極的に排除しようとしない彼女が、周囲の人からは、不安と恐怖の対象者になってしまったわけですね。

           

          その漫画のイラストをご紹介したいところですが、公開で画像として取り上げるにはショッキングな内容ですので、ここでは控えさせていただきます。

           

          しかし、その結果として悪魔と一体化した主人公(デビルマン)が残した言葉だけでも、何かを物語っていると感じますので、そちらの画像を載せさせていただきます。

           

          俺は身体は悪魔になった…だが人間の心は失わなかった。きさまらは人間のからだを持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!

           

          現代の社会ニュースなどもそうですね。

           

          陰湿で凄惨的な事件が報道されると、そこに込められた悪がそうさせたと捉え、それを排除する為にはどうしたら良いのかという観点で、更に報道が上乗せされていくという感覚が、この時代になっても感じるのは、なんとも言えません。

           

          しかし、こういう筆者の話もまた、そうなってしまう人々を悪く言っているように思って欲しいと言っているのではないのです。

           

          どうあがこうと、まだまだ人々は、集団になると、そういう性質を持ってしまうものなのです。

           

          「本当にはそう思わない。でもここで生き抜く為には、私が所属する集団の意識に協調性を見せておく必要がある」

           

          そう考えることは多いもの。

           

          それを責めるのもナンセンスだと筆者は思っています。

           

          居場所を失うことは、誰であっても大きな問題なのです。

           

          診断書の価値がそうであって欲しいと願うこと

           

          もちろん、診断書が出たとしても、その影響が悪い方へばかり向かわせるわけではありません。

           

          職場の心ある人々が、そこまで至ってしまった経緯に関心を持ち、深く話を聞いて心を癒やしてくれるかもしれません。

           

          積極的にその人の為に何ができるかと模索してくれるかもしれません。。

           

          何もできないと知っていても、せめてその心を理解してあげようと、優しさが増すかもしれません。

           

          誰であってもそういった美しい話を聞いたことは、一つや二つではないでしょう。

           

          筆者自身も、そうでありたいと願っています。

           

          診断書を出す側も、もらう側も、そんな願いが少なからずあるのではないでしょうか。

           

          そのことは、おそらく医師にもある程度あるのではないかと思っています。

           

          ただ、筆者がこの記事で伝えたいのは、全ての人がそういう肯定的な反応をするわけではないという実際面なのです。


          そうであって欲しいと願うことと、実際にそうなるということとは、いつも少し違う側面があるのでしょう。

           

          診断書が役立つタイミング?

           

          こういったことをベースに話を戻しますと、最初の話が少し伝えやすくなります。

           

          精神科で診断書をもらった人への、周囲が発する実際の反応は、どうなることが多いのでしょうか。

           

          自分とは違うと感じた存在に恐れを抱き、簡単には排除するとまではいかなくとも、多少の距離を置きたくなることは少なくありません。

           

          その理由は、これまで書いてきた通りです。

           

          そして、そもそも診断書とは、いつ取得するものなのでしょうか。

           

          その多くは、自分の勤め先に対し、休養の必要が認められることを医師に証明してもらうタイミングで使われているようです。

           

          もちろん、一度休職期間などに入ると、経過報告や、復帰のタイミングでも必要になります。

           

          その他に家族や親族へ何かの理由で診断書を見せる必要があることはありますが、あまりそれが主たるものではありません。

           

          だとすると、最もポピュラーな使い方は、雇用主に見せることです。

           

          ただし、ここで一つ問題が発生します。

           

          それは、患者自身がどういったところに勤めているのかということです。

           

          他に替えがきくような、大きな職場であれば、休養、休職、復帰という流れの為に、使えるかもしれません。

           

          しかし、小規模事業、個人事業に雇用されている方などの場合、その人が居ないと、売上に直結してしまいます。

           

          小さな規模では、誰かがしばらく居ないということに対応できませんし、休職期間に標準的な給与の6割を支給するという雇用主負担も、小さな規模では支給が難しくなります。

           

          そういったいくつかの意味で、もし職場に残り続けるとしても、その人に雇用主が負担を感じることは少なくないでしょう。

           

          そうなると、小規模事業の場合は、診断書を持っていったとしても、単に職を失っただけという悲しいストーリーが待っている可能性もあります。

           

          このことについて、今回、対話をさせていただいた精神科医の先生とは、診断書を書くことが、患者への援助だとするなら、その背景をどうやって確認していくのかが課題になるということを確認し合いました。

           

          私のような一人の心理カウンセラーの意見を、ちゃんと受け止めて下さるのは、本当に有り難い医師だと感じた瞬間です。

           

          人間に起こる問題と解決の本質

           

          そして、筆者がこういった話題をご紹介した理由は、決して診断書について深く考えて欲しいからという、限定されたものではありません。

           

          人間に起こる問題と解決していくための本質的な話題を提供したいからです。

           

          それは、何が作用して悲しいストーリーが生まれたり、逆に問題が解決していったりするのかを、見極めることだと思っています。

           

          筆者は、この作用機能という言葉に、まだまだ私達一般人は無知だと感じているのです。

           

          少し前のブログ記事に、心理療法の中でブリーフセラピー(短期療法)というものがあり、その療法家たちが大事にしているのは、プラグマティズム(合理主義とか実用主義と訳されます)だということを紹介しました。

           

          該当する記事⇒ ブリーフセラピー協会学術大会2017に参加して

           

          筆者がこのことを通じて言いたかったことは、個人の気持ちがどうであるという以上に、どんな人間関係でも、実際にそこに起きていることを中心に問題を分析するべきでしょうし、実際に起こりうる解決策を立てるべきだと思うわけです。

           

          私達の住む世界は、実際のところ、まだまだそれがズレてしまっていると筆者は感じます。

           

          この問題はこうである筈だと論じて実践し、結局は予想通りに物事が進まず、机上の空論となってしまうのです。

           

          だからこそ私は、そのことをこの社会に伝え続ける使命を感じていますし、心理カウンセラーや心理系のセラピストを育て、支援し続けています。

           

          人の心がどのように実際に作用され、機能するのかを深く理解できた心の専門家(心匠)を、もっともっと増やしたいのです。

           

          心の専門家になれる講座

           

          私はブログ記事などを頻繁に更新する能力はありませんので、この記事が2017年最後となると思います。

           

          2018年1月21日からは、私が主催する心匠セラピスト養成講座9期がスタート致します。

           

          この講座を学んだ人は、心の実際についてを多くの点で理解するわけですから、周囲への存在感がシフト致します。

           

          現在、受講生募集中ですので、こういったことにご興味のある方は、是非半年間の深い心の学びに飛び込んでみて下さい。

           

          詳細は次の画像リンク先から、見ることができます。


          心匠セラピスト養成講座

           

          そして、こういう主張をする私が、問題を解決していく対話を生で見ていただけるセラピーライブが、1月14日(日)にあります。

           

          ご関心のある方は、是非とも見ていただきたいと思いますので、次の画像リンク先で詳細をご覧下さい。

           

          後半は、私に繋がるセラピスト達の交流会にもなっていますので、そういった方々と知り合いたい方もご利用下さい。

           

          セラピーライヴ 上野大SHOW

           

          私が月数回配信している心の専門家としての、心理と人間関係の無料メルマガにも、ご登録下さい。

           

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          心匠 上野大照のメルマガ こころの仕組み

           

          いつもご愛読ありがとうございます。

           

           

          JUGEMテーマ:ブリーフセラピー


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            [偶然の一致] ブログ村キーワード

             

            突然ですが、こんな写真があります。

             

            鷹人間

            (写真提供 知ってほしいnews_〆(・ω・ )ノ

             

            これはたまたま手前に居る鷹と、奥に居る人が重なって写真におさまったことで、特有の雰囲気になっているものだと思いますが、こういったことを、偶然の一致と言います。

             

            そして今回の記事では、この「偶然の一致」について、人の心理についての独自の視点を持つ心匠として、コメントさせていただこうと思います。

             

            偶然の一致はスピリチュアリズム(精神主義)

             

            「偶然の一致」という言葉は、スピリチュアルを大切にする人々の多くに語り継がれる言葉です。

             

            このことをシンクロニシティと呼び、ウィキペディアなどにも詳しく書かれている通り、日本語に訳すと共時性とか、共鳴性などということになるのだと思います。

             

            実はこのことについて、ツイッターに連続投稿で長々とつぶやいたのですが、今回それを校正し直し、改めてブログ記事として公開し、偏ったスピリチュアリストが語りがちな偶然の一致(シンクロニシティ)とは対照的に、ある意味現実的な側面を貫く認識論者として考察してみます。

             

            これを書く理由としては、偶然の一致を信じれば全てはうまくいくという安易なスピリチュアリズムに対する警告でもあり、逆にこの考察を通じて、スピリチュアリズムを日常に生かして、豊かな人生を生きていただく為の手助けとなれればとの思いがあるからです。

             

            認識論とは、人がどのように物事を認識しているのかという認知学のことであり、もう少し広く言えば、認知学自体について考え直してみようという、深い学問でもあります。

             

            認識論的に考えることができれば、この世界は現実的に考えても、精神主義にひけをとらない幸福への態度をとることができます。

             

            認識論では、リアリティで精神世界を紐解くことができる

            (写真提供 MAG2NEWS

             

            このことについては、後述する私の略歴をご参照下さい。

             

            偶然の一致を人はどうやって認識しているのか

             

            では本題に入らせていただきますが、先ず、認識論で物事を考えるなら、先ずは"どうやって偶然の一致が起こるのか"という原因と結果の考察の前に、人が何を偶然の一致と捉えるのかについて意識する必要があります。

             

            実際の偶然の一致がどうかは別として、"どのようにそれを認識するのか"ということですね。

             

            いつも通りの日常にある出来事が、いつも通り起きただけで、それが偶然の一致と捉えるかどうかを考えてみましょう。

             

            おそらくそれはないのではないかと思います。

             

            偶然誰かと出会えたときの表情

            (写真提供 bokete

             

            だとすると偶然の一致と捉えるものとは、特別に待ち望んでいた出来事について、そう思うのではないでしょうか。


            少なくとも、日常的(非日常)的な何かに繋がらない限り、それをわざわざ偶然の一致などという言葉で表現することはないでしょう。

             

            そしてこの場合、一致という言葉は、「何かと何かが繋がった」ということを意味するのだと思うのです。


            それは一体、何と何の繋がりを指すでしょうか。

             

            例として、昔の知り合いと似た人が通りすがりに見当たったとします。

             

            何か気になるので、しばらくその人を眺めていたら、思ったよりも時間が経ってしまってその先にあった何かの予定に遅れてしまった。

             

            その結果として、何かの事故を免れたり、その為にその先の場所で実際に会いたいと思っていた人に偶然会ったりするということもあるかもしれません。

             

            『何となく会いたいと思ってたら会えた』

             

            というような話は、枚挙にいとまがありません。


            私自身、自分にも人にも良く聞く言葉です。

             

            偶然の一致とは、何と何が一致したことなのか

             

            仮にこういった出来事を偶然の一致とした場合、「自分には関係ないと思っていたこと」と、「望んでいたこと」が繋がったことになるのだと思います。

             

            今回の例で言うなら、「似た人をただ無意味に眺めていた」ということと、「事故を免れた」または「望んでいた人に出会えた」ということが繋がったことになります。

             

            おそらく偶然の一致という言葉が指している両者の繋がりとは、こういったことなのではないでしょうか。

             

            それは日常の中では意識し難い、今後の人生に良い意味があることは間違いないでしょう。

             

            普段では起こり得ない、良い出来事です。

             

            だとするなら、それは不慮の災難を免れるか、思ってもない喜びに繋がるものだということになります。

             

            当時大人気だった歌手の坂本九さんが、飛行機事故で亡くなったのは、国民的大ニュースだったと親からよく聞かされたものですが、こういったことも、何かの虫の知らせがあって免れたらよかったのにと思うストーリーだと思います。

             

            坂本九

            (写真提供 wikipedia

             

            また、人はタイミング良く何かが連続していくと、その方向へと人生が引っ張られるものです。


            個人的には、お勧めや注目の商品をうまくネットブラウジングに刷り込ませてくるAmazonなんかは、この仕組みを逆利用している典型例だと感じています。

             

            そして「不慮」や「思ってもない」ということが意味しているのは、日常の中では意識できないものだったということになるのではないでしょうか。

             

            つまり、日常的なサイクルの中にはない出来事が、そこに挟まったことになります。

             

            しかし、先程の例で言うなら、単に自分がどこかへ行こうとして移動していたという行為は、日常的だった筈です。

            ではいつもと違っていたのは何だったのでしょうか。

             

            何が偶然の一致を引き起こすのか

             

            それは「過去の知り合いと似ている」と感じたことによって、いつもとはややちがう意識が関与したことによるのだと思います。

             

            この、

             

            『やや違う意識が関与した』

             

            というところが大切です。

             

            しかし、そんなことは、私たちの日常に、いくらでも起こり得ることなのではないでしょうか。

             

            日本に住んでいるなら、季節の移り変わりだけでも、色が日々変わっていきます。

             

            共に暮らす人でさえ、毎日同じ様子しかないことなどあり得ません。

             

            私達の日常は、些細ではあっても、実際には日々変化に富んだものなのです。

             

            そういうことを考えていくと、

             

            『些細な出来事に大きな意味が込められていて、それが原因で人生が今までにはない前進をする』

             

            という強引な解釈(私はこのことを偏ったスピリチュアリズムと呼んでいます)よりも、そう日々の出来事を捉える「期待」にこそ意味があるとは言えないでしょうか。

             

            私は、セラピストや占い師が起こしていることは、この「期待」にあるのではないかと、認識論的に理解しています。

             

            ならば逆に、日々の些細な出来事に大きな意味があるかもしれないという期待をどうやって湧出するのか。

             

            そこが日常を今までとは変えたいと願うときの論点になるように思うのです。

             

            といっても、それが然程難しくないことは、ここまでの文脈を理解した賢明な方であれば、よくわかると思います。

             

            今までの日常を変える非日常は、当たり前の日常の中に潜んでいると知るだけで良いのです。

             

            私達の日常をどのように捉えるのかは、その日常の主人公である本人の自由です。

             

            何も変わらないと捉えて絶望的な日常が続くと捉え続けることもできますし、全ては希望が満たされていく為に起こり続ける非日常の連続だと捉え始めることもできます。

             

            『そこにあるのは意識の差であって、出来事の差ではない。』

             

            そんなふうに捉えてみることもできるのではないでしょうか。


            そしてこのことについて申し上げておきたいのは、逆に、日常の中に特別な出来事は入ってこないという、冷淡な解釈を無理やり理解すべきだと言いたいわけではないということです。

             

            人生にラッキーなことはもちろんあります。

             

            運勢もおそらくはあるのだと思います。

             

            その意味で、そういった専門の職業にある人達を批判する意味は、私は持っていません。

             

            私がお伝えしたいのは、特別なラッキーが生じなくても、その幸運と同じ仕組みを日常の中に作り上げることができれば、それだけ日々の生活に潤いを持てるのではないかと期待できるのはないかということなのです。

             

            偶然の一致を妨げるもの

             

            そして私は心理カウンセラーとして、こういった「偶然の一致」の基となる意識を妨げるのが何であるのかも、わかっているつもりです。

             

            それは結局のところ、自己不信なのではないでしょうか。

             

            ここで言うそれは「私に新しい未来など見つける力がある筈がない」という認識のことを意味しています。

             

            そしてここまでくると、心理カウンセラーやセラピスト、占い師、その他多くの援助者がやるべきことは、「貴方は貴方のままで間違いない」と伝えることにあるのだということがわかります。


            おそらくわからないのは、それを実際にはどうやってやるのかということでしょう。

             

            それをやれば良いもわかっていたとしても、実際にはそうならないことなど、山のようにあるからです。

             

            その仕組みを、さらに詳しく語っていきたいところなのですが、今回のこれについて、恒例の年末のワークショップに機会を譲りたいと思います。

             

            小さな部屋でやる数名のワークショップだからこそ、せめて両日満席になるくらいにはなってくれたらと願います。

             

            しかし、こういった私が主催するイベントに参加できなかったとしても、今回書いたような日常は見る目一つで違うものと捉えることはできるという考え方を、是非とも意識して生きてみていただきたいと思います。

             

            それが何かのお役に立てれば幸いです。

             

            ワークショップの詳細は、後半のイベント紹介にて、ご覧下さい。

             

             

            心匠 上野大照って誰?

             

            この記事に何かの縁で辿り着き、お読みいただくことになった方へ。

             

            心匠 上野大照

             

            お読みいただき、とても光栄です。

             

            既に私の主催する講座や、心理カウンセリングなどによって深く繋がって下さっている方もいらっしゃると思いますが、こういった記事はまだあまり私のことを知らない方も読んで下さっていると思いますので、少しだけ私の紹介を兼ねたことを書かせていただこうと思います。

             

            私は仕事も住まいも大阪で構えています。心理カウンセラー&心理教育講師です。


            心理学という業界の中で、積極的に行動を変化させて現実を変えることを主題とするブリーフセラピー(短期療法)という手法を主に扱っているところに特徴があります。


            その為、その手法を扱う日本ブリーフセラピー協会では大阪支部長をさせていただいていたり、関西カウンセリングセンターという関西では一番大きな心理教育団体での講師も務め、短期療法を中心にカウンセラーの養成にも携わっています。

             

            心理の学びは専門的にスタートしたのは2007年からになります。


            その意味では、この業界に入ってまだ10年ほどの経歴ですから、新米のようなものです。


            2009年には非営利団体にて心理セラピストとして活動を始め、2013年に民間で独立開業しました。

             

            この業界には、とても多くの専門家の先生方がいらっしゃいますので、私ごときが専門家と名乗るのは恐縮なのですが、何を得意としているのかという視点で申し上げますと、実は心理カウンセリングよりも、認識論という学問が好きで、最も得意な分野だと自認しております。

             

            先程取り上げた説明の仕方なども、認識論的な説明法ですね。


            認識論とは、何が真実なのかという視点よりも、「人がどのように認識してそう解釈しているのか」というように考える学問なのです。


            私はこの考え方を、グレゴリー・ベイトソンという故人から、主に書籍を通じて学びました。

             

            彼の著作はどれも難しいものばかりなのですが、難問を紐解いていくようなストーリーにやみつきになり、数年かかって代表作は大体読み終えました。

             

            今となっては、この視点が心理カウンセラーとしても、講師としても、大いに役立っていると私自身は思っています。

             

            特に短期療法では、彼の考え方を基盤としていますので、余計に運が良かったと思います。

             

            最早、こういった認識論による視点は、私にとって違和感のない当たり前のものとなってきていますが、読者様にとっては、ちょっと一風変わった捉え方に感じるかもしれません。

             

            そしてこういった物書きとしての性質が、ある意味読者様の人生を動かすきっかけになれればと願っています。

            是非、私のような人間の物言いを、何かの参考にしていただけそうであれば、月数回の配信をしている無料メルマガへご登録下さい。

             

            先ずは、数年前に書いた願いが叶う生き方についての無料メール講座から入っていただくことをお勧め致します。

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            (※届いたメールから読者解除もできますので、私がお役に立てそうにない方は、いつでも解除してくださってかまいません。)
            気楽にお読みいただけたら幸いです。

             

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            イベント紹介

             

            前半で取り上げていた、偶然の一致を引き起こしていく人生の創造法について、今年は年末に2回同じ内容でワークショップを開催致します。

             

            現時点では、両日とも、まだ数名の申込みが可能ですので、ご興味のある方は、飛び込んでみていただけたら幸いです。

             

            詳細はこちらのリンクからご覧下さい。

             

            美しき人生を想像する1Dayワークショップ2018

             

             


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              段々年末に近づき、2017年も暮れてこようとしています。

               

              このブログも既に書き始めて633記事目だそうです。

               

              訳あって消した記事などもありますので、そのまま残っているわけではありませんが、書き始めた2009年からの軌跡がここにあるのかと思うと感慨深いものがあります。

               

              ブログとは、ある種の個人主張を大切にするメディアだと思いますので、あくまで私が感じているものということで書こうと思うですが、今回は「人本来の生き方って?」というテーマについて、私なりの提言になります。

               

              それなりに長くなりますから、もしかすると、途中どうしてそんなことを言っているのかと、読むのがしんどくなる方もいらっしゃるかと思いますが、こういったテーマに興味を持つ方であるなら、決して無意味なことはないと思いますので、何とかお読みいただきたいと思います。

               

              そもそも『人本来』って何だろう

               

              先ず、『人本来』という表現は何を意味するのでしょうか。

               

              人本来の生き方とは何か

              (写真出典 カラパイア

               

              本能的に生きれば良いということを意味するようにも思いますし、人間としての尊厳を守って生きていきましょうと言っているようにも感じます。

               

              また、人は人間関係というものの中に生きていますから、その意味では周囲の人と調和して生きていこうというテーマに沿うものとも言えるのかもしれませんし、周りに合わせることよりも、個人が主体的に気持ちの趣くまま生きるのだと主張する人たちも居ます。

               

              昔と今とでは大切にしている思想も変わってきていますから、時代性を意識した方が良いのか、逆に歴史に一貫した何かを重視すべきだということもあるでしょう。

               

              そのどれが大切なのかを決めるという議論も、私としては何か偏ってしまう気がしますし、このことへの答えが人としての生き方を理解できることになるのではと思い、そのまま筆を進めさせていただきます。

               

              どれも人であることに変わりはない

               

              そして、その答えを私なりに(簡単に)言えば、そのどれもを包含したものであるということだと思います。

               

              本能とは、まとめてしまえば人としての尊厳も、周囲との調和も、主体性も、時代性も、歴史において変わらない何かも、どれも人の中に無いのであれば、意識できないでしょうし、結局はそれを全て含んでいるのが本能なのだと、私は感じます。

               

              我慢した顔

               

              その意味では、個性の生き様にばかり的を当てるセラピストや教育者は偏っていると感じますし、従来の集団教育を意識した我慢が美徳のような感覚も、今やあり得ないでしょう。

               

              協調性

               

              人類の歴史を俯瞰すると…

               

              このテーマを考える時に、私としては外せない前提があります。

               

              それはこれまで人類が生きてきた歴史です。

               

              私はこれを語る為の根拠として、難解な科学史書でもある『デカルトからベイトソンへ〜世界の最魔術化〜』という本をよく学びましたし、それを物語として学びやすいのは、『聖なる予言』という90年台の小説だと思いますが、ここにその要点を書いてみようと思います。

               

              人類の歴史は約100万年とも言われますが、実際に記号や文字などがあって、意志が明確に汲み取れる歴史は数千年しかありません。

               

              予測として言うなら、それまでの人類は常に死にさらされ、他の動物と大きな差のないレベルであったのではないかと感じています。

               

              狩猟

               

              そして象形文字などから始まる代替的なコミュニケーションを手に入れた時代から、文明を築き、私達が知る歴史というものとなっていきますが、この歴史を千年単位で意識すると、見えてくることがあります。

               

              多くの場合、私たちは自分たちの環境を千年単位などで見ることは少なく、自分の人生だけの数十年で見てしまいがちです。

               

              しかし、それではやはり、人本来というキーワードは読めてこないのです。

               

              ここでは是非とも、少し遠い話になりがちですが、そこを意識してみていただきたいと思います。

               

              文明は近代までに3段階を経ている

               

              紀元前5世紀あたりになって、天候の恐怖や肉食動物との闘争に明け暮れていた時代が終わると、人は釈迦も学んだとされるインドの古代哲学書『ウパニシャッド』や、道教の祖・老子、アリストテレスなどの哲学、ユダヤ、キリスト、イスラム、儒教などが栄えました。

               

              天候や運勢の読み方は神の教えに頼ったものか、呪術です。

               

              つまり、哲学・呪術・宗教などが収める時代で、これが15世紀頃までは主流なものとして続きます。

               

              インディアンの儀式

               

              これが2段階目です。

               

              この段階は、当初人々を魅了し、どう生きるべきなのか、常に指針を与えてきました。

              しかし、それも末期になると今まで見ることのなかった教会の不正などが、徐々にメディアの発達と共に民衆化し、疑いが強くなっていきます。

               

              キリスト教がカトリックに対し、プロテスタントという流れを生んだのも、そういった背景があったのは、歴史の語るところです。

               

              キリスト教会

               

              そしてそこからデカルト、ガリレオ、ニュートンなどへと科学による実験と実証による時代へと進み、こういった考え方で人の心も理解しようと、19世紀には心理学も始まります。
               

              ニュートンの放物線

               

              心は科学的に理解できる筈だという思想です。

               

              このことは、心理学の祖であるフロイトが常々語っていた探求心への言葉でもわかります。

               

              この段階が3段階目。

               

              現代の人間が何でも証拠を求めたがるのは、この4世紀ほどの時代性に飲まれているからとも言えます。

               

              これをモダン(近代)と言い、ある意味科学至上主義となっていきます。

               

              しかし、これもまた、科学の発展自体が、今までの科学を否定するという不思議な現象を起こしました。

               

              それは量子物理学の分野がまさしくそうです。

               

              シュレディンガーの猫

               

              原子の中身は何なのかというこの世の最小の仕組みを紐解いていくと、こんなことがわかってしまったのです。

               

              『見ているときに、それはある形態に留まるが、見ていないときには、どうなっているのかわからない』

               

              なんとも意味深です。

               

              これをもう少し単純に言うと、

               

              『観測者によって、観測結果は変わってしまう…』

               

              ということのようです。

               

              つまり、科学を信じるなら、何を信じて良いのかわからないということを信じる必要が生じてしまったのです。

               

              このことは、ここ数十年の日本を見てもわかります。

               

              戦後の日本は大きな経済発展を遂げました。

               

              特に高度経済成長期という時代は、前年比10%の経済成長を20年に渡って通過しました。

              現代の60代以上くらいの人たちは、まさしくこの時代を生きてきた人たちであり、それに出会いもしなかった現代の20代の人たちの感覚などはまるでわからない筈です。

               

              日本は90年代の山一證券の破綻を皮切りにバブルが崩壊し、うつを大衆病ともなり、それ以降の自殺者が激増しました。

              若者の傾向としても、不登校、引きこもり、ニートが増え、私にとってそれらは人間社会が何かに気づくことを訴えているメッセージとも受け取れています。

               

              今、日本の経済は大企業を中心に盛り返してきていると言われています。

              しかし、その盛り返しに反し、人の心は昔の活気を取り戻してきてはいません。

              もはや、経済的なものだけが幸せをくれるのだとは、思えない人たちを増やしてしまったのではないかと感じます。

               

              ここまで書いてきた長い歴史と最近起き続けてきたこと等を通じて考えれば、太古の時代から人の解決することのできなかった意識がわかります。

               

              不安を抱えた人

               

              それは、人は何を根拠に生きれば良いのかという不安の解消です。

               

              この不安は、結局千年紀を経ながら培われてきた歴史上、どうしても解決しませんでした。

               

              そしてそれは今も尚続くものですが、これに対して数十年前からは、ポスト・モダン(近代の次)という思想が芽生え、そもそも何かわかることなど不可能というニヒリズム(虚無思想)を生んだりもしました。

               

              この段階はある意味、4段階目とも言えますが、これについては安定しないままに現代(21世紀)に至っています。

               

              結局のところ、人が求めたものとは…

               

              そう考えると、結局のところ、人が歴史を通じて求め続けてきたものとは、自分がどうすれば安心していきられるのかという、精神的依存先であり、これについて明確な発言をしてきた人たちこそが、宗教や政治をによってその時代の指導者となってきたということなのだと思います。

               

              しかし、それらは結局のところ、個人単位では信頼のおける人が居たとしても、勢力が大きくなると、常に打ち砕かれてきました。

               

              もちろん、これは先程言った千年紀で考えた場合の解釈です。

               

              そして私達人類は、前項に書いた通り、4段階目で右往左往しています。

               

              そのことについて私なりに言及するなら、人が自分の外側に依存先を求めることからの脱却を意味しているのだろうと感じるのです。

               

              内なる神』という表現は、長く細く受け継がれてきた表現。

               

              内なる神の光

               

              それはきっと私達の精神を深く満たし、生きる指針を与えてくれるのだろうと思います。

               

              しかし、それが何を意味するのか、その解釈がなかなか定まらないままに来ているのが実際なのでしょう。

               

              私達の精神を深く満たし、生きる指針となるもの

               

              は、どのように手に入れることができるのでしょうか。

               

              これを短縮して、ここからは『内なる指針』と表現したいと思います。

               

              人の在るべき生き様は『内なる指針』に従って生きること

               

              インドの古代哲学書「ウパニシャッド」には、自己の本質である「真我(アートマン)」は、それ自体が語る言葉として理解することはできず、「◯◯ではない」という否定でしか至ることができないと書かれていたそうです。

               

              文筆家でありながら、西洋ではダライ・ラマに次ぐ精神指導者とも言われたパウロ・コエーリョの書いた小説「アルケミスト」には、錬金術の秘密が書かれたエネラルド製の板『エメラルド・タブレット』が登場しますが、そこにはほんの数行だけ真実が書かれていると言われますが、それが何と書いてあるのかは、記されていませんでした。

               

              ある時期、世界的に大ブームとなった「聖なる予言」も、やはり重要なところが言葉にはならず、感覚として理解することが問われていました。

               

              このことは、どうやら文字にしようと思うと、何か別のものになってしまう、特別な内容なのでしょう。

               

              私が多くを学んだグレゴリー・ベイトソンという文化人類学者は、このことに触れようとして著作を書いている最中に亡くなりましたし、意志について自分の自叙伝によって明らかにしようと試みた心理学者のユングも、やはりその著に取り組んでいる間に亡くなりました。

               

              もしかすると、これは何か人が触れてはいけない領域なのかもしれないと感じることさえあります。

               

              それが実際どうなのかはわかりませんが、どちらにしても、『内なる指針』は、私達の多くが理解している方法(勉強)で理解されるものではないのかもしれません。

               

              しかし、私は心理カウンセラーですから、このことと似たものであると感じる瞬間を、何度となく垣間見てきました。

               

              それは、人が自分の人生に希望を見出し、前を向いて歩いて行こうとする瞬間です。

               

              私は臨床の中で、それを見るたびに、感動してきました。

               

              人の希望とは、何で構成されているのだろうか、とても気になっています。

               

              人は何を燃料として、未来を生きているのだろうか。

               

              それは決して、物理的な食物を意味しているわけではありません。

               

              ここで話題にしているのは、精神面におけるそれなのです。

               

              それこそが、今回言っている『内なる指針』であり、それは希望、豊かさ、指針、力などが一つとなっている存在であり、それを見つけ出し、それに従って生きることこそ、満たされた人生(美しき人生)へと繋がると信じています。

               

              心理学が証明した、人が希望を見出す燃料

               

              ここでもう一つ、心理学があったからこそ、証明された人が希望を見出す燃料をご紹介しましょう。

               

              自殺願望者が自殺することの魔力から解放され、積極的な人生を生きようとすることを決意するとき、何に気づいてきたのかということです。

               

              これは心理カウンセリングにおける膨大な対話記録によってわかりました。

               

              それは自分の勇気、賢明さ、思慮深さ、強さなどへの気づきでした。

               

              そしてその気づきは、ある意味使命感と似た感覚を持ち、その人の人生を支えることがわかりました。

               

              私も多くの自殺願望者と接してきました。

               

              たしかにこのことは、その都度肌に感じてきた要素です。

               

              このことは、ここまで言及してきた『内なる指針』と何か関係がありそうです。

               

              『内なる指針』が明るみに出てくる仕組みとは

               

              先程、少し書いた通り、どうやらこのことは、意識の世界で、わかりやすく理解されるものではないようです。

               

              しかし、厳然として存在している感覚は否めません。

               

              使命感と似た感覚は、陳腐で単純な言葉になることを避けているかのようにも感じます。

               

              事実、カウンセリングの最中にはこの感覚が垣間見れるのですが、対話の中で徐々にそこに近づきつつ、それが何なのかは、やはり言葉になりません。

               

              その対話の一部は、前回のブログでご紹介しました。

               

              つまり、ある種の対話を繰り返すことで、それが言葉としてではなく、本人だけに感じられる感覚として理解されてくるようです。

               

              しかし、その対話には性質があります。

               

              内なる指針

               

              それは生の対話である必要があるということです。

               

              その理由は、対話しながら徐々に醸し出される雰囲気の変化をヒントとして、私が都度質問する内容を変えながら進むからです。

               

              また、生の場では、ヒントとなるものもあります。

               

              それは他の人と私が対話しているのを見て、聞き、感じることです。

               

              「何か自分にもそういったものがある気がする…」

               

              そんな感覚が刺激されます。

               

              しかし、そんな対話の中で、繰り返されるテーマは、それほど難しいわけでもありません。

               

              それは『貴方は◯◯ではない』という性質のテーマ。

               

              ウパニシャッドが真我(アートマン)を表出する方法として提示した方法とも言えるでしょう。

               

              私たちは認識している自己があります。

               

              「私はこんな人」と思っているやつです。

               

              しかし、それはある種の対話を繰り返すと、疑問を持つことが可能となり、ついにはそれではない自己を感じることができます。

               

              そして更にそれが何度か繰り返されると、何者とも言えない領域に突き当たります。

               

              それこそが、今回主題としている『内なる指針』です。

               

              自己の相当深いところにありますし、毎回必ず生き当たるのかは、私も自信がありませんが、どうやってそれを感じていくことができるのかを伝えることは可能です。

               

               

               

              美しき人生を得る為にある『内なる指針』の模索。

               

              今できる私の最高手段は、このワークショップにてお伝えしたいと思います。

               

              詳細はリンク先からご確認下さい。

               

              美しき人生を想像する1Dayワークショップ2018

               

              12月6日現在、

               

              ・12月24日(日)はあと5名ほど

              ・12月28日(木)はあと2名ほど

               

              のお申込みが可能です。

               

              先着順ですので、お申込みはお早めにお願い致します。

               

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              JUGEMテーマ:人生論


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                私のツイッターでつぶやいたことが、一人の心理関係者として、とても重要に思えたので、よくお読みいただいている方の為に、ブログで共有しておこうと思います。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

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                0

                  [ブリーフセラピー] ブログ村キーワード

                   

                  少し前になりますが、私が現在唯一所属している学術団体・日本ブリーフセラピー協会の第9回学術大会(会場は福岡)へ参加させていただきました。

                   

                  そこで私が感じた点につきまして、記録として残しておこうと思います。

                   

                  そもそもブリーフセラピーって何?

                   

                  この記事で初めて心理カウンセリング手法の一つであるブリーフセラピー(短期療法)を知る方もいらっしゃると思いますので、ブリーフセラピーとは何かという記事も紹介しておきます。

                   

                  ブログ記事:ブリーフセラピーとは

                   

                  簡単に言ってブリーフセラピーとは、相談者が抱える問題の早期解決を重視する手法であり、精神性が尊ばれる心理の世界では少数派であり、異端として扱われることもあります。

                   

                  何故早期解決を重視することが異端とされるのかは疑問に思う方も居るかと思いますが、心理の世界は長年、相談者が苦しみをどのように理解しているのか、それについて何を思うのか、それをどうやって援助者が共感できるのかという点を重視してきたことが理由なのだと私は捉えています。

                   

                  簡単に言えば、精神性を尊んでこそ心理問題の援助であり、単にその問題が今なくなってだけでは、根本的な問題は何も変わっていないと思われているからなのでしょう。

                   

                  私もそういった精神への時間をかけたアプローチも持っていますので、そちらを一概に批判するつもりはありません。

                   

                  ただ単に、そういった理由でそう扱われているのだという点だけを今はお伝えしておきます。

                   

                  今回のブリーフセラピー学術大会にて感じたこと

                   

                  今回の学術大会で特に感じたのは、次の3点でした。

                   

                  「ブリーフセラピーの基本哲学は、プラグマチズム(実用主義)にあるということ。」

                   

                  これについては、後程もう少し詳しく書きます。

                   

                  「真のブリーフセラピストは、やることと結果にズレがない」

                   

                  もう一つは、やはり、

                   

                  「技術を見て人を見ずでは、失敗するということ」

                   

                  です。

                   

                  ではそれぞれの観点について、解説します。

                   

                  ブリーフセラピーの基本哲学はプラグマチズム(実用主義)

                   

                  心理学や哲学に普段触れていない方は、プラグマチズムと言われても、耳慣れない表現だと思います。

                   

                  これを簡単に説明すると、

                   

                  役に立つものであればなんでも良い

                   

                  という思想です。

                   

                  プラグマチズムを実践する人(プラグマティスト)にとって、どんなに正しいと言われていることであっても、役に立たないと思われれば、それは無用の論理であり、実際に役に立つものであれば、それは正しいものだとして扱います。

                   

                  その意味でブリーフセラピーは、問題の早期解決に役立つものであれば、その手法を採用するし、そうでないなら即座に取りやめるというのが、基本的なスタンスなのです。

                   

                  ごく一般的な視点で、この記事を読んでいただいている方からすれば、そんなことは当たり前だと思うのではないでしょうか。

                   

                  しかし、実際には心理学の世界だけでなく、この世界の多くの分野が、プラグマチズムではないもので運用されています。

                   

                  例えば、その代表的なものとして、何でも情報は詳しい方が良いとする考えに対し、私の師の一人であるブリーフセラピスト若島孔文先生は、こういう表現をされていました。

                   

                  Google Mapによって、今は世界中の航空写真まで見れるようになった。建物は全てが詳細に地図で確認できるようになった。しかし、一昔前の簡略したイラストの地図の方が、かえって見やすくて、現地へたどり着きやすかった。

                   

                  これは現代医療にも言える観点で、病気を治す為に専門領域は歴史を追うごとに細分化され、人の身体と心を全体的に見るという視点を失っていったという指摘もあります。

                   

                  私達が使うブリーフセラピーという心理学で言うなら、「私はダメな人間なんです」という相談者に対し、『そうですか、それはよほどダメなんでしょうね』と返すことがしばしばあります。

                   

                  これは全くのユーモアであり、言い方を間違えさえしなければ笑いが起きやすいのですが、そういう人に対して大抵の人は、「そんなことないよ」と返さないといけないような風潮があります。

                   

                  これもまた、プラグマチズムから外れる思想なのはもちろんで、こういったものを総じてポリティカリー・コレクトネス(道義的に正しい思想)と呼び、実用主義から見れば、反対に位置するものです。


                  この風潮通りにすれば、多くの場合、「いや、どう考えても、私はダメなんです」と語気を強めてしまったりすることが多い反面、前者の表現をすれば、「そこまで言わなくても…」と話題を別の方向へ逸らすことに成功しやすいものです。

                   

                  その意味で言えば、実際には実用的だとしても、それを本当にやるという点で、ブリーフセラピーは驚かれたり、異端視されたりするのだろうと思います。

                   

                  もちろん、道義的に正しいことに重きを置く相談者には、通じないわけですから、プラグマチズムを信奉する人間であれば、そういった手法が通じない相手には、逆に戻さないといけなくなったりするわけなのですが…

                   

                  そして今回の学術大会では、これこそがブリーフセラピーの基本哲学なのだと、原点を大切にしていこうという提言があったと私は捉えています。

                   

                  東京都の三楽病院精神科科長の佐藤克彦医師とは、個人的にそのことで盛り上がりましたし、彼のプレゼン発表においても、そのことを重大に取り上げていて、心打たれるものがありました。

                   

                  真のブリーフセラピストはやることと結果にズレがない

                   

                  そしてブリーフセラピーの究極的観点について、まだ自分は軽視していたことを痛感しました。

                   

                  それは、「真のブリーフセラピストはやることと結果にズレがない」ということ。

                   

                  これも、心理学に限らず、どのような分野であっても当たり前のような表現なのですが、これを実現できてないことが多いのもまた多くの人が知るところでしょう。

                   

                  この概念をもう少し説明すると、

                   

                  自分がやっていること(期待) = 結果

                   

                  という方程式でつなげれば、自分がやっていることは「式」であり、結果は「答」となります。

                   

                  両者は同じものとならなければなりません。

                   

                  しかし、私達のやっていることには、多くの場合、誤差やエラーというものが生じます。

                   

                  いくら論理としてそうなる筈のことをやっていたとしても、やはり実際にそうならなければ、それは方程式が成立しません。

                   

                  プラグマチズムはそれをとても大切にしている概念だということになるのですが、その実際例はこういうことです。

                   

                  スポーツで言えば、一番強いチームが優勝する…はずです。

                   

                  しかし、実際にそうなのでしょうか。

                   

                  強さをどう規定するのかにもよりますが、選手の体調やストレスなどによって、真の強さは変わりますし、観客の応援などが左右することもあれば、相手の出方が意表をつくものであれば、驚いているうちに負けるかもしれません。

                   

                  ベトナム戦争でアメリカ軍が惨憺たる状況となったのも、単純な「軍事力=強さ」とはならかったのは明らかです。

                   

                  さらに、スポーツの中でも芸術競技となった場合、そこには評価者達の採点によって結果が出ますから、さらにその強さが何なのかは、選手の技術や精神力だけとは言えない何かが働きます。

                   

                  この、「結局のところ結果がどう出るのか」というものを見越して、戦略を練る姿勢が、ブリーフセラピーにはあるのです。

                   

                  それは、現実として起きていることを重視するところを戦略の基としているところに起因します。

                   

                  例えば、心理的な症状の一つに「うつ」というものがあります。

                   

                  簡単に言えば、気分が思うように扱えないという症状なのですが、これが今の症状にうってつけの薬があったとして、すぐに効いたとします。

                   

                  入院中にそれが奏功したので、退院して家族のもとへ帰ります。

                   

                  すると、やはりそれほどの時が経たずして同じ症状で入院してくる。

                   

                  そういうケースであれば、それは薬の調整もさることながら、家族間で起こっている何かや仕事に注目を向けることになるのかもしれませんし、仕事との関連が深いのかもしれません。

                   

                  しかし、そのときに重要なことは、「何かが悪い」というようにしないこと。

                   

                  結果とは、何かの繰り返しの中に起きていることであり、それが良いとか悪いとかということは、その繰り返しを止めれるのかどうかとは関係ありません。

                   

                  「悪い」という概念は、多くの場合、心理治療が進むことを阻害します。

                   

                  タバコをやめたいという人に、タバコがいかに健康に悪いのかを聞かせると、それがストレスとなって、そのストレスを解消するためにタバコを吸いたくなるというサイクルは、それを物語っています。

                   

                  私も、子どもの不登校で困っていたお母さんが、自分と子どもの関わりをどうしたら良いのかとばかり考えていたところへ、学校と相談してみたら、友達が朝迎えに行くように声をかけてくれたことで、毎日登校するようになったという事例もありました。

                   

                  事例はまだまだありますし、解決した事例の多くは予測とは反対のアプローチを取ったことでものだったりするので、この点については、近々、私のメルマガで公開しようと思っています。

                   

                  この概念を文字で十分に説明することは難しいところなのですが、本当に重要なことだと、あらためて感じた次第です。

                   

                  技術を見て人を見ずでは失敗する

                   

                  そしてももう一つの視点なのですが、これは大会の目玉の一つ、B-1グランプリ(ブリーフセラピー支部対抗選手権)で特に感じたことでした。

                   

                  B-1グランプリとは、全国の同協会支部が競い合い、一つの相談事例を複数のカウンセラーで対抗試合をするという画期的なものです。

                  心理カウンセリングは壁の内側で守秘義務に守られたものとして扱われているkの業界にとって、あまりない試みだろうと思います。

                   

                  ガラス張り(ビデオ共有)で、全員が部屋の中を見れるのですから。

                   

                  そのある意味試合の生中継を見ていての感想なのですが、相談者に対して、セラピストがあまり合わないような質問をしてしまったときに、全国共通の傾向を感じました。

                   

                  それは、相談者が無意味さを意味するような表情や発言をしたときに、セラピストが「あ、これは的はずれな質問でしたね」というような配慮をあまりしていないように感じたのです。

                   

                  もちろん、会場に居る100名以上の人に見られたカウンセリングですから、本領は発揮できていないのでしょうし、そこまで求めるのも酷だとは思うのですが、やはり、相談者は空気が暗い中なので、あまり能動的な発言は出なくなります。

                   

                  心理カウンセリングは生の対話ですから、いくら相談者であろうと、自分が空気を重くしてしまうと、セラピストに対して悪いことしてしまったと感じるのが通例です。

                   

                  セラピストは、そこを自分から積極的に「場に対しての配慮」が必要なのであり、やはりそれが一番うまくできていた方が、今回優勝となったように私は感じました。

                   

                  結局は、正直な気持ちをうまく引き出しながらでないと、話は進まなくなるんです。

                   

                  そんなことはカウンセリングでなくても同じだとは思いますが、案外、これを心理カウンセリングの世界ではできていないのではないかと、他の対話手法と併せて考えてみても、感じるところです。

                   

                  こんなことを言う私自身はどうなのかと、心配にもなりますが、もちろんこれは自戒を込めたコメントです。

                   

                  セラピストはやはり、「木を見て森を見ず」しかり、

                   

                  『対話技術を見て、相談者を見ず』

                   

                  ではうまくいかないわけです。

                   

                  翌日の研究発表でも、今回はそういったケースの発表が相次いでいました。

                   

                  こういったブログ記事をアップすることが、私の協会内での地位を悪くしないかという心配はありますが、そこはポリティカリー・コレクトネスに反して結果を重視することを大切にしている団体ですから、お許しいただきたいと思います(笑

                   

                  とにもかくにも、福岡大会は、都心から随分と離れたところで開催したにもかかわらず、協会関係者、大会長、スタッフ達の頑張りで、とても盛況でした。

                   

                   

                  来年は、学術大会10周年記念として、特別企画が目白押しなようです。

                   

                  どうぞ、ご注目いただきたいと思います。

                   

                  ブリーフセラピスト、上野大照のメルマガも、ご注目いただける方は、どうぞご登録下さい。

                   

                  ブリーフセラピーだけの留まらず、心と人間関係の処方箋として、週1〜2回の配信を意識して頑張っています。

                   

                  文中にあったブリーフセラピーの改善事例も、近々、メルマガで発表させていただきます。

                   

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                  心匠 上野大照のメルマガ こころの仕組み

                   

                  いつもご愛読ありがとうございます。

                   

                  JUGEMテーマ:ブリーフセラピー


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                    心を学ぶ講座〜自己の旅編〜にご参加いただいた方より、別のご感想をいただきますので、先回同様、インタビュー形式で掲載させていただきます。

                    今回は受講後、数ヶ月しての感想です。

                     

                    心を学ぶ講座 自己の旅編

                     

                     

                    心を学ぶ講座 受講のきっかけ

                     

                    「受講したきっかけは何だったんですか?」

                     

                    特に大きな悩みもないし、、と思いながらも面白そうと軽い気持ちで受講させていただきました。

                     

                    受講全体の感想

                     

                    「今、受講が終わってどんな風に感じていますか?」

                     

                    きっかけはそんな感じだったんですが、いざ受けてみると、気づいたら毒を吐いてました。
                    どんな事が起きても冷静に対処できる自分と過信していたのか、毒を吐いている自分に驚きました。
                    大照さんの講座の面白い所は、あとになってジャブが効いてくるところです。
                    ニコニコして何でも大丈夫みたいに振る舞ってる私だけじゃなく、毒吐きの私も受け止めてくださって、受講後数か月したのちに、私はようやく色んなことを冷静に見つめなおすことができてきたように思います。
                    「まるで自分一人で悟りの境地に行ったかのように!」(笑)

                    カウンセリングの神髄の一片を見せていただいたようです。
                    短期間でこれだけの心の変化を促してくださる講座は滅多にないと思います。

                     

                    自分の意識には見えてなかった自分が居た

                     

                    「毒吐いてたって辺りのこと、もう少し詳しく教えてもらえませんか?」

                     

                    『良い人の仮面の奥にはこんな怒っている自分があったという事を知った。』
                    とか、
                    『その更に奥の自分に、時間差で出会った』とか、
                    そういう感じです。

                    大照さんと話してるうちに、冷静に話してるつもりがだんだん過去の出来事に腹立ってるのがくっきりとわかってきたのには、驚きでした。
                    私の口から毒が飛び出るなんて。。。
                    怒らない良い人だと自分で思っていたけど、こんなに怒りが心の中にあったのかと知りました。
                    ただそれは本当の自分ではなく、そして孤独な自分でもなかった事がジワジワと後になってジャブで効いてきました。

                     

                    否定したい自分の更に奥にいた自分

                     

                    「奥の奥に居た自分と出会ったことで、どんな世界が広がったのか、周囲がどう見えるようになったのか、教えてもらえませんでしょうか」

                     

                    奥の奥には...
                    子供のような自分です。
                    悪意がなくなったような気分になり、正直で素直な感覚というか。

                    あんなに怒ってたのに、周りはそれほど悪くないかもと、自然に思える自分が居たことに驚きました。

                    その後、色んなものと距離を取った時期があったことも影響したのか、今は冷静に人を見れています。無駄に冷静を装うところがあった私にとって、冷静って言うと語弊があるかもしれませんが、自然で楽な感じなんです。

                    そしたら、すべての人が愛おしくなった瞬間がありました。瞬間だけでしたが(笑)

                    でもそれはとても貴重な体験です。

                    このことで、私の奥にある”愛”を感じれたせいか、自分を含め、人を信じる力が強くなれた気がしてます。

                     

                    両親との関係にも変化が

                     

                    「そういったことで、何か具体的な変化に繋がったこともあるんですか?」

                     

                    講座の中はもちろんですが、受講期間中に自分の人間関係を見直すことで、すでに私の心は子供時代に戻ったような感覚がありました。
                    私の脳裏に、子供時代に遊んだ風景が思い浮かぶことも多くなりました。
                    そのことは、普段意識していなかった父や母をただ厳しいうるさいだけの存在と捉えていたことも思い出させてくれ、不思議にもそれが自然に気にならなくなったようです。

                    両親との関係は更に良くなりましたし、相手を気遣い過ぎてやりたいことができないということも、減りました。

                    『あなたはそうなんだね。そして私がどうするかは、私の感覚も大切にして決めるね。』

                    という感じがしています。

                    何か自分なりの『人との無理のない関わり方』を知れたような気がするんです。

                     

                    視界が澄み切っている感覚

                     

                    「意識するわけでもなく、自然に人との関わり方を変えられるってすごいことですね。なんでそうできたのか、自分なりの答えはありますか?」

                     

                    ええ、そうするとですね。

                    いろいろと見えなかったものが見えるようになった気がします。

                    人の言葉や態度の本質みたいなもの。

                    これまでは、気づかずor気づいてもスルーしていた部分が、「あっ!!」という感覚で感じるように。
                    視界が澄み渡っているというか、今日は黄砂がないね〜って感じです(笑)

                     

                    その後は、仕事の都合もあって以前より頻繁に自問自答するようになっていたのですが、その時に気づきが増えたのも、この講座を受けたことが大きかったと思いますし、何より大照さんとの対話がその基になりました。

                     

                    自分に合ったやりたいことをやっていく人生に

                     

                    今となっては、自分がやっていることを自分が本当にそうしたいのかを気づく感覚も上がりましたし、それに合わせてやることを調整していっているところです。

                    自分に合うこと、合わないとかっていうことも、どうやって気づいていくのか、世の中にはいろんなアドバイスがありますが、結局は自分の感覚が研ぎ澄まされないで、判断しようとしたって無駄なんだとわかりました。

                    これを受けたことが、その答えをちゃんと教えてくれました。

                     

                    授業で対話する意味

                     

                    この講座は一方的な話を聞くものじゃくて、大照さんと話をするところにすごさがあるんだと思います。

                    対話型ってそういうことなのかと、受けてみないとわからないところがすごくあります。

                    結局、「私が自分で答えにたどり着いたのだ!」という感覚なんですが、やっぱりこれってカウンセリングの力なんだと感じました。

                    一人ひとりの悩みを紐解いていく力を持ったカウンセラーが、いろんなことを話しながらやってくれる講座だから、私にもいろんな変化が起きたんだと思います。

                     

                    主催・上野大照からのコメント

                     

                    受講いただき、ありがとうございました。

                    そしてとても詳しくやりとりしていただき、とても感謝しています。

                    今回、心の奥の奥に居る自分に出会えたという感想に、私自身、とても心躍るものがありました。

                    精神指導者でもあるパウロ・コエーリョが書いた小説「アルケミスト」には、謎を解けば誰にでも手に入る錬金術の秘密、エメラルドタブレットが表現されています。

                    そのエメラルドの板にある世界の秘密。

                    それは私にとって本当の自分に出会うことなんじゃないかと思ってるのです。

                    それに出会うことができれば、人生は楽で自由で、生き生きと輝いたものになります。

                    そして自己の旅に終わりはありません。

                    これからの人生のストーリーがより色づいたものとなっていくことを願っております。

                     

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                    心を学ぶ講座 自己の旅編

                     

                    こちらは無料プレゼントのメール講座です

                    まだお受け取りでない方は、8回の自分の人生をより自由にする為のアイデアが手に入ります

                    ご活用下さい

                     

                    貴方の人生を自由にする8つのステップ

                     

                    JUGEMテーマ:自分のこと


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                      [伝え方] ブログ村キーワード

                       

                      昨日Facebookで投稿した、あるメディアへのコメントが、何か自分の言いたいことを一纏めに言えた気がしています

                       

                      そして今回のブログ記事で伝えたいのは、決してこのライターさんを批判したいというところではありません

                       

                      この方の言うところの本質には賛同しています

                       

                      どちらかと言えば、私が言いたいことを意識させていただけた点で、とても感謝があります

                       

                      このことを通じ、自分が伝えたいことが引き出された気がしましたでの、シェアさせていただきます

                       

                      お読み下さい

                       

                       

                       

                      こういった伝え方という点では、やはり私は自分が提供している対話についての講座を、是非受講いただきたいと思っています

                      対話とはそもそも何で、どうしていくことが人生を豊かにすることに繋がるのか、知って、生かしていただきたいからです

                       

                       

                      私の提供させていただいている対話についての講座はこちら

                       

                      心を学ぶ講座 対話編

                       

                      そして、こういった講座にはまだ手が出ないという方で、私が伝えることにご興味をいただける方は、メルマガへご登録下さい

                       

                      週1〜2回程度、日々に役立つ心や対話の扱い方を、提供させていただいております

                       

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                      ブログのご愛読、誠にありがとうございます

                       

                       

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